ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(40)

2008-10-26 07:55:12 | Weblog
10月26日
 拝啓 ミャオ様

 二日前の嵐で、家のまわりは、樹々の折れた小枝や、盛りの紅葉の葉などがあちこちに散乱している。その落ち葉の上には、さらに黄色く色づき始めたばかりのカラマツの葉が舞い落ちている。
 その嵐の時の、南からの生暖かい風に代わって、北からの風が吹いている。北海道内の、週間天気予報では、北の地域でついに雪のマークがつけられた。もう初雪が降るのもそう遠くはないだろう。
 そんな雪の季節を先取りするように、大雪山の旭岳に登ってきたのだが、これはその前回の記事からの続きである。
 
 旭岳北面の硬い雪の斜面を下りてくると、そこは熊ヶ岳との鞍部になっていて、夏は指定キャンプ地としてにぎわうところである。風もなく、私の靴のアイゼンの音だけが聞こえている。
 右手の後旭の方へ一筋に、何日か前のキタキツネの足跡が続いている。ゆるやかに熊ヶ岳のカルデラの稜線へと登っていく。振り返ると、純白の雪に覆われた旭岳が、なだらかにそして滑らかに光り輝いている(前回の写真)。
 こんな穏やかに見える山容だからこそ、悪天候の時やガスに包まれた時などは、方角が分からなくなってしまう。目標物の少ない山だけに、天気の悪い日に道に迷うと、危険なのだ。
 ロープウエイで五合目まで上がれて、たやすく登れる山だからこそ、夏場に数多くの遭難事故が起きているのだ。山は、晴れた日に登るにかぎる。
 熊ヶ岳からなだらかな稜線を歩いて、間宮岳に着く。巨大なお鉢カルデラから吹き付ける風が冷たい。振り返ると、まっ平らな間宮岳の雪原の彼方に、熊ヶ岳、旭岳、後旭と並んで見えているが、その後には取り囲むように雲が湧き上がっている。
 硬くしまった雪の稜線を北に向かって下っていく。お鉢カルデラ側には、降り積もった雪が1mほどの雪堤になって続いている。そのカルデラ壁が続く向こうには、白雲岳が見えている(写真)。
 ただ今回残念だったのは、一度雪が降り積もった後、さらに雪混じりの厳しい北西の風が吹き付けるような、冬型の季節配置にならなかったために、あの風紋やシュカブラ、エビのしっぽ(いずれも風と雪が作る造形)がほとんど見られなかったことである。
 目の前に聳える北鎮岳との鞍部から、左に回りこんで、半分ほど雪が解けて、黒い火山礫が見えている小尾根を下っていく。そこから南面のジグザグの道を、やわらかい雪にはまり足をとられながら沢に出る。硫黄臭が漂い、岩に仕切られた露天風呂がある。中岳温泉であるが、冬場はぬるくてとても入れたものではない。
 流れに沿って下っていくと、熊ヶ岳と旭岳の裾野が作る広い盆地に出る。裾合平である。夏は、その一面に広がるチングルマの花が素晴らしい、恐らくは日本一の大群落だろう。秋の紅葉の時期もまた見事である、まして背後の旭岳が白い雪に覆われていればなおさらのことだが、一月ほど前に紅葉の時期は終わり、半ば雪に埋もれていた。
 そしてこの旭岳の裾野を回りこむようにして、姿見への道が続いている。道は、意外にも固い雪に覆われていて、余りぬかるむこともなく歩きやすかったのだが、何しろ一ヶ月ぶりの山歩きで、もうすっかりバテバテの状態だった。
 それでも何度か休みながら、姿見の鏡池にたどり着き、そこでしばらくの間、旭岳が夕日に染まる姿を眺めて、ロープウエイ駅へ。
 最終5時の一つ前のゴンドラに乗り、そして少し離れた所にある駐車場に着く。8時間余りの山歩きだった。行って良かった、青空、雪山、ひとりだけの静けさ、他に何を言うことがあるだろう。
 後は、家に戻って、撮ってきた写真をパソコンの画面で見る。一枚、二枚、さあーん枚とナベアツふうに数えながら、ひとりニヤつくのだ・・・まったくわれながらネクラな趣味だと思うけれど。
 しかし、暗いところにいるモグラにはモグラの楽しみがあり、深海魚には深海魚だけの暗い海での楽しみがあるのだろう。そして、ミャオにはミャオの楽しみが・・・もうすぐしたら帰るからな。
 その前に、これから本州の山に登りに行ってくる。しばらく、便りを書けないけれど、戻ってきたらすぐに報告するつもりだ。
                       飼い主より 敬具

飼い主よりミャオへ(39)

2008-10-24 17:07:05 | Weblog
10月24日
 拝啓 ミャオ様
 
 昨夜から降り出した雨は、朝になって、風を伴う嵐模様になってきた。せっかく色づいたばかりの、林の樹々、モミジやカエデの葉が散っていく。この雨を境に、はっきりと冬が近づいてくるのだろう。
 その冬を先取りするように、三日前に山に登ってきた。なにしろ、足首の痛みを抱えていたために、前回の登山(9月24日、27日の項)からなんと、一ヶ月もの間があいてしまった。いつもなら、少なくとも一月に三四回は、山に行っていたのに、私としては、何ともツライ気持ちになってしまっていたわけで。もっともそのおかげで、家の林の中での薪作りのための仕事がはかどったのだから、何も悪い事ばかりとはいえないのだが。
 さて、その雪の大雪山に登るべく、朝5時に家を出る。狩勝峠、三の山峠にも、雪はおろか凍結した所もなかった。富良野の盆地に下りて、今度は旭岳温泉(旧湧駒別温泉)への道を登っていく。いつもの年なら、もう路面に雪があり、半分凍結しているのに、ロープウェイ乗り場の終点まで、雪を見ることもなかった。
 クルマの方は、もう10月の初めに、冬タイヤに換えているので心配はなかったのだが、まあ凍結路面に気を使いながら走るより、楽な方が良いけれど、それにしても山に雪が少ないのは、山岳景観上、私にとっては余り嬉しいことではない。ただし、山の上には、一面の青空が広がっている。途中ずっと曇り空だったので気になっていたが、この青い色を見ると、様々な心配は一瞬のうちに吹き飛んでしまう。
 8時45分の始発のロープウェイに乗って姿見の駅へ。観光客が20人余り、他に何人かの登山者の姿も。夫婦池から姿見の池へ歩いていく。雪は残雪模様で少ないけれど、凍りかけた池を前景にした旭岳の姿は、やはり何度見ても素晴らしい。
 そして遊歩道から分かれて、旭岳の登山道を登っていく。前方に、二人の登山者の姿が見えるだけ。右手には、トムラウシ山から十勝岳連峰への山並みが続き、富良野盆地を隔てた向こうには、夕張、芦別の山々の姿がはっきりと見えている。
それまでまばらだった雪も、八合目(姿見が五合目)辺りからは、固雪のま頂上まで続いている。一ヶ月ものブランクでバテバテになりながら、雪に覆われたなだらかな山頂に着く。
 何度となく登っている旭岳だが、いつも雪のある時ばかりで、つまり雪景色を見るために登る山なのだ。雪のない時期は、火山礫に覆われた山道は取り立てて見るべき花々もなく、北海道で一番高い山(2290m)という他には、格別に面白い山ではないからだ。
 そして、周りには少し雲が出てきたものの、今まで見えなかった他の大雪山群の山々が見えてくる。すぐ隣の後旭岳(ここから眺める旭岳は素晴らしい)、その後に白雲岳(2230m)、左に熊ヶ岳、さらに離れて北鎮岳(2244m)、比布岳などが並んでいる。
 そして、この頂上には私より先に、すでに二組の若いカップルの登山者が着いていた。挨拶をする。なんと二組とも外国人だった。一組はイタリアから、もう一組はスイスから・・・そして、日本人は私一人だけ。
 周りには雪に覆われた白い山々、彼らは地元の人たちで、ここはヨーロッパ・アルプスなのではないのか・・・欧米か!と、一瞬ツッコミたくなるほどだった。
 そしてイタリア人の二人は、すぐに頂上から登ってきた道を下りていったが、スイス人の彼は彼女と伴に、これから私がたどろうとする同じコースを行くつもりだと言った。
 私は、アイゼン(クランポン)がないと、この北斜面が心配だと言ってやった。私が、自分の靴にアイゼンをつけている間に、彼は様子を見るために、少し北側に下っていったが、すぐに戻ってきた。
 そして私の傍に来て、この斜面はなんとか下れると思うけれど、その先の岩場の所が心配だ、彼女と一緒だし、戻った方がいいのだろうと言った。
 この先に、岩場の所などないのだけれど、私は彼と握手して、二人と別れ、ひとり北斜面を下っていった。彼の靴跡が途切れた先には、もう何もない白い斜面が続いているだけだった。
 雪は、ずいぶん前に降り積もったままで、その後、下界の暖かさもあって、山にさらなる雪が積もることもなく、上の方が解けては固まりを繰り返して、すっかり春先のような固雪になっていた。
 かなりの急斜面だから、確かにこの凍結斜面では、アイゼン装着していないと、キックステップだけでは危険だと思う。最も下の方が平らな鞍部になっているから、スリップしたとしても大したことにはならないだろうが。
 程よく固い斜面に、アイゼンが気持ちよく効いている。下るにつれて、変わってゆく雪山の景色を、時々立ち止まっては眺め、カメラを構える。いいなあ、山はいいよなあ。(写真は熊ヶ岳への登りから見た旭岳北面)
 この続きは、次回に。 
                      飼い主より 敬具

飼い主よりミャオへ(38)

2008-10-20 17:43:38 | Weblog
10月20日
 拝啓 ミャオ様
 
 昨日、今日と曇り空が続いていたが、午後からようやく晴れてきた。衛星画像で見ると、それまでは北海道の中で、十勝、釧路、根室の道東だけに、雲がかかっていたのが良く分かる。初夏の頃の、オホーツク海高気圧が張り出してきた時の天気と同じだ。
 しかし寒くはない。気温は、平年よりは大分高めで、朝から10度もある。日が差さない時でも、15度以上にはなるから、日中、仕事する時にはTシャツ一枚でちょうどいい。
 そうなのだ、前回書いたように、知的な仕事に携わっているわけでもない私には、体を動かし働くことが一番似合っているのだ。それはまた、「小人、閑居して不善を為す」の言葉にならぬようにという思いもあって、例のごとく、今は家の林の中での丸太の皮むき作業を続けているのだ。
 
 ところで、我が家の林は、七反歩(ななたんぶ)ほどの広さがある。一町歩(約一万平米、つまり約100m四方)ほどのカラマツの林を買い、そのうちの三反歩ほどを切り開いて家を建て、残りをその林のままにしている。
 樹々や林が大好きな私だから、もっと広い土地が欲しかった。せめて五町歩くらいあれば、そしてそこに小川が流れたりしていれば、理想的だったのだが。当時の私の予算では、やはり一町歩程で納得するしかなかったのだ。
 もっと人里離れた所へ行けば、同じお金で何倍もの広さの土地を買うことができるだろう。しかし、道がなければ自分で作らなければならないし、電気、電話線は引き込むのに費用がかかる、さらに冬の除雪の問題はどうする、などなど土地を買う以上のお金が必要になってしまうのだ。
 そのことを分からないで、あのバブルの時代に、北海道の原野や山林を買った人たちが大勢いた。彼らは、投機目的というよりは夢を買ったのかもしれないけれど、恐らくは現地の状態を見に行ったこともないのだろう。道もなく、電気も引けないような所だと知っていたのだろうか。
 もちろんそんな土地だから、転売しようにも買ってくれる人など誰もいない。そこに、原野商法などの悪徳業者が入り込む余地が出てくるのだが。ともかく土地を買った彼らは、毎年幾らかの不動産所有税を払いながら、夢と伴に、その土地を持ち続ける他はないのだ。
 北海道の市町村役場の窓口で、土地登録の地図を見せてもらうと、本来、五町歩単位くらいで区切られている畑や原野山林の一部に、ひどく込み入って記載されている所があるのに気づく。それは、例えば一町歩位の広さの土地が、短冊状に10か20位に、つまり300坪から150坪位に区分けされて登録されているのだ。
 長年、全く利用されていないそんな土地は、それこそ原野、林の状態のままで、自然環境としては良いことなのかもしれないが、地元の方で、道を作ったり何かの施設を作ったりする時は大変だ。わずか一町歩ほどの狭い土地を買い取るのに、何十人もの地主を相手に交渉しなければいけないことになるからだ。
 私はそうしたことなどを調べた上で、さらに知り合いの紹介という安心もあって、なんとか安く土地を買うことができた。そこはちゃんと道に面していて、それに沿って電気電話線も通っているし、残る水については井戸を掘ればいいのだ。とはいっても北海道の田舎だ、隣の農家とは数百m離れているし、左右方向の家とは1kmほどの距離があり、後ろはずっと林が続く丘陵地帯になる。
 周りは、50町歩、100町歩という大規模経営の農家ばかりで、そんな中で、わずか一町歩ほどの土地に住んでいる私は、少し気が引けるのだが、なんとかありがたく、そこに住まわせてもらっているのだ。 

 さてその私の林だが、カラマツがまだ二百本ほど生えていて、前の持ち主である農家の人が植えてから50年近くになる。今やもう、直径30cm以上もの大木になっているものもある。
 そのカラマツの木を、毎年、10本ほど切って、ストーヴや風呂の薪にしたり、その風呂小屋や薪小屋、そして車庫などの掘っ立て小屋の柱に使ったりして利用している。
 それはつまり、多すぎるカラマツの間伐材として利用することの他に、二次林として育ってきた他の木々の生長を助けるためでもある。できることなら、この植林されたカラマツは早く切ってしまって、本来の北海道の樹木だけにしたいのだが(北海道のカラマツは本州から移植されたものである)。
 シラカバ、エゾヤマザクラ、ハウチハカエデ、イタヤカエデ、ベニイタヤ、カシワ、ミズナラ、ミズキ、アオダモ、ホウノキそして針葉樹のアカエゾマツ、トドマツ、イチイ(オンコ)などの木である。それらの木が少しずつ大きくなっていくのを見るのは楽しいものだ。
 一方で、カラマツの木を切り倒して、丸太にしていくのも大切な仕事だ。チェーンソーで切り倒す時は、毎年死者が出るほどに危険な仕事だし、切り分けて丸太を自分の力だけで運び出すにも大変な労力がいる。
 丸太は、六尺(1.8m)、九尺(2.7m)、十二尺(3.6m)の長さに切り分け並べておいて、次の年に皮をむく。こうすると、卵の皮をむくみたいにバール(くぎ抜き用かなてこ)で簡単にむける(写真)。
 ただし、一年たつと、どうしても虫食いのあとが残るから、柱材として使う時には、切り倒してすぐに皮をむいておかなければならない。皮をつけたままの丸太は、三年以上たつと腐ってしまう。毎年全部の木を使い切れないから、恐らく半分以上はそうして腐らせてしまっている。まあ、それも今ある木々の栄養分になると思えばいいわけだけれども。
 薪用には、それらの丸太を40~50cm位の長さに切っていく。そして直径15cm位まではそのまま、それ以上は斧で薪割して使う。
 毎年の仕事だけれども、暖かいストーヴのためだけれども、体を使い汗を流して働くのは、やはり気持ちのいいものだ。それは、時間に余裕がある一人暮らしだから、できることかもしれないけれど・・・。
 九州にいるミャオにとっては、気ままな一人暮らしなどといってはいられない、切実な生きるための毎日なのだろうが。
  
                       飼い主より 敬具

飼い主よりミャオへ(37)

2008-10-17 16:55:24 | Weblog
10月17日
 拝啓 ミャオ様
 もう一週間以上も、晴れの日が続いている。それで、家の井戸水が涸れてしまわないかと心配になるほどで(今年は、春先に水が出なくなり、もらい水に行かなければならなかった)、ともかく雨が少ないのだ。北海道では、春先の早すぎる雪解けに始まって、それなのに遅霜があり、ヒョウの被害、夏の高温と秋の少雨など、地球温暖化によるかもしれない気象変化が問題になってきている。
 最近では、様々な有害動植物の分布地を越えた北海道上陸が報告されているし、今年の栽培野菜には、本州にしかいないはずの害虫が発生しているとのことだ。一方、寒冷地の米は美味くないといわれていたのは昔話で、品種改良の効果とあいまって、気温上昇による稲作適地化で、今や北海道米の評価はあのコシヒカリに迫る勢いだ。
 寒い北海道に住む人たちの殆どは、雪が少なくなくなり暖かくなるのは大歓迎なのだろうが、スキー場関係者などのごく少数の人たちや私にとっては、余り喜ばしいことではない。
 それには、地球的な規模での恐るべき温暖化を憂慮する思いもあるのだが、何よりも私にとっては、いつも楽しみにしている、冬の雪景色や雪の山岳景観を見ることのできる日が、少なくなくなる心配があるからだ。
 雪が降り積もってこそ、美しい景色がある。春先の新緑や花咲き乱れる夏、そして錦織りなす秋も素晴らしいけれど、何といっても山が一番見事に見えるのは、冬の雪に覆われた姿である。
 その白い雪に覆われた山を早く見に行きたい。天気の良かったこの一週間、その機会をうかがっていた。それなのに、行かなかった。理由はいくつかある。痛めた足首に不安があること、一日すっきりと晴れた日がなかったこと(ウェブ画像で見ると、昨日は予報に反して、一日中、雪の山頂が見えていた・・・残念)、さらにその雪の山が、その後はあまり雪が積もらず、まだら模様になっていて、そんなベチャついた雪の上は歩きたくないと思ったことなどである。
 それはつまり、誰に相談するでもなく、ひとりで登るゆえの私のわがままなのだ。しかし、昨日は、山の天気は良かったのに行かなかった。その決断力のなさと、他にもちょっとした哀しいことがあって、すっかり落ち込んでしまった。こんな時に、ひとりでいると辛い。
 何もする気がしなくなるほどだった。ミャオ、そんな時オマエはどうするんだ。オマエは私みたいにふさぎこんだりはしないよな。恐らくそんな暇もないのだろう。周りの物音、敵はいないかと気になり、エサのことも、おじさんからもらえるとはいえ、毎日心配しなければいけないし。
 しかし、私のように馬鹿な人間どもは、考え込んで落ち込んでしまうのだ。そんな時、同じようにひとりで暮らしている他の人たちは、どうしていたのか。そこで、昔の人たちに思いがいく・・・。
 あの鴨長明は「方丈記」に、兼好法師は「徒然草」に、その思いのたけを書き綴り、良寛和尚は俳句、短歌、漢詩などに、ひとり耐える日々の暮らしを読み込んだ。漂白の旅を続けることで、己の弱さと対峙していた種田山頭火は、定型破りの俳句に、その寂寥感を歌った。
 私は、それらの先人たちの思いをたどってみる。しかし、彼らの辛い思いや孤高の気持ちに共感はできても、今ある事への解決策を見つけることはできない。それで思い当たったのだ、ミャオのことを。つまり、何の才能もない私に残されているのは、自分の体だけだ。その体を使い、動きまわること、働くことしかないと。
 それでこの一週間は、毎日、薪割りと、カラマツ丸太の皮むきに明け暮れたのだ。今は、その成果が目の前にある。薪小屋は薪でいっぱいになったし、皮をむいた丸太が三十本はある。知的な方法で悩みを解決することのできない私は、体を動かすことで、ようやくその辛い思いを忘れ去ることができたのだ。
 それでいいのかもしれない。自分で変える気がなければ、仏教でいう他力に身を任せて生きていく他はないのだろう。思えば、この「御仏の御心のままに・・・」という思いと、キリスト教やイスラム教の「神の御心のままに・・・」という思いは本来は同じであり、つまるところは、仏教にもキリスト教・イスラム教にも信仰心のない私には、ただ私の神である自然の中に身を任せ、日々の暮らしを送ることこそ、迷いは多々あるにせよ、最善の方法なのかもしれない。
 私が、この一週間を、日ごとに紅葉が進む林の中(写真)での仕事で過ごしたことは、それはそれで良かったことなのだ。以下にあげるのは、遠い昔の、ギリシアの詩人、ヘーシオドスの「仕事と日(労働と日々)」の一節である。

  刺すごとき陽の力が衰え、汗を吹き出す暑熱も和らいで、
  その力いとも強きゼウスが、秋の雨をお降らせなさると、
  人間の身もにわかに軽やかに動くようになる。
  ・・・
  さてこの時期には、斧で伐った材木に最も虫がつきにくい、
  樹々は葉を地上に落とし、発芽をやめる。
  されば心して、この季節に木を伐れ、
  それが時節にかなった仕事なのだ。 (松平千秋訳 岩波文庫)
   
 ミャオも元気にしていてくれ。秋が終わる頃には、帰るからね。
                      飼い主より 敬具  
  

飼い主よりミャオへ(36)

2008-10-13 17:12:42 | Weblog
10月13日
 拝啓 ミャオ様
 今日、帯広では初霜、初氷を観測したとのことだ。しかし林の中にある我が家の辺りでは、朝の気温は4度位で、霜も氷もなかったが、さすがに外に出るとぶるっと震える寒さだった。しかし、日が昇るにつれて、日差しが暑く感じられるほどで、気温は20度近くまで上がった。
 その暖かさに、庭のエゾムラサキツツジが春先とかん違いしたのか、花を二輪つけている。紅葉した葉の間に、春に咲く紫の花を見ることができるのは、季節外れの楽しみだ。
 裏の林の中でも、紅葉が始まっている。部分的に間をおいて赤くなっていく、ハウチワカエデの赤と緑の対比が美しい(写真)。これから11月始めに、カラマツの樹々が黄金色の黄葉に変わるまで、様々な秋の色合いを楽しむことができる。
 林の中に家を建てて、そこで暮らしていきたいと思ったのは、私自身が、我々人類の仲間である類人猿、オランウータン(森の人)の性向を幾らか受け継ぐようなタイプの人間だったからかもしれない。森の中を歩き、川の水に戯れ、山の頂を目指し、山を降りては、森の中に憩うという、私の好む自然の中の日々の暮らしに、どこか似通っているからだ。
 人間には色々なタイプがあるが、私はその中でも、ごく稀なRhマイナス・サル型のDNAを、ひそかに体内に宿していたのではないだろうか。
 じっと鏡を見る。ひえー・・・という叫び声。こんな山の中に住んでいて、日ごろ、鏡で自分の顔など見たこともない私は、驚いてしまう。そこに映し出されていたのは、鬼瓦猿男そのものの顔だったからだ。
 一応、胸を叩いて、声も出してみる。ゲッホ、ゲッホ。これは、いかん。ああ、私はもうサルから普通の人の生活へは戻れないのかもしれない。ミャオ、そうおびえた目で私を見ないでおくれ。ほら、ちゃんとオマエの飼い主だから。
 というのも、この連休の間は、混雑するのが分かっていて、外出する気にはならないし、天気は良かったのだが、あいにく山々の稜線には雲がかかっていて、登山日和というわけでもなかったからだ。
 それでずっと家にいた。林の中の木々の手入れをし、伸びたササや草を刈り払い、丸太を運んでは、チェーンソーで薪用に適度の長さに切り分ける(その時のオガクズはトイレ用に別に集めて取っておく)等の作業だ。
 そして、外の小屋にある風呂を沸かして、仕事の汗を流すという小さな幸せの毎日だった。穏やかに、静かに時が流れていけばそれで良いのだ。

 11日の十三夜も、昨日も月がきれいだった(そして今日も)。こうこうと輝く月の光が、庭の草花を、林の木々を明るく白々と照らし出していた。部屋の明かりを消すと、ガラス窓を通して部屋いっぱいに、月の光が差し込んでくる。
 私は、揺り椅子に座って、しばらくの間、外の景色を眺めていた。目が慣れてくるに従って、外は昼間と変わらぬほどの明るさだということに気がついた。冴え冴えとした秋の空気の中で、枝葉の一つ一つが、はっきりと陰影をつけて見えてくる。そして、その月の光の中の静寂・・・。 
 電気の明かりがなかった時代、揺らめく蝋燭(ろうそく)や灯明の光の中で、人々は夜を過ごしていた。そんな夜毎の暮らしの中で、月の明かりが、いかにありがたいものであったか。まして、澄んだ秋の夜空に輝く月の光は、いかばかりであったろうか。もの思う、秋の月夜である。
 『徒然草』 第二百十二段
 「秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下に心うかるべき事なり。」
 
 しろがねの月の光に照らし出されて、夜の窓辺に座り続けていた、ミャオの後ろ姿を思い出した。ミャオと呼んで、窓を少し開けてやると、小さく鳴いて部屋の中に入ってきた。そしてコタツの中へ・・・そんな寒い日が近づいている。ミャオ、元気でいてくれ。
                      飼い主より 敬具


飼い主よりミャオへ(35)

2008-10-09 20:53:48 | Weblog
10月9日
 拝啓 ミャオ様
 朝の気温10度から、余り上がらず、13度という肌寒さ。昼過ぎから雨になる。
 薪ストーヴに火をつけると、ゆっくりと部屋が暖まっていく。今日は、ジャム作りをしよう。そこで、先日、採ってきていたヤマブドウを、一粒一粒、皮と中味に分けていく。
 1cmほどの小さなヤマブドウだから、ジャムとしての果肉を期待することはできない。ブドウ・ジャムの果肉としては、別に用意しなければならない。ちょうど、今の時期、北海道では地元産のブドウが安くなっている。キャンベル一箱2kgで、780円位だ。半分以上は、食後のデザートにいただいていて、残りのものを利用する。
 つまり、栽培ものの皮は農薬などの心配もあり使わないことにして、ヤマブドウの方の皮を使うことにしているのだ。しかし、このキャンベルの皮と果肉を分け、さらに種を一つ一つ取っていく作業も手間がかかる。
 ようやく一仕事終わり、今度はヤマブドウの皮だ。今までは、包丁で細かく刻んでいた。ところが、この秋から新兵器が登場したのだ。
 ジャーン、ついにミキサーを買ったのだ。5000円もするメーカー製だ。やったね。嬉しくて、毎日、見られるように台所の目立つところに置いてある。そのミキサーの出番だ。
 ブドウの果肉と皮をミキサーにかけ(あっというまだった)、それをホウロウの鍋に入れ、同じ量か少な目の砂糖を入れて、煮詰めていく。ころあいを見て、火を止め、隣で煮沸消毒をしていたビンをお湯の中から取り出して、出来上がったジャムを入れ、固くふたをする。
 これで、冷ました後に冷蔵庫で保管すれば、数年は楽にもつ。昨日、コクワのジャムを作り、今日はこのヤマブドウと、先日採ってきていたガンコウランのジャムを作った。それらのジャムをテーブルに並べて、なぜかゼイタクな金持ちになった気分がして、ひとり、含み笑いをする。(鬼瓦の飼い主がクックックと笑う姿など、ミャオにキモーイとか言われそう。)
 私は、朝食がパンだから、その時に使えるし、またヨーグルトにかけてもいい。もっとも毎年、8缶くらいは作って、その半分は友達にあげているのだが、それでも冷蔵庫には、まだ数個の作りおきのジャムがある。
 それは、今年は作らなかったコケモモやハマナスなどの、秘蔵品だ。夜中に、冷蔵庫のドアが静かに開く。電気もつけていない暗い台所で、その冷蔵庫の明かりに照らし出されて、ビン詰めジャムを見てほくそ笑む男の顔が・・・きもちわりー、アホかオマエは、とまたミャオに言われそう。
 確かに今時、スーパーでは100円位で売っているのに、手間暇かけてジャム作りするのは、無駄なことかもしれないが、私にとっては秋の季節を感じる大切な儀式の一つなのだ。
 ところで外に出ると、遠くに雪の山が見え、すぐにでも登りたいのだが、このところどうもすっきりとは晴れてくれない。足首の具合がまだ十分ではないので、休養にはなるのだが、それだからこそあの白い山々の連なりには、心が動かされるのだ。
 そんなふうにして家に居るから、時間は十分にある。このところ録画しておいた番組を幾つか見た。
 BS2 「クラッシック・ロイヤルシート」 10月5日 0.40~4.00
内容は、クラウディオ・アバドの指揮するバッハの「ブランデンブルグ協奏曲」とマーラーの「交響曲第9番」。比較的新しい去年のアバドの姿と、2000年に胃がんの手術を受けてその3年後に、音楽に戻ってきたばかりのころのアバドの姿を見ることができる。特に後者の、若者たちを集めたグスタフ・マーラー・ユーゲントO.を指揮してのマーラーは、病後のことを思うと胸に迫るものがあった。
 楽章が静かに終わり、音の余韻が消えてゆき、アバドは祈るかのように、指揮棒をゆっくりと胸の前に合わせる。静寂のローマ、サンタ・チェチーリアのホール。そして長い沈黙の後に、聴衆の拍手とブラボーの声が満ち溢れる。指揮者、オーケストラの若者たち、そして聴衆たちの上に、音楽の神、ミューズが舞い降りた素晴らしい瞬間だった。
 この演奏は、すでに何度か放送されて評判になっていたものだが、私はようやく最近購入したDVDレコーダーで録画して、見ることができたのだ。さらに同じように、次の番組も何度か目の再放送で、前から知ってはいたのだが、ようやく見ることができた。
 NHK Hi 「天才画家の肖像」10月6日 9.00~10.50 
「レンブラント 自画像が語る光と影」と題された番組で、63年の生涯のうちに、約60点もの自画像を残したレンブラント、それらの絵の中に、彼の浮き沈みの人生の光と影を垣間見ることができる。そのレンブラントの自画像の何枚かを取り上げて、ある種の謎解きの面白さで見せてくれる。ありきたりの、単なる美術史的な解説ではなく、現代科学の証明による解説に、納得のいく興味深い番組構成だった。
 私は若い頃に、長い期間、ヨーロッパを旅したことがある。絵を見ることがその目的の一つでもあったし、好きな画家の一人でもあるレンブラントの自画像には、各地の美術館で出会うことができた。
 中でも心引かれたのは、彼の死の年に描かれた自画像である。薄命の光の中、老いた男が一人、こちらをただぼんやりと見ている。その視線は、遥かなる過去への追憶の思いか、それとも彼岸への穏やかな諦めか。
 その当時、まだ若い私だったが、その一枚の絵は、静かに時を隔てて、確かな何かを教えてくれていたのだ。
 そんな、絵を見ることが好きな私にとって、幸運にも、同じ時期(12月初旬まで)に同じ場所(東京・上野)で開かれている二人の画家の絵画展には、何としても行かねばならない。フェルメールとハンマースホイだ。
 ミャオ、ごめんね。オマエに会いに行くよりも、絵を見に行くことが大事だなんて。しかし、オマエには絵に描いたモチであっても、私にはある意味で、モチよりも大切なものなのかもしれないのだ。分かってくれ。
                      飼い主より 敬具

飼い主よりミャオへ(34)

2008-10-06 18:10:11 | Weblog
10月6日
 拝啓 ミャオ様
 朝の薄曇の空から、午後になって雨が降り出してきた。気温は13度までしか上がらず、肌寒い。
 ついに、この秋、初めて薪ストーヴに火を入れた。とは言っても、時々、外の風呂小屋でゴエモン風呂を沸かしているから、薪を燃やすことが目新しいわけではないけれど、やはりストーヴの中で薪が燃えているのを見るのはいいものだ。
 昨日は、去年の秋に切り倒して、六尺(180cm)余りに切り分けていたカラマツの丸太を、林の中から大小合わせて二十本余りを運んで、家の軒下に立てかけた。こうして雨に濡れないようにして、しばらく日に当てた後、チェーンソーと斧で薪を作るのだ。
 今年は冬の間、ミャオのいる九州に戻ることになるので、これから作る薪は来年の分になる。それまでの分は、十分にあるからいいのだけれど、薪はいつも不足しないように、一年二年先まで作っておかなければならないのだ。
 私の知り合いで、同じように本州から北海道に移り住んできた男がいた。彼は私と同じように、丸太小屋をひとりで立てたのだが、北海道の冬に慣れていなかった。
 薪ストーヴはあったのだが、冬を越せるだけの薪を用意していなかったのだ。雪に埋もれたマイナス20度の中、進退窮まった彼は、建てたばかりの自分の家の丸太の一部を、チェーンソーで切り落として、薪ストーヴの中で燃やしたということだ。
 おかしくもあるが、哀しくもあるこの話は、とても他人事ではない。そのために、これから少しずつ、薪の作りおきをしておかなければならないのだ。
 ところで、昨日は天気が良かったので色々とやることがあった。午前中には、近くの裏山に出かけて、コクワとヤマブドウの実を採ってきた。
 コクワとは北海道での呼び名で、全国に産するマタタビ科のサルナシのことだ。その実は、1~3cmくらいの円筒形で、キウイ・フルーツを小さくした感じで、切ってみるとその断面もキウイそっくりだ。そのまま食べられて、味はキウイ以上に甘く、美味しい。北海道の木の実の中でも一番の味だと思う。
 毎年、今頃に採りに行くのだが、いつも今年はどうだろうかと、心配になる。今までに、確か二三回、一握りしか採れない不作の年もあったからだ。
 いつものように、七ヶ所程のコクワの木を見てまわる。木といっても、他の木に巻きついて成長するツル性の木だから、葉を見てわかるのだが。最初の二つには、たったの三粒だけ、三つ目四つ目はなし、ようやく五番目で鈴なりになっているコクワの実を見つけた時には、小躍りしたくなるほどだった(写真)。つまり毎年、同じ木に同じ数の実が生ってくれるわけではないのだ。
 さらに六番目の木にも実が生っていて、最後の木にはなかったけれど、もうジャムにするには十分な量をとることができた。ついでにヤマブドウの実も採って、一時間半程で家に戻った。痛めた足首の様子を見るためでもあったが、無理をしなければ普通に歩くことはできるのだ。
 午後は、例の丸太運びで汗をかき、ゴエモン風呂に入ることにして薪に火をつけるが、他の仕事をしながらで二時間もかかってしまった。それでも、薄暗闇の中、ひとり入る風呂は、ああ、極楽極楽。
 ということで、昨日のコクワは、今日は他にも仕事があって、とりあえず、上下のヘタや毛を取るだけの下ごしらえまでで、それでも一時間余りかかったのだが。ジャム作りは、ともかく明日だ。
 秋というのは、「・・・目にはさやかに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる」といわれるような、北風が吹き気温が下がっていく様子の他に、木の実の収穫や薪の支度といった、日々の仕事の中にこそ感じるものだ、といつも思ってしまう。
 ミャオのいる九州では、まだ25度以上の夏日が続いているようで、寒がりのオマエとしては、やはりそこにいる方がいい、北海道は寒いんだから。私はその寒さが、ああ、たまんない。寒さのムチが来るー。「アホかおまえは」と、ミャオの声が聞こえたような・・・。
                       飼い主より 敬具

飼い主よりミャオへ(33)

2008-10-03 21:26:13 | Weblog
10月3日
 拝啓 ミャオ様
 相変わらずの晴れの日が続いている。こちらに戻ってきてからもう三週間以上になるけれど、しっかりとした雨が降ったのは一日だけだ。今朝の気温は4度、日中は雲が広がり、14度までしか上がらない。
 朝夕は少し寒いので、電気コタツをつけている。北海道では、大型の灯油ストーヴなどで家全体を暖める暖房システムが主流だから、ごく一部分の効果しかないコタツなどは、余り使われていないのだが、私は重宝している。
 家にあるのは、今ではもう見られない赤外線ランプのコタツで、家を建てた時に、新しい家具店の開店バーゲンで980円で買ったものだ。このコタツは、その後も、予想外に二十年近くにわたって作動し続けて、私の体と心をも暖めてくれた。財布にやさしい暖房器具だ。
 もちろん、そんなものでは北海道の冬は乗り切れないから、ちゃんとした薪ストーブもある。我が家では一番高価なもので、外国製の鋳物ストーヴだ。しかしその値段に見合うだけのことはある。寒い冬も、このストーヴがあるからこそ、色々に利用できて、楽しくもあるのだ。この大好きな薪ストーヴについては、またいつか書くことにしよう。
 しかし冬の間、薪ストーヴを使うためには、この秋の間に薪を作らなければならないし、来年以降のために、家の林のカラマツの木を切って、薪にするための準備もしておかなければならない。
 なのに、山で痛めた足首のために、何もできないでいる。近くの農家の畑では、トラクターやトラックが走り回り、ジャガイモや豆、そしてデントコーン(飼料用トウモロコシ)などの収穫作業の真っ最中だ。
 私はひとり、家でぐうたらしている。大滝秀治さんが見たら、「くだらん、じつにくだらん」というだろうが、私自身、内心、忸怩(じくじ)たる思いがあるのだ。仕事もできず、山にも行けず。
 足首を捻挫したことの顛末(てんまつ)は、前に書いているが(9月27日の項)、病院に行こうかどうしようかとしばらくは迷っていた。近くにいる友達に相談したところ、彼は私と同じく、旧式な日本人のタイプ、いわゆる古い型のオヤジ族に該当するものと思われ、私の話を聞くや、一言「そんなもん、ぶんなげとけばなおるって」。(ぶんなげるとは、 ほうりなげる、ほうっておくの意)。
 日ごろから、人情には厚いが、優しい言葉をかけてくれるような、そうした性格の男ではないと知ってはいて、相談する私も私だが、実は内心、病院などには行きたくないという思いがあって、彼のそんな冷たい言葉を期待していたところもあったのだ・・・ということで、また大滝秀治さんに言われるだろう、「くだらん、じつにくだらん」と。
 そんなこんなで、病院にも行かず、悶々とした日々を送っていたのだが、気晴らしにでもと、昨日はクルマで出かけてみた。家から20分ほどで、十勝の海岸に行くことができるのだ。
 地図で見ても分かるとおり、北海道の南東部を、十勝から釧路にかけて150キロほどにわたって、弓状に続く砂浜の海岸線だ。沖合いを、寒流である千島海流が南下している。海の色も、本州で見る同じ太平洋ながら、どこか違って見える北の海だ。
 風もそれほどには強くなく、青空の下に青い海が広がり、白波が打ち寄せている(写真)。向こうの方には、アキアジ(秋鮭)釣りの人たちがいて、釣竿が並んでいる。浜辺の上をカモメたちが飛んでいく。赤く熟れたハマナスの実が、一際鮮やかに青い海の色に映える。
 いいなあ、やっぱり海はいいよなあ。どちらかといえば、山派の私だし(7月6日の項)、年に何度かしか見ない海だけれど、来てみればいつも素晴らしいと思う。
 ミャオは生まれてこの方、海など見たこともないし、これからも見ることもないだろう。しかし世界中には、海を見ることもなく人生を終える人たちもいるし、まして移動手段が自分の足だけしかない動物たちにとっては、なおさらのことだ。  ミャオとしては、狭い山の中だけで暮らしていても、ちゃんと食べていけさえすればいいのであって、海などよりもそのことの方が、余程重要なことだもの。ミャオが、海を見たとしても、ただ塩辛い水の広がりがあるだけのことだろう。
 ここに移り住んだ頃のことだ。あの友達が私に尋ねた。「東京からわざわざ来るくらい、こんな田舎のどこが良かったんだ」。私が、大好きな日高山脈を眺めて暮らしたかったからだ、と答えたところ、怪訝な顔をして言った。「オレにとっては、山なんかただそこにあるっちゅうだけのことだな」。
 ミャオ、今度、九州に戻った時には、北海道の海の話をしてやるからな。オマエの好きなアジは泳いでいないけれど、コバンザメなんかいたりして。ああ、ミャオには興味ないか、「猫に小判」だものな。しょーもない。こりゃまた失礼しました。
                      飼い主より 敬具