ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(45)

2008-04-23 17:50:34 | Weblog
4月23日 昨日も晴れの天気で、気温も23度まで上がる。これで五日間も天気の良い日が続いたことになる。
 しかし、ワタシは家に帰ってきて、もう一週間以上になるというのに、相変わらず体調はすぐれず、体がだるく、何もする気にならない。ただベランダで横になっているだけ。サクラの花びらが降りかかる中で、ワタシは哀しい思いで、あの良寛さんの一句を思い出した。「ちるさくら のこるさくらも ちるさくら」。 
 そして今日のことだ。昨日の夕方、また飼い主が、電話で動物病院の先生と話していたから、何かあるなとは思っていたのだが。朝、もう寒くはないのにストーヴの前にいたワタシを、飼い主が呼ぶ。少し日も差していたので、外に出るのかと思いついて行くと、例のネコ・ケージの中に誘い入れられた。
 しまった、謀られたと思ったがもう遅い。元気のない声で、それでも力を振り絞ってミャーミャーと鳴き続けたが、飼い主はワタシをクルマに乗せて走り出した。
 思い起こせば、4年前、病院に連れて行かれたときと同じだ。あの時は、今以上に弱っていたが、閉じ込められたダンボールの中で猛烈に暴れまくったのだ。半ノラとして育ってきたワタシは、狭い所に閉じ込められたのも、クルマに乗せられたのも初めてだったからだ。
 病院に着いて、診察台の上に乗せられる。ワタシは他の人に体を触らせないのだが、このセンセイにはどこか見覚えがあったし、扱い方が上手で、それに飼い主もさわっていてくれたので、おとなしくしていた。
 体の毛を一部剃られた後、注射が二回、体が動くほど痛かったが、何とか我慢して、さらに体の一部を切られ、その傷口を洗われて、その後にも二度、注射をされて、やっとのことでネコ・ケージに戻された。
 飼い主は、センセイに何かを言って頭を下げ、ワタシをクルマに乗せて、家に戻った。ケージから出されて、しばらくの間、ワタシはまだ興奮が残っていて、ベランダや家の中をあちこちと歩き回った。
 そして、体が今までとは違う、何かこう、動きたいような気分だった。われながら驚いたことに、もう二週間近くも食べていなかったキャットフードを食べたのだ。他にサカナも少しもらい、ミルクも飲んだ。
 外は、雨になって、出られなかったが、久しぶりにゆったりとした気分で、いつもの座布団の上に座っている。気温は16度、ストーヴもついていないが平気だ。飼い主は、パソコンの前で手先を動かしていた。ああ、穏やかな午後だなあ。

 「終わりよければ、すべてよし。困難な物事も終わってしまえば、何だそんなものだったのかと思ってしまう。今回のミャオのこともそうだった。
 この二週間、まずミャオの精神的なショックと、次に肉体的なダメージをともに、ワタシが傍で見守っていてやることで、回復させようと思っていたのだが、そう簡単に、自然に解決するような問題ではなかったのだ。
 ミャオはいつまでたっても元気にならないし、といって差し迫ったふうでもなかった。4年前に病院に連れて行く時に、大暴れして嫌がったこともあったから、なるべくならと、ずっと様子を見てきたのだが、しかし、もうそれも限界だった。
 病院に連れて行く時も、さすがに嫌がって鳴いたけれども、もう年寄りネコになったからだろうか、暴れるほどではなかった。
 先生の診断は明快だった。『相手に咬まれた傷口が化膿して腫れあがっています。切開してウミを出してしまいましょう。これじゃアゴを動かせないし、食べられないわけだ。』
 私から見れば、まさしくゴッド・ハンドを持った先生は、手際よく、診察台の上で手術をしてくれた。その間ミャオは、意外なほどに借りてきた猫のようにおとなしかった。ともかく、案ずるより生むがやすしの言葉どうり、今までインターネットなどで調べたいろいろな病気への心配は、病院に来たことですべて消え去ったのだ。
 今、ミャオは元気になった。食べることも、歩く姿も、その顔つき、目つきも、鳴き声も本来のミャオになりつつある。もうしばらくすれば、元通りになるだろう。
 しかし、私が北海道に行けるのは、とうとう最初の予定より、四週間も先の連休明けになってしまった。春先の、あの北の大地の光景を見られなくなったし、そして雪の山々に登ることもできなくなった。それは残念なことだけど、その代わりに、私がここにいて良かったこともあるし、ミャオから学んだこともある。ミャオ、オマエといて本当に良かったと思っているよ。」