ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(1)

2008-04-13 15:35:27 | Weblog
4月13日 曇り空、午後には雨になるという予報だ。
 同じように、私の心も重たい曇り空のままだ。ミャオが帰ってこない。待っても、待っても帰ってこない。
 こうして書くことも辛いのだが、ともかく心の区切りをつけなければと思う。
 去年の秋の終わりに、この九州の家に戻ってきてから、五ヶ月近くの間、私はもちろんミャオも、一日じゅう家を空けるということはなかったのに。それなのに、もう二日もミャオが帰ってこないのだ。まだミャオが若かったころには、一日二日と帰ってこないことがたまにはあった。しかし年をとってきた最近は、そんなことはなく、むしろ私とベッタリ一緒に居たがっていたのに。そのミャオが帰ってこない。
 一昨日、私が思っていたことがその通りになったのだ。飼い主からベランダに出されたばかりか、エサの皿も外に出されて、ガチャリと内側からドアを閉められれ、カーテンを引く音も聞こえ、ミャオは気づいたのだ。今まで何度もあったことだが、飼い主が長い間いなくなるのだと。ノラネコの生活が始まるのだと。
 犬は人につき、猫は家につくと言われているが、正確には猫は人のいる家につくのだ。つまり私のいない間、ミャオは家でじっと待っているわけではない。500mほど離れた所にある、エサをくれるおじさんの家の近くにいるのだ。
 それが分かっていても、私はそのおじさんの家に行ってみるわけにはいかないのだ。北海道に行くまで、あと数日しかない。ミャオを呼び戻しても、数日後には、またミャオを辛い目にあわせなければならない。
 しかし、私としても辛いことだ。ミャオがいなくなったこの二日、エサをくれるおじさんの家とは逆だけれども、いつもミャオと一緒に行く散歩のコースを、あちこちにたどり、何度もミャオの名を呼んでみた。山の斜面には、野焼きの後に点々とキスミレが咲いていた。空は晴れて、温かい春の風が吹いていた。いつしか、目に涙があふれてきた。
 (・・・と、ここまで書いてきて、また涙が出てきて耐えられなくなった。3時間ほど中断して、テレビのお笑い番組などを見て、ようやく落ち着いてきた。母が亡くなって以来のことだ。)
 しかしミャオは、死んで私の前からいなくなったわけではない。ただ長い間、二人っきりで暮らしてきたものだから、その毎日に慣れていて、そこで相手が急にいなくなると、その寂しさが身にしみて、何を見るにつけ思い出してしまうのだ。
 愛猫がいなくなった話で有名な、あの内田百の「ノラや」(文庫本)ほどではないにしても、毎日、日記に書きたいほどの気持ちはよく分かる。誰でも飼い猫に去られると、身内を失ったかのように辛いのだ。
 そして去る人よりも、残される人のほうがはるかに辛いのだ。どこかへ行く人は、目的があって行くからまだいいけれども、残された人は、その人の毎日の生活の残り香と共に、これからを暮らしていかなければならないからだ。
 ところが、私はいつも、旅たつ人の側にばかりいた気がする。今まで私は、残された側の気持ちを十分に分かっていたのだろうか。ホームに見送りにきて、私との別れに、いつも涙を流してくれた若き日の彼女、東京へ、北海道へと旅立つ息子を家の中から見送ってきた母、そして何もいわず私が出て行くのを見ていただろうミャオ・・・みんなみんな、私が悪いのだ。
 しかし涙を流し、自分を責めてばかりはいられない。ともかく私は、北海道に行かなければならないのだ。そこには、切り開いたカラマツの林の中に、自分の力だけで建てた家が、私を待っているし、あの日高山脈の山々もまだ白い雪に覆われて輝いていることだろう。 
 ミャオ、オマエがあのおじさんの家の近くに行ったきりで、私がいないだろうこの家に戻ってこないのは、その気持ちはよく分かる。飼い主のいない家で、その残り香をかいで、いつ戻るとも知れない飼い主を待っていて、一体、何の腹の足しになるだろうか。まず自分が生きていくこと。オマエは賢いネコだから、しっかりと自分で判断したのだろう。
 私も、今はもう、オマエを探しに行くのはやめようと思っている。とは言っても、今すぐにでも会って、オマエを抱き上げその体をやさしくなでたいのだが、しかし、そうすれば、すぐにまたいなくなってしまう飼い主に、オマエは混乱し、辛い気持ちになるだけのこと。
 オマエも私も、まだまだ乗り越えなければいけないことがたくさんある。今は、また必ず会えることを信じて・・・ミャオ、元気でいてくれ。