9月23日
台風が近づいてきている。
数日、続いた晴れた日は終わり、朝から雨が降っている。
しかし、これはちょうど良いころあいだ。
軒下に並べたバケツに雨音が聞こえる。
”しとしとぴっちゃん、しーとぴっちゃん”
相変わらず、井戸ポンプが動かないから、もらい水を続けていて、手洗いや洗いものなどの生活用水は、この雨水に頼っていて、適度なころあいで降ってくれる雨は、私にはありがたい。
一方、台風による強風被害を受けた、千葉県全域に及ぶ惨状はと言えば。
広域停電が2週間にも及び、家屋破損だけでなく、さらに断水、電話不通、そして最初のうちは30℃を超える酷暑が続いていて、それは想像するに余りある不自由さだったのだろうと思う。
というのも、一年前、北海道日高地方の地震のために、全道的なブラックアウト状態が起きて、家でもその停電の状態が丸一日も続いて、その不便さたるや、一日中不気味な沈黙の中でただ待つことしかできないというつらさは、日常がいかに電気”パワー”に頼り切っているかを教えてくれたものだったのだが、そんな状態が長い所で2週間も続くとは・・・。
” のど元過ぎれば熱さを忘れ”のことわざがあるように、人はそのつらい出来事が終わってしまえば、時がたつとともに忘れてしまうものなのだろうが。
もっとも被害に遭わなかった、他の首都圏の地域の人は、幸運だったというだけで、通常の毎日の暮らしを続けられていたわけだから、被害を受けた千葉県民のつらい現実を、同じように受け止めることなどできなかったのだろうが。
いつもあげる例え話だが、アフリカのサバンナで、ヌー(ウシ科)の大群の中から一頭だけがライオンに襲われて食べられてしまい、それを遠巻きにして眺めているだけのヌーたち・・・。
この地球上に生を受けたすべての”生きとし生けるもの”、生き物たちはすべて、そういう運不運を甘受すべく生きるさだめなのかもしれないが。
さて、それでも季節は小さな足踏みを繰り返しながらも、確かな足取りで次の季節へと進んでいる。
数日前には、北海道の山々に初雪が降り、あの”イトナンリルゥ”によれば、山の上ではひざ下までも積もっていたとのことで、少し前までなら何はともあれ、雪と紅葉のコントラストを求めて、大雪の山々に向かったものだが。
わが家の庭でも、ハマナスの花が終わり、さらにはオオハンゴンソウやアラゲハンゴンソウたちの黄色い花が残り少なくなり、ユウゼンギクも盛りのころを過ぎ(冒頭の写真)、日向に咲いているものは鮮やかな紫色だが、これは日陰に咲いているので色あせて白に近い色であり、余計に季節のうつろいが感じられる。
この数日は、朝は7℃くらいまで下がり、昼間晴れていても20℃に届かないくらいで、すっかい秋めいてきた感じがして、そうなると自然に外に出たくなる。
まだヤブ蚊が少しいるが、あの夏の盛りのころの、うるさいアブやサシバエの類がいなくなっただけでもありがたい。
家の林の中を歩き回ると、いつものラクヨウタケが出ている。数は少ないが、酢醤油につけておいて二三度食べる分には十分だ。
そして今日は、朝から雨が降っていて肌寒く、最高気温も13℃くらいまでしか上がらない。夜半にかけて、台風本体の雨雲がやって来て、風雨ともに強くなるとのことだが。
その前に、屋根の軒下に、バケツを4個並べて置いているて、その屋根からの雨水が”しとしとぴっちゃん”と落ちて来てはバケツに溜まり、昼過ぎにはもう一杯になってしまう。これで、1週間くらいの生活用水には十分だ。
田舎暮らしをしていても、電気水道ガスなどのライフラインが来ていれば、さほど不便には感じないもので、現にわが家ではそれ以上に、水道がなく、ガスもプロパンガスボンベだが、何より電気が来ていて、あと買い物と近くの温泉に出かけるための足として、つまりクルマさえあれば、まあ何とか生きて行けるものなのだ。
冬の寒さは、ともかく家の中は薪ストーヴ一台で十分に温められるし、補助的にポータブルの灯油ストーブと小さな電気ストーヴがあれば、今日の雨の日のように10℃くらいの肌寒い日には、つけたり消したりで足元だけでも温められる。
つまり極端に言えば、電気とクルマがあれば、どんな山の中にいても、まあ何とか生活はできるものだし、それは私だけでなく、毎週テレビで見る、あのテレビ番組”ポツンと一軒家”が教えてくれることでもある。
先週、ここでもあげたあの映画「ライムライト」の中でチャップリンが言った言葉ふうに言えば、田舎暮らしに必要なことは、電気が来ていることとクルマがあること、そして少しばかりの自分の夢があればいいのかもしれない。
その自分にとっての、夢とは、望みとは・・・若き日のいくつもの憧れと希望の残滓(ざんし)の中で、それでも今沈む夕日を眺めながら、心に持ち続けてきたものとは、それは、私が私で在り続けられたものにほかならないのだが・・・そうして今まで生きてこられたことを、ただただありがたく思うだけだ。
私は思い出す。
周りの歓声の中、ゴール間近のスクラムが崩れて、モール状態になり、そのかたまりの中からナンバー8の彼が私にボールをパスした。
私は、敵陣の人垣が途切れたところをねらって、ただ飛び込むだけだった。
体ごとインゴールに倒れ込むと、敵味方が重なって私の上に倒れ込んできた。
レフリーの笛が鳴った。”トライ”。
後にも先にない、私の生涯ただ一度だけのトライの瞬間だった。
若き日の、ラグビーの試合での大切な思い出である。
昨日は、W杯ラグビーのアイルランド対スコットランド戦が行われており、同じ時間帯で大相撲千秋楽の優勝をかけた取り組みも放送されていた。
外国ラグビーのテレビ放送は、今までNHK・BSでたまに放送されるくらいで、あまりいつも見られるというスポーツ番組ではなかったのだが、今回は日本での、4年に一度の”ワールドカップ”ということで、多くの試合がNHKと民放の地上波で中継録画されていて、私はそのいくつかを見たのだが、もちろん日本の初戦ロシアとの闘いや、優勝候補同士のニュージーランド対南アフリカ、そして昨日のアイルランド対スコットランドと見ごたえのある試合ばかりだった。
もちろん、世界ランク10位の日本と優勝候補に挙げられているチームとの差は、ここまで見てきた中でも、はっきりとあるし、目標であるベスト8でさえ容易ではないだろうと思うけれども、動かないヤマはないのだから、大相撲が明らかに白鵬の時代から次の時代へと変わろうとしているように、まだ中位レベルの日本が、上位チームを倒す日が来ることを期待したい。
それにしても、百戦錬磨のヨーロッパのテレビ中継スタッフの撮る画像の素晴らしいこと。
まだまだ日本は、ラグビー・チームとしても、それを撮るテレビ・チームとしても学ぶべきことは多いはずだ。
その昔、大学ラグビーが全盛を極めていたころ、毎年早稲田と明治の早明戦で歴史に残る名勝負が数多く生まれ、その学生の覇者が、社会人ラグビーの勝者と闘って、日本一にもなった時代があったというのに、以後学生と社会人との差は大きく離れてしまい、ただ新日鉄釜石と神戸製鋼さらには三洋電機やサントリーの名前が残るだけになってしまった。
思うのは、それらのスポーツがこれからも、様々な形で発展していくだろうということである。
戦争で国と国が戦うのではなく、スポーツで国と国が闘うのは、実に良いことだと思うし。
私が子供のころには、スポーツと言えば、相撲と野球だけだったのに、今やサッカー、ラグビーだけでなく数多くのスポーツ競技がテレビ放送されていて、様々な形で人々の間に広く浸透していっている。
殺し合いをする戦争よりは、はるかに良いことだ。
しかし、世界には、それだけでは解決できない、不安定な多くの危険要素をはらんだ諸問題があることも確かだ。
そして、これらのことは、手練手管(てれんてくだ)にたけた年寄りたちの外交交渉で、これまで何とか解決されてきたのだろうが。
しかし、そこからは、現状を変えなければならない大きな変革への決断は生まれない。
これからの世界を地球規模で考えるためには、これからの時代を生きて行く若い人たちが、自ら向かう方向を示すべきだと思う。
だからこそ、今、地球温暖化防止のために世界中の若者たちが立ち上がり声をあげているのは、至極当然なことだと思えるのだが。
まあ、人それぞれの性格もあって一筋縄ではいかないし、老人と若者との間の経験や理解力の差もあるのだけれども、年寄り自らが身を引いて、若者の活躍の場を作ってやるのも、人間としての責務の一つではないのだろうか。
併せて、その年寄りが、余生を静かに生きて行くのは、自分の時間を大切に使うことにもなると思うのだが。
” だが、時間を残らず自分の用のためだけに使い、一日一日を、あたかも最期の日でもあるかのようにして管理する者は、明日を待ち望むこともなく、明日を恐れることもない。
実際、いつか将来のひと時がもたらしてくれるかもしれない楽しみとは、いったい何なのか、彼にはすべて既知(きち)のもであり、すべてはすでに飽きるまで堪能(たんのう)したものである。
それ以外の未来のことは、望むがまま、時の運に決めさせてやればよい。”
(『生の短さについて』セネカ著 大西英文訳 岩波文庫)