ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシの飼い主(8)

2008-02-29 17:42:10 | Weblog
2月29日 昨日、快晴の朝、気温は-5度と冷え込んだが、日中は10度近くまで上がり、暖かい春の日差しが感じられた。
 朝早くから、ワタシを残して、出かけていった飼い主は、午後遅くになって帰ってきた。またしても赤鼻のトナカイかと思って、ニンマリと笑った飼い主のその顔を見ると、そんなには赤くない。
 「ミャオ、そんなにマジマジとオレの顔を見ることはないだろう。山に登るたびに日焼けするので、オレも考えたんだ。サングラスの鼻の部分に、ガムテープで覆いをつけて、日焼けしないようにしたんだ。どうだうまくいっただろう。」
 確かに赤くはなっていないが、まだそこに残っていた日焼け後に、それでも微妙にさらに日焼けしていて、赤黒くなり、顔全体としてみれば、ほとんどアナグマ状態だ。
 飼い主は、ワタシのマイケルのことを、蟹江敬三だ、柳沢慎吾だとけなす前に、自分の顔を鏡で見てみろと言いたい。それにしても、パーティー・グッズみたいな鼻メガネをかけて山に登るなんて、出会った人は、笑いをこらえるのに大変だったろうと思う。まったく、バッカじゃないの。後は、その飼い主の話・・・。
 「それが、幸いなことに、鼻メガネを恥ずかしがるほど、人には会わなかったんだ。
 今回は、九重の平治岳に登ってきた。登山口の男池には、他にクルマが一台だけ。雪の登山道には、その先行者二人だけの足跡がつけられていて、上の方では吹き溜まりで1m近い深さがあり、二人のラッセル(足跡もない深い雪の山に登って行くこと)跡には助けられた。
 大戸越の峠でその二人に会い、ラッセル跡を利用させてもらった礼を言い、ついでに、変に誤解されないように、鼻メガネの説明もした。
 法華院に下る二人と別れて、先には足跡もない平治岳への登りはさすがにきつかったが、南面だけに雪も少なく、峠から30分ほどで南峰頂上に着く。
 風も弱く、他に誰もいなくて、眼下に広がる雪の坊ガツル湿原を隔てて、立ち並ぶ九重主峰群・・・。そして北峰(平治岳山頂)との間、今、雪と霧氷に覆われている斜面のすべてが、6月になると色鮮やかなミヤマキリシマの花で、埋め尽くされるのだ。
 この南峰の眺めで十分に満足して、北峰へは行かずに、あとはアイゼンをつけて、ずんずん下り、男池に戻り着く。往復6時間ほどの、静かないい雪山登山だった。
 冬の九重は、雪のある時でも、メイン・ルートの牧ノ戸~久住山は大体踏み固められていて、そう苦労することはないが、そのほかのルートは人も少なく、雪が降った後に行けば、ちょっとした冬山を楽しむことができるのだ。
 ミャオ風に言えば、アナグマおやじ、雪と戯れる・・・ってか。」
 

ワタシはネコである(27)

2008-02-26 18:58:58 | Weblog
2月26日 朝から+4度もあり、暖かい。午後から雨になる。久しぶりの雨で、昨日までの雪も溶けてしまった。しかし、その雨も夕方にはミゾレまじりとなり、夜にはまた雪になるかもしれない。 
 冬と春のせめぎ合いがしばらく続き、そして春になっていくのだろう。
 昨日は、いい天気だった。例のごとく、ベランダでいっちょうらの毛皮のオーバーオールを干していると、他のネコの鳴き声。なんとマイケルが来たのだ。上からその様子を伺っていると、マイケルはワタシが近くにいるのを、知ってか知らずか、庭のアジサイの枝に顔で匂いをつけ、さらにオシッコをかけて、悠然と立ち去って行った。
 それは、「この家のメスネコは、オレのスケだからな、他のノラ野郎、近づくんじゃねえぞ」とでも言っているかのようで、ちょっとカッコよかった。例えて言うのなら、飼い主から聞いた昔の日本のギャング映画で、エースのジョーこと宍戸錠が、トレンチコートのえりを立てて、振り向きざまにニヤリと笑い、アバヨと立ち去っていく感じだ。
 ワタシがうっとりとして、マイケルが去っていった方を見ていると、それを窓から見ていたらしい飼い主が、わざわざドアを開けて出てきて言うのだ。
 「ミャオ、そんなにカッコよかあなかったぜ。まあ、同じトレンチコート姿でも、あの柳沢慎吾が歯茎の出た歯を見せて、アバヨとカッコつけてるふうだったな。」
 まったくもう、せっかくワタシが夢見心地なのに、このすかんタコ。昔から、「あばたもエクボ」とか、「蓼(たで)食う虫も好き好き」といって、人間の色恋の相手も人それぞれ、好き好きの好みがある、と言われているのと同じで、ネコのワタシでも、ワタシなりの好みがあるんですからね。大きなお世話です。
 ワタシはふてくされ、コタツの中にもぐりこむ、というより、今日は気温が高いと言って飼い主がストーヴを消したので、コタツの中にいる他はないのだ。時々出てきては、ニャーと鳴いて、飼い主がいるのを確かめる。
 夕方、四時過ぎになると、ワタシには分かる。そろそろサカナをもらえる時間だと。夏は、五時過ぎになるが、ともかく日が傾く頃だ。天気が悪かろうが、コタツの中にいようが、外に出ていようが、時間にはピタリと台所前に行き、ニャーニャーと鳴いてサカナを要求する。
 すると、ヤレヤレと飼い主がやってきて、冷蔵庫から、コアジ一匹を取り出してワタシにくれる。そのナマのアジにかぶりつく時が、ワタシの最高に幸せなひと時だ。若い頃は、今でも時々出てしまうが、食べながら鳴き声をあげてしまい、あの亡くなったおばあさんが、そんなワタシを見てよく言ったものだ。「よっぽどうれしいんだね、食べながらなんか言ってるよ」。
 一週間分の七、八匹のコアジが入って一パック150円くらいの、安上がりなワタシのグルメ・タイムなのだ。

ワタシはネコである(26)

2008-02-24 12:47:07 | Weblog
2月24日 朝、-5度。昨日の夕方からの雪はいちおう止んで、積雪6cm。これで2月はじめからずっと雪が消えることがない。北国ほどではないが、ちょっとした根雪状態が続いている。
 飼い主の話によれば、この家は標高600mの所にあり、気温の低減率を考えても、平地と比べて4、5度位も低く、夏は涼しくていいのだが、冬の寒さと雪の多さは、とても九州とは思えない。前には、50cmもの雪が積もったこともあったそうだ。平均気温で言えば、東北の仙台あたりに匹敵するとのことだ。
 このあたりの人は、冬の間は、クルマにスタッドレス・タイヤ(昔はスパイク・タイヤ)をつけて走っているのだが、都市部に住むほかの九州の人たちは、そんなことも知らずに普通タイヤのままやって来て、雪や凍結の道路で滑って、路外に落ちたりしているということだ。
 ワタシたちネコには、肉球の間に出し入れ自由の鋭いつめがあり、滑ることはない。冬山にも登る飼い主が、ワタシの前足の肉球と爪を見ながら感心したように言う。
 「オレたちが雪山に登る時は、冬山用のプラスティック・ブーツ(スキー靴のように防水保温性のある靴)をはいた上に、アイゼン(鉄のツメでできた滑り止め)を装着し、さらに雪が入らないようにロング・スパッツをつける、その上、手には、ピッケルまで持っている。それに比べてオマエはいいなあ。自前で全部そろっているものなあ。
 そういえば、北海道の春先の山で、ヒグマが雪の斜面を駆け下っているのを見たことがある。怖いというより、その速さに唖然という感じだったなあ。今度、一緒に雪山に登って、そのかっこいいとこ見せてくんないかねえ。」
 ケッ、じょーだんはその赤鼻のトナカイ顔だけにしてほしいよ。アナタの、にしおかすみこ趣味に付き合って、寒い山に行くなんて、ここでさえ十分に寒い山の中なのに、死んだってイヤです。大体、雪が降って喜ぶのは、スキー場と子どもとアナタくらいのものですよ。まったく、バッカじゃないの。
 窓の外には、また降ってきた雪の中、飼い主が出してやっている傷んだみかんを食べに、例のカッチョウ先生こと、ヒヨドリが来ている。羽をいっぱいに膨らまして、寒さに耐えているというのに。誰だって食べて、生きていくために一生懸命なのだ。
 ワタシも実は、このヒヨドリをはじめ何羽もの鳥をしとめたことがある。もう二十数年来の、余り熱心ではない野鳥の会会員である飼い主は、その鳥たちのなきがらを見ても、ワタシをとがめるでもなく、ただ後片付けをして、鳥たちを埋葬してやってるだけだ。それは、これが自然界の営みだとか、ワタシのことを分かってくれているとかいうよりは、ある種の負い目をワタシに感じているからなのだろう。
 次回には、そのあたりのことを、飼い主が話してくれるだろうと思う。

ワタシはネコである(25)

2008-02-22 18:01:30 | Weblog
2月22日 朝夕はまだ冷え込んでいて、庭の雪も溶けないけれど、日中は今までと違い、どこか春の温かい感じがする。ワタシとマイケルとのつかの間の逢瀬も終わり、また少し退屈で静かな日々が続くのだ。
 しかし、それはニャンニャンのさかりの時期が過ぎたというだけのことで、最近は、この山の中のネコ仲間たち(ほとんどがノラネコだが)との、夜の集会が開かれるようになり、今では古株の一匹になったワタシも、率先して参加している。飼い主もそのことを分かっていて、時間になってワタシがムックと起きると、ドアを開けて、行ってらっしゃいと送り出してくれる。
 ワタシはニャーと鳴いて、月夜の明かりの中、外に出て行く。一時間ほどの集会が終わった後、戻ってきて、コタツの中に入り、そこで朝まで過ごす。途中お腹がすけば、居間の方にあるエサ場で、キャットフードをカリカリと食べる。
 昔は、そんな時でも飼い主を起こして、ワタシが食べるのを傍にいて、見守っていてほしかった。もちろん、それはワタシのわがままだから、飼い主にもあのおばあさんにも文句を言われた。今では、おとなしくひとりで食べている。
 そんなワタシのことを、他のネコたちは、飼い主に甘えすぎだという。前にも話したとおり、ワタシはシャム猫とノラの日本猫との間の、ハーフだから、(単なる雑種だろうと飼い主の声)、性格的にシャムの気が出てしまうのだろう。
 一般的に、シャム猫は、他の猫よりは野性的な面が見られる一方、飼い主には忠実で、ベッタリと甘えて、猫の中では一番イヌに近い性質を持っていると、言われている。
 確かに、ワタシは外見的には、少しシャム猫がかった日本猫(飼い主に言わせればシャム猫もどき)だが、性質としては、まさしくシャム猫そのものだと思っている。
 まず野生的なところはといえば、こんな山の中に住んでいるから、余計に野性味あふれる猫になるし、それに加えて、飼い主が時々いなくなり、半ノラ状態になるからだとも言える。飼い主にいつも保護者遺棄の罪に当たると、抗議しているのだが。
 次に飼い主に甘えすぎる所があるのも、一つにはその寂しさの裏返しだからでもある。さらに昔からよく鳴いてまつわりついていたが、さすがに今ではワタシも年の功で、ネコ知恵から、少しおとなしくなり、飼い主も物分りが良くなったとほめてくれる。
 イヌに似た性格と言えば、ワタシは飼い主と毎日一緒に行く散歩が大好きだ。夕方、小さなアジの生魚を一匹もらい、エネルギーが満ち溢れるのを感じたワタシは、飼い主にニャーニャーと鳴いて知らせ、散歩に行くのだ。
 こんなワタシの日常の行動については、また別の機会にゆっくりと話したいと、思っている。ともかく言えるのは、不便な山の中にいるからこそできる幸せと、不便な山の中にいるからこその不幸せと、いつも二つの面があるということ。それは都会に住む猫たちも同じことで、後はどれだけ自分の幸せに感謝できるかだと思う。
 生きていることだけで、ネコとして、まずは十分に幸せなのだから。

ワタシの飼い主(7)

2008-02-19 16:42:42 | Weblog
2月19日 昨日の朝は、晴れていただけに、-9度と冷え込んだ。飼い主は朝早くから、何やらバタバタした後、出かけて行った。
 そして、午後遅く戻ってきた。ワタシはどこに行っていたのと、ニャーニャー鳴いて迎える。その顔を見れば、またしてもルドルフ状態。ソリにリボンをつけた生魚でも乗せて来るのならともかく、赤鼻のトナカイ顔という季節外れの冗談は、やめてほしい。まったく、山登りのどこがそんなにいいのだろう。 
 「イヤー、いい雪山ハイキングだったなあ。十日ほど前に行ったときと比べれば、晴れていたし、人も少なかった。
 なにより雪の山々がきれいだった。風紋やシュカブラ、エビのしっぽなどの雪の作る形が、素晴らしい。それは夏に咲く、山の花々と同じようなものだ。
 山の形はいつも変わらないけれど、その前景となる風景は、高い山になるほど(ヒマラヤみたいに一年中雪に覆われた山は別として)、夏と冬では大きく違うし、それぞれにきれいな景色になる。その美しい景色を見るために、冬は、寒さで震え上がるようなにしおかすみこのムチに叩かれ、夏は、汗かきの太ったマツムラにまとわりつかれるような苦労をしてでも、山に登りたいというわけなのだ。
 今回も牧ノ戸峠から登ったのだが、そこまでの道のりは、塩カルの塩漬けロードで、冷え込んだ割には凍結の心配も余りなく、楽に走ってこれた。さて、沓掛山を経て、分岐の所から、尾根に取り付いて、星生山そして星生崎と縦走したが、新雪の上の足跡もなく、誰にも会わず、そのうえ風も弱く、全くいい気分だった。
 久住分かれからは、何人かの人に出会ったが、御池から再び足跡の消えた天狗が城に登り、後は雲が多くなったので、急ぎ足で牧ノ戸に戻った。 
 家に戻り、汗まみれの冷えた体を暑い風呂で温め、たまらんなー、そして赤鼻のトナカイ状態の自分の顔を見て、いい山だったとニタリと笑う。(キモチわりーと、ニャオの声)。
 山に登るのはいい。幾らかの運動にはなるし、その後、風呂に入る楽しみもある。好きな人は、風呂上りにビールを一杯となるだろう。そして写してきたデジカメ画像を、液晶画面で見て、自分の見た美しい景色を思い出し、繰り返し楽しむことができる。それは、一粒で二度おいしい、スポーツ界のグリコ・キャラメルやー(彦麻呂ふうに)。
 世の中のおじさんたちには、撮影会などで、若いねえちゃんの写真を撮って喜んでいる人もいる。その気持ちも分からんではないが、そんな金もないし、第一この年でそんな所に行くのは、チョー恥ずかしい。オレはミャオという可愛いネコちゃんをいつも撮っているから、それで十分だ。山とミャオ、二つの美しいものを見ることのできるオレは幸せだ。」 
 また、何という風の吹き回しでしょうかね。いつも皮肉半分の飼い主の言葉とも思えない。今日は何の日だっけと、前足を裏返しにして、肉球の指を数えてみる。2月19日、雨水、降る雪が雨に変わるころ。春が近づいてきているのですね。

ワタシはネコである(24)

2008-02-17 17:13:00 | Weblog
2月17日 朝、-5度。雪が降っている。外にも出られないし、こんな時は、ストーヴの傍で、寝てすごすしかない。
 しかしだからといって、そう悪い日だというわけでもない。居間のほうから流れてくる、飼い主の聞くFM放送の音楽を、ワタシも聞いてみたりする。なんでも”フルートとハープのための協奏曲”とか言う名前で、あの動物たちにもやさしいモォーツァルトが作った曲らしい。
 そして、物思いにふけったり、うつらうつらと眠ったり、ふと聞こえた物音に、マイケルのことを思ったり。
 そんなワタシの様子を見ていた飼い主が、ニヤニヤと笑いながら言う。
 「おい、ミャオ。オレは初めてマイケルの顔をちゃんと見たけれど、とてもキムタクっていうツラじゃなかったぜ。片方の目はケンカかなんかで傷ついていたし、毛並みも汚れていて、その上、若くはない。
 あれはどう見ても、弱気な蟹江敬三といった感じだったなあ。実は思い出したんだけど、まだオマエには話したことがないと思うけれど、昔、家では他のネコを飼っていたことがある、というより、そのネコが家に住み着いていたと言ったほうがいいけれど。
 まだオマエが生まれる前のことだが、そのネコは、オマエの元の飼い主の、あの酒飲みおばさんちのグループ・ネコの一匹で、オマエと同じように、他のネコと一緒にいるのがいやになって家に来たんだろうが、ともかくオフクロ(オマエの知ってるおばあさんだ)が、そのトラシマ紋様を気に入って、エサをやりはじめ、そのネコが住みつくようになったということだ。
 そのころ流行っていた漫画のネコの名前にちなんで、マイケルと名づけられた。ところがこのネコは、漫画の主人公のキャラとは大違いで、いつもムッツリしていて、たとえばオマエが喜んで遊ぶネコジャラシなんかにも見向きもしないし、それで当時、サスペンス・ドラマを良く見ていたオフクロが、このマイケルを、時々、蟹江敬三とか、敬三とか呼んでいたんだ。(蟹江敬三さんすみません)。
 ところがこの敬三、いやマイケルが半年ほどでいなくなってしまったのだ。どこへ行ったのか・・・。もしかしたら、このネコ社会の中で起きた事件の犯人を追って、下の町まで行ったのか、そこの安酒場のやり手のママネコにたぶらかされてしまったのか。その消息は不明のままだ。
 しかしこのマイケル、ちゃんとやるべきことはやっていたのだ。その後、あのグループ・ネコの中に、マイケルそっくりの二匹の子ネコがいたのだ。つまりあの無口で、どこか陰のあるマイケルは、実は夜の顔としてスケコマシのマイコォ(マイケルのアメリカ発音)としての、渋い二枚目の役を演じていたのではないか。
 そして、そのうちの一匹が、オマエと一緒に家にエサを求めてやって来て、始めのうちはマイケル2世だと喜んでいたオフクロも、例のオッシコかけ事件でその子ネコは追い払われ、オマエだけが家の飼い猫になったわけだ。
 それから、その子ネコが、1キロほど離れた所にあるあの家で、飼われることになったのだろう。つまり今、オマエに会いに来ているネコは、あのマイケル2世(ジュニア)に間違いない。堂々と家の窓辺に来て、オレにも怖がらない様子は、この家の事を知っていたからだ。もちろんオマエは、そんなこと、とっくに知っていたのだろうが。
 今までいろんなネコが、オマエに会いにやって来た。ペルシャ風の立派なおネコさまから、アメリカン・ショートヘア風なネコ、そして同じグループ・ネコのいかにもノラネコ風な色が交じり合ったものまで。そして今年だけでなく、その中に確かにマイケルの姿を見たこともある。
 つまりオマエたちは、同じグループの仲間同士の、熟年の恋というわけだな。マイケルは、今ではちゃんとした飼いネコだし、年恰好もオマエにふさわしいと思うよ。
 いのーち、みじーかーしー、こいせよーミャオ。」
 また、その歌かい。言われなくとも分かっています。
 一日、雪が降ったり止んだりの空もようやく、夕方になって晴れてきました。白い雪の山が、夕映えに輝いています。明日へと続く日なのです。

ワタシはネコである(23)

2008-02-15 20:50:27 | Weblog
2月15日 朝早く降っていた雪は止んだが、風が強く、雲の流れが速い。居間の方から、飼い主の聞く音楽が流れてくる。
 ワタシはいつものように、ストーヴの前で横になって夢うつつ・・・その時、窓際の所でガタンと物音がした。すぐに聞き耳を立て、窓の方を見ると、なんとそこにマイケルが来ていた。
 例の甘く、狂おしい声でマイケルがワタシに呼びかける。ワタシも窓際に行って、同じように甘い声を出してこたえる。いつの間にか飼い主が部屋に入ってきていて、ワタシたちのツーショット写真を撮っていた。そして、すぐにワタシを抱えて、部屋から出た。そのまま窓を開ければ、マイケルが驚いて逃げ出すと思ったのだろうか、居間の方のドアを開けて、ベランダにワタシを出してくれた。
 そこで、離れたまま二匹で鳴き合ったが、ワタシは、そんなにすぐ相手の誘いに乗る尻軽女ではない。ドアを開けてくれと、飼い主に頼み、家の中に戻った。しかし外では、またマイケルが鳴いている。
 落ち着かない。少しキャットフードを食べた後、今度は玄関の方のドアを開けてもらって、外に出た。しばらくの間、マイケルと対面して、再び家に戻り、今度はコタツの中に入ってしばらく寝ることにした。 
 このところ、雪の日も多かったので、マイケルは来ていなかったのだが、突然、それも窓のすぐ傍まで来て、ワタシに呼びかけるなんて・・・大胆すぎる。ヴァレンタインも過ぎたと言うのに。そして飼い主が、コタツに入りかけたワタシをなでながら、話しかけてきた。

 「ミャオ、マイケルが来てよかったなあ。いい光景だったなあ。あの映画での、有名なガラス越しのキス・シーンを思い出したよ。
 その映画とは、戦後間もない昭和25年、今井正監督、岡田英次、久我美子主演の『また逢う日まで』だ。もちろんオレも、十年位前にやっと見たくらいだが、何しろ58年も前の映画だ、今にしてみれば、外国の小説をもとにしているストーリーも少し古くさい。
 しかし、いつの時代でも変わらない、愛し合う二人の一途な姿には、胸を打たれるものがある。そんな二人が、窓をへだてた内と外にいて、ガラス越しに見つめ合い、そのガラスを間にキスするシーンの素晴らしさ・・・。感情の高まりを抑え、それでも二人が惹かれあう心のままに、ガラスをはさんでの間接的なキスをする・・・。
 それは、外国映画のまねをして、電車の中でこれ見よがしにいちゃつき、キスをするような、今の日本の若者たちには理解できないのかもしれない。そんな恋愛モドキしか知らない若者たちと比べれば、むしろ、オマエたちネコの方が、いろいろとネコとしての理にかなった駆け引きがあって、納得させられることが多いくらいだ。
 ともかく、この映画では、なんといっても、昔の貴族のお嬢様でもあった、久我美子が素晴らしい。当時の彼女の品性そのままに、清純な恋の物語にふさわしい美しさだった。あーあ、初恋の彼女を思い出すなあ。
 そのころまでの日本人には、慎みや恥じらいがあり、人としての品位、品格が大事なことだった。正しく生きることで、ひとり辛く寂しい思いをしたとしても、ゆるぎないない自分への誇りを持っていた。だから昔がいいと言うのではない。ただ今の時代は、大切なものをいろいろと無くしてきたような気がするのだ、この映画を見ていると。 
 おっと、すっかり話がそれてしまった。ともかく、今日鳴き合うオマエたちを見て、昔を思い出し、少し胸キュンになったのだ。ミャオ、ありがとね。」

ワタシはネコである(22)

2008-02-13 15:03:13 | Weblog
2月13日 朝からの雪が降り続いている。-6度と冷え込んでいるから、溶ける間もなく、降り積もっていくのがわかる。
 ワタシはいつものストーヴの前にいて、考えている。生きているということは・・・。何事もなく暮らしている毎日が、実は、いくつもの小さな幸せの、偶然の連続からなっているのだということ。そのことに人は、ワタシたちネコも、気づかずに毎日を送り、そしてたまたまめぐって来た異常な出来事に、慌てふためき、そこで初めて何事もなかった日々の、その小さな幸せに気づくのだ。
 日ごろから人は、自分の手の指の効用についてなど、考えもしないだろうが、そのうちの一本を傷つけて、初めてそのありがたさに気づくのだ。ワタシたちネコの、鋭いツメとやわらかい肉球からなる指にしても、同じことだ。
 こうしてストーヴの傍で、飼い主に体をなでられながら、ぬくぬくとすごすことのできる幸せも、幾つもの危険な目にあったワタシだからこそ、今更ながらありがたく感じられるのだ。
 さて、前回からの話の続きだが、夕暮れ迫るススキの草むらに潜み、座り込んでいたワタシは、息子に抱え上げられ、家に連れ戻された。その後息子は、電話で誰かと話していたが、ワタシは弱った体のまま、その夜は、何とかおばあさんの部屋で寝てすごした。
 次の日の朝、息子はワタシをダンボール箱に入れて、クルマに乗せた。狭い所に閉じ込められたワタシは、子ネコのころのイヤな思い出もあって、必死になって、最後の力を振り絞って暴れた。息子はそんなワタシに、何かを言い聞かせるように、箱の隙間から指を差し入れてワタシの体をなでた。10分ほどクルマで走り、動物病院に着いた。
 そこでもワタシは少し暴れたが、若い獣医師は手馴れた様子で、ワタシを小さなゲージに移して、二人で何事か話し合った後、飼い主は帰っていった。
 その後、その若い男は、ワタシの体にちくりと何かを刺し、ワタシはニャーと鳴いたが、その先はもう記憶が薄れて、いつしか眠り込んでしまっていたようだった。目が覚めた時には、なにやら体にチューブを巻きつけられ、ニャーニャー鳴いたけれど体の自由は利かず、仕方なくそこで寝てすごした。次の日になって、ワタシはチューブをはずされ、いつの間にか体がすっかり元気になっているのを感じた。
 そしてさらに一晩過ごして、朝になると、あの息子の声がして、二人でなにやら話しをして、息子は頭を何度も下げたあと、ワタシを引き取り、持ってきた新しいネコゲージに入れた。その床には、ワタシが外のベランダで寝るときの座布団が敷いてあり、ワタシはその臭いをかいで自分のものだと確認し、中に入っていった。
 クルマに乗せられて家に戻り、ゲージから出ると、待っていたおばあさんがいろいろと声をかけて、しばらく体をなでてくれた。ワタシは目を細めて、ニャーと鳴いてこたえた。そしてストーヴの前に座り、ワタシはいつものように毛づくろいをはじめた。
 その後、二人はいつも以上に、ワタシにやさしくしてくれた。それから一ヶ月たったある日、突然のことだったが、あのおばあさんがワタシの前からいなくなってしまった。おばあさんの部屋は黒と白の幕で仕切られ、煙が立ち込めていた。そして、たくさんの知らない人たちが家にやって来て、着物を着た人が鐘を叩いて鳴らし、何事かを話し続け、その傍で息子が泣いていた。
 次の日、日の当たるベランダの椅子に座って、息子はワタシを抱きしめ、「とうとう、オレたち二人きりになったな。」と言って、また涙を流していた。
 ・・・と、すっかり涙もろくなった飼い主は、もう今日はこれ以上、書けないと言っております。生きていれば、だれにとってもツライ時があるものなのです。

ワタシはネコである(21)

2008-02-11 11:56:46 | Weblog
2月11日 昨日は一日いい天気だった。今日も引き続き晴れの予報だったが、すぐに雲が広がってきた。洗濯しようとしていた飼い主が、これはダメだと窓の外を見ていた。
 何事も予定どうり、思ったとおりには行かないものだ。むしろなんでもない日常の一つ一つのことが、そのとおりにできただけで、小さなラッキーなのだ。当たり前のこととして、毎日を送り、生きていること、よく考えると、それらのすべてが、小さなラッキーの連続なのかもしれない。
 そのとおりに行かないことで、悔やんだり、誰かのせいにしたところで、現実は変えられない。そんな不満を持って、いやな気持ちのまま毎日を過ごすより、今ある小さなラッキーを喜んだ方がいい。
 ワタシが日々、こうして心穏やかに生きていられること、それだけで十分なのだが、前日に話したように、そこに至るまでには様々な苦難の日々があったのだ。
 さて、寒い冬の夜、この家の息子にドアから外へ蹴り出されたワタシは、次の日からエサも食べず、水も飲まず、死を待つかのように、毎日、ただじっと座っていた。さすがに三日目ぐらいから、ワタシの異常に気づいたおばあさんと息子が、何とか食べさせようと、高くて日ごろは食べさせないネコ用カンヅメまで買ってきて、目の前に差し出したのだが、ワタシは食べる気にもならなかった。
 息子はワタシに無理に食べさせようと、口を開けさせて食べ物を入れようとしたが、ワタシは飲み込むことができなかった。水も飲まないので、口の中は乾き、ネバつくほどだった。体力の限界が近づいていた。
 五日目の夕方近く、ワタシは何とか立ち上がり、ニャーとかすれた声で小さく鳴いて、外に出してもらった。気力を振り絞って、フラフラしながら、時々休んで、やっとのことで、家から100mほど離れた所にある、枯れたススキの草むらで腰を下ろした。
 そこは風もなく、しばらくは日も当たって暖かかった。しかし西日の影が差し、夕暮れが迫ってきて、冬の寒さが一気に忍び寄ってきた。ワタシはそのまま座り続けていた。
 その時、ガサゴソと音がして、息子が現れ、ワタシを抱き上げた。息子はヒゲヅラの頬をワタシにすり寄せて、涙声で言った。「ミャオ、オレが悪かった。死なないでくれ。病院に行こう。」

 ・・・と、ここまで書いてきた飼い主が、「思い出してつらい、残りは明日ということにしてくれ」と言って、机から離れた。

ワタシはネコである(20)

2008-02-10 11:22:47 | Weblog
2月10日 昨日は、一日中、雪が降ったりやんだりの天気だった。ワタシは、午前中と夕方にトイレに出ただけで、ストーヴの前で横になって、いろいろと昔のことを思い出していた。
 ワタシは考える、時には深い思索にふけるときもあるのだ。馬鹿にしてはいけない、たかがネコごときにと。そういえば、前に飼い主が話してくれたことがある。
 「ネコの脳は、生き物の中では、基本的には人間の脳と同じくらい高度に発達している。違っているのは、人間は脳の前頭葉の言語中枢が発達しているくらいのものである。・・・つまりオマエたちネコは、言葉を話せない以外は、人間と同じように様々な感情を持ち、行動することができるのだと、エライ先生方が言っている。
 だからオマエが日ごろの自分の思いを表現できるようにと、肉球でパソコンのキーボードを打てないオマエに代わって、オレがこのブログを書いているわけだ。」
 まあ、そんなコムズカシーことはどうでもいいが、ワタシが思い出していたのは、四年前のちょうど今頃のことなのだ。余り思い出したくもないことだが、それは、あの四日間閉じ込められた事件以上に、ワタシの命にかかわる出来事であったし、そのことで今のワタシと飼い主の関係が深められたともいえるのだが。
 それは、まだおばあさんも元気でいたし、"北の国から"かぶれの息子(今の飼い主)も冬の間、戻ってきていた頃のことだ。
 その頃は、まだワタシのためのネコ通用門はなく、出たいときには鳴いて知らせていた。特に夜中は、おばあさんは年寄りでムリだから、息子の部屋の前で鳴いて、出してもらっていた。夕方トイレに出れば、それで朝まで大丈夫なときもあったが、ネコにとっては、夜中にもいろいろと用事があるものだから、一度、二度と外に出たくなる。そのたびごとに息子は、寝ぼけ眼で起きてきて、文句を言いながらもドアを開けてくれた。
 ある寒い夜のこと、みんなが寝静まった真夜中に、ワタシは他のネコたちからの誘いもあって、何か落ち着かず、二度三度と出入りを繰り返していた。しかし時間をおかずにドアの前でミャーミャーと鳴くワタシに、ついに息子が怒鳴り声を上げて部屋から出てきて、ワタシを玄関のドアの外へと蹴り出した。
 ・・・今までこんな手荒い仕打ちを受けたことはなかった。ショックだった。しばらく外を歩き回ったが、ぼーぜんとしたままで、あの息子の怒鳴り声が頭の中に響いていた。 
 しかし、どこかよそに行くにもこんな山の中、他に頼る家もない。あの家に戻るしかない。朝になって、家の中に入れてもらい、すぐにおばあさんの部屋のコタツの中にもぐりこんだ。
 その日から、五日間、ワタシは食べることも、ついには水を飲むこともなく、ただじっと座っていた。体が弱ってきていたのは分かっていたが、動くことができなかった。
 と、飼い主はここまで書いてきて、「本当にすまなかった。悪いことをしたと思う。今、このことを書いていてもつらい気持ちになる。一気に書けないから、続きは明日にしてくれ。」と言っております。