ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

厳然とひかれた一線

2023-01-29 21:34:51 | Weblog



  1月29日

 上の写真は、庭の片隅にできた小さな雪庇(せっぴ)である。ああ、雪山を歩きたい。

 この1週間、毎日北風に乗って雪が吹きつけ、積雪はとけることなく5㎝~10㎝と積もったままで、寒い日が続いている。
 わが家は九州北部の山の中にあるから、冬は日本海側の天気の影響を受けて、寒いし雪も多く、かつてには一日に40㎝積もったこともあるくらいだ。
 さらに、古い家だからすきま風が多くて、石油ストーヴを置いていない部屋では、4℃くらいにまで下がるから、何枚も重ね着をしなければならない。

 今ごろの時期は、冬山登山の最盛期で、いつもならばここぞとばかりに、一月に一二回は山に行っていたのに。
 というのも、去年の夏に山頂まで行かずに引き返したことがあってから、本格的な山登りからは遠ざかってしまい、低い山へのハイキングや長距離散歩をするだけになってしまったからだ。
 もちろんそれには、一年半前の手術入院という出来事があって、心身両面ともに障害を受けたことによるものが大きいのだが。
 そして間が空けばあくほど、年寄りであるがゆえに、体力的に元に戻すのは難しくなる。
 しかし、山登り自体をあきらめているわけではない。
 あの年で鍛錬を続けていて、南米のアコンカグアを目指すという、三浦雄一郎さんとは比較にならないけれど、まだまだ夏や秋に登りたい山があるし、こんな私でも登れる山はいくつでもあるはずだ。
 問題は計画を立てて用意算段をして、実行する勇気があるかどうかだ、”言うは易(やす)く行うは難(かた)し”の言葉通りに。
 残された時間は、もうあまり残っていないのだから・・・行くなら、”今でしょ”、なのだが。

 さて、今回のこの記事も、結局一か月に一度という、いつもの”ぐーたらペース”になってしまい、それも、今月半ばにある出来事があったので、意図するところとは異なり、特別な回になってしまったのだが。

 ところで、昔は数十枚出していた年賀状も、今では必要最低限の十枚ほどしか出していない。
 そんな年賀状でのあいさつを、数十年にわたって交わしている、学生時代の3人の友達がいる。
 年賀状に書く短いあいさつだけで、お互いの現況を確かめ合っているようなものだが、今年はそのうちの一人からの賀状が来ていなかった。
 そして、今月の半ばになって、彼の奥さんからのハガキが届いた。 
 彼が去年の暮れに亡くなって、すでに家族葬で見送りもすませたと書いてあった。
 ・・・。

 彼をめぐる思い出が、私の中でいっぱいに広がった。
 そのことを懐かしんで、語り合う相手はもういないのだ。
 思えば、母が亡くなった時、そのことを強く感じた。
 私と母との間にあった様々な出来事を話し合える相手は、もう誰もいないのだということを。
 私と彼との間にあったいくつかの思い出は、もう分かり合える相手がいない今、ただ私の胸に思い出として残るだけなのだ。

 人が死んでも、その人はいつまでも残された人の胸の中で生きているというけれど、そうではない。
 亡くなった人は、もう私たちの生きていく時間の中に、生きている人として戻ってくることはないのだ。
 ただ私たちは、自分の胸のうちで、思い出でとして繰り返すことしかできない。
 死とは、こちら側の生と厳然と区別するために、最終決定された否応なしの強い一線なのだ。
 ・・・。
 だから私たち、生きものは、その定めの日が来るまで、本能としての生の中で、しっかりと生きていかなければならない。
 生きるためにこの世に産まれおちた、すべての生物に、自ら死ぬ権利などない。
 ただあるとすれば、究極に生きるための思いを込めた先に、死があるということなのだろうが。
  
 彼の死を告げる知らせが届いてから、もう2週間がたとうとしているが、いまだに彼のことが頭から離れない。
 彼は、その昔、同じ学校で学ぶ親しい4人の仲間の一人だった。
 その学生時代の専門課程での2年と、その後私も就職して、東京で働いていた10年間での、付き合いがあったのだが、もう長い間会っていなかった。
 しかし、学校での思い出や旅行での思い出に、地方の旧家でもあった、彼の実家に泊まらせてもらった時の思い出など、いくつも思い返すことができる・・・。

 彼が毎日同じダッフルコートを着て、同級生だった奥さんと肩を並べて、教室に向かうスロープを上がって行っていた姿を、今でも思い出す。
 そして二人は結婚し、私も司会者として参列したのだが、彼はそこでビートルズのあの名曲、”The Long and Winding Road"を歌っていた。
 彼は、就職先のテレビの報道番組の編成スタッフとして、番組のエンドタイトルで名前が流されるほどになっていたのだが・・・。

 ”日も暮れよ 鐘も鳴れ 月日は流れ わたしは残る”

 (『アポリネール詩集』より「ミラボー橋」堀口大學訳 新潮文庫)

 ”世の中は 空(むな)しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり” 

(「万葉集」巻五‐七九三 大伴旅人(おおとものたびと)伊藤博訳注 集英社文庫)