ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

リンドウの花の咲くころ

2020-10-06 21:24:02 | Weblog



 10月5日

 実に3か月ぶりに、山に行ってきた。
 もっとも、最近は、特に夏の間は2か月くらい空くことが普通になっていた。
 それまでは、夏は北アルプスや南アルプスなどの遠征登山をすることが多かったのだが、近年体力の衰えと、計画そのものを立てるのも面倒になり、まして今年は”コロナ禍”によって、とても遠征登山に出かける状態にはなく、最近続いている秋の紅葉遠征登山にも行けない始末だ。
 それでも見方を変えれば、いい時期に2年続けて栗駒山(2018.10.1,8)、焼石岳(2019.10.8,15)と紅葉で名高い二つの東北の名山に行くことができたことは、むしろ幸運だったというべきかもしれない。

 長い間が空いた時、むろんこういう時に行く山は決まっている。
 初心者から、お年寄り子供にまでやさしい、しかも高山帯の景観を併せ持った九重山である。
 その中でも、一番歩く距離が短いいつもの扇ヶ鼻(1698m)に登ることにした。
 駐車場のある牧ノ戸峠がすでに1330mの高さにあるから、標高差はわずか370m足らずで、都市近郊の低山歩きと変わらない。コースタイムは登りでも1時間半足らずで、往復でも3時間もかからない軽いハイキング気分で登れる山なのだ。
 しかし、低い山だとあなどるなかれ、季節を変えると第1級の景観を持つ山に変貌する。
 特に積雪期の霧氷に覆われた景観、頂上台地付近から眺める、九重主峰群と祖母・傾連山に阿蘇山群の眺めは、特に見事である。
 さらに同じ台地に群生する、初夏のミヤマキリシマ満開時の豪華絢爛(ごうかけんらん)さ。
 それは九重随一といわれる、あの平治岳斜面を流れ下るミヤマキリシマの、”滝ツツジ”とでも呼びたいようなあでやかさと、対をなす”お花畑ツツジ”の見事さがあり、さらにはこの初夏の季節に初めて見た、扇ヶ鼻の東側にある岩井川岳の”庭園ツツジ”の素晴らしさもぜひ加えたい。(7月8日の項参照)

 それではなぜ、紅葉にはまだ早く、何もないだろう今の時期に行ったのかというと、3か月もの空白を埋めるためには、先に書いたやさしい山であることと、もしかしたら紅葉のはしりが見られるかもと期待したからである。
 朝8時には牧ノ戸峠に着いたが、駐車場にはまだ7割程度のクルマがあるだけで、そこからの登山道もたまに一人二人の登山者に会うだけで、マスクをしている人は一人だけアゴにかけている人がいただけで、何より韓国などからのにぎやかな団体にも会わずにすんで、静かな山になっていた。
 しかし、歩きはじめの遊歩道の登りだけで息を切らしてしまったが、なあに急ぐことはない。体が疲れないようにゆっくり歩いて行けばいいのだ。
 紅葉は、ドウダンツツジがやっと色づき始めたばかりだったが、豊かな穂先をなびかせているススキが秋の山にふさわしかった。(写真上、沓掛山南面)
 何より、鮮やかな紫色のリンドウの花が登山道沿いに点々と咲いていて、何度も足を止めて写真に撮った。(写真下)



 そして、同じ秋のころに北海道や東北の高山帯に咲く、大ぶりで花冠が開かないエゾオヤマノリンドウを思った。
 北海道の高山帯では、他にも夏に、色鮮やかなミヤマリンドウやリシリリンドウなどが見られ、北アルプスにも咲く白いトウヤクリンドウは、北海道ではクモイリンドウとも呼ばれていて形も大きい。

 天気は少し雲が広がった時間帯もあったが、ほとんど青空が広がっていて、まだ少し暑い日差しを和らげるかのように、さわやかに吹きつける秋の風が心地よかった。
 メインルートである九重本峰群へと向かう道と分かれて、扇ヶ鼻台地への急な登りになる。登り切って、まず台地の東端まで行って眺めを楽しみ、戻ってそのままゆるやかな道をたどり、頂上に着く。
 それぞれひとりで登ってきた3人に出会っただけでの、静かな山頂だった。(山頂西端から九重主峰群)



 一休みした後、まだ午前中だが、早めに下山することにした。
 来た道を戻るだけだが、道端の草花を見ていく楽しみがあり、夏の花の薄紫のホタルグサや黄色いミヤマアキノキリンソウに、季節外れに咲いているミヤマキリシマツツジ、さらには来春用にもう幾つものツボミをつけたアセビなどを眺めては、休み休みしながら駐車場にたどり着いた。
 休みを入れて往復で5時間もかかったが、体力的にはまだ少し余裕が残っているくらいで、年寄りにはいい山歩きだった。

 今回の記事のタイトルを”リンドウの花咲くころ”にしたのは、今回こうしてリンドウの花が咲く登山道を歩いていて、子供のころに聞いた覚えのある、島倉千代子の「りんどう峠」の歌を思い出しからだ。
 馬の背に揺られて、峠を越えて隣村へと嫁いでいった姉さんのことを歌ったもので、島倉千代子のきれいな高い歌声が、娘心の思いにふさわしかった。

 ”りんりんりんどうは濃紫、姉(あね)サの小袖(こそで)も濃紫・・・。”
 という歌詞は西条八十(やそ)作で、作曲は古賀政男という、当時の日本の歌謡曲界を代表するコンビによるものだったのだが、私は長らく、その歌詞を間違えて覚えていた。それは”りんりんりんどうは小紫、姉さの心も小紫・・・。”と自分勝手に解釈していたのだ。
 こうして、間違えた歌詞をそのまま覚えていることはよくあることで、童謡の「ふるさと」も、子供のころは”ウサギおいしい鹿野山”と、つまり”鹿野山で捕まえたウサギの肉は美味しかった”のだと長らく思っていた。
 ましてや、長い人生の中で、人に対して物に対して、間違った理解の仕方をしていたことがどれほどあっただろうか。それも、今もそのまま気づかずに、誤解のままだったりして・・・。

 さて自然の中を散策する時に静かに流れ来る音楽はといえば、ベートーヴェンの第4番交響曲「田園」が有名だが、未完成のものも含めて10曲もの交響曲を作曲したブルックナー(1824~1896)は、”逍遥(しょうよう)の音楽家”ともいわれているが、多くの時間を教会のオルガニストとして過ごし、同じような交響曲を飽きることなく書き続けた彼の思いは何だったのか、自分だけの”ブルックナー王国”にいることが幸せだったのか、その背中に哀愁を漂わせながらも、終楽章では輝く神の世界に到達したかのようなきらめきの中へと導いていく・・・。
 というのも、少し前に録画していたティーレマン指揮ウィーンフィルによるブルックナー交響曲8番を、とりあえず少しだけ聞くつもりだったのが、途中で休みながらもとうとう1時間半近く聞いてしまった。
 今やドイツ・オーストリア圏での指揮者では、第一人者になった感のあるティーレマン(1959~)の、全曲を暗譜で通した指揮ぶりが見ものだった。
 ドレスデン国立歌劇場オーケストラを率いながら、こうしてウィーン・フィルやベルリン・フィルとも名演奏を積み重ねていくティーレマンの、さらなる巨匠へと向かうだろう歩みが楽しみである。

 話は変わるが、このところ日本の古典文学の中でも特に平安王朝期の物語文学が気になっていて、「竹取物語」「宇治拾遺物語」「宇津保(うつほ)物語」「落窪物語」などと読み継いできたが、いずれも次の場面はどうなるのかという期待があり、それはいわゆる大衆文学の面白さにも似て、物語を通して多少の齟齬(そご)があったとしても、複雑な人間関係などがわからなくても、十分に物語の愉しみを味わうことができるのだ。
 もちろん、その時代にひとりだけ屹立(きつりつ)してそびえ立つ「源氏物語」の偉大さは分かるとしても、こうしてそれに先立つ様々な物語文学があったからのことだと、初めて理解することができた。

 前にも書いたように、今の時期にこの九州の家にいたことがあまりなかったので、さらにまた気づいたことがある。
 庭に生垣風に植えてあるキンモクセイの木は、冬の初めのころ帰ってきて、いつも伸びた枝先を剪定(せんてい)するだけだったのだが、今の時期は何ともう数週間前から、黄色い花を咲かせ始めていて、今では木の全部にびっしりと花をつけていて(写真下)、まあその香りたるや、ジンチョウゲ、クチナシと並んで、”三大香りの花””としての称号を受けるにふさわしい匂いが漂っている。



 全く、悪いことがあっても、いつもどこかにそれを埋め合わせる何かがあるはずなのだ、今まで気がつかなかっただけで。

 そして、このところの物語文学に一区切りをつけて、読みかけのままだった「新古今和歌集」に戻ると、ちょうど”巻四の秋の歌”の項で、その中から一首。

”虫の音も 長き夜飽かぬ 古里に なお思い添う 松風ぞ吹く” (藤原家隆朝臣)
(『新古今和歌集』上 久保田淳訳注 角川ソフィア文庫)

 つまり、この時期に家にいたことがあまりなかったので、知らなかったことがもう一つ。
 それは、夕方から鳴き始めた虫の声が、夜には盛りとなって、もう辺りの物音が聞こえないほどになり、これほどまでに秋の虫が鳴いているとは知らなかったのだ。
 それは北海道の家での、初夏のころにかけての、裏の林で鳴くエゾハルゼミたちの大合唱で、もう他には何も聞こえないのと同じことで。

 で私はといいますと、一日、誰と話すこともなく過ごし・・・心地よい静けさの中にいるのです。