9月29日
庭のオンコの樹に、赤い実が鈴なりになっている。
そのまま食べると、甘い味がするが、実そのものが小さい上に、中の種が大きく果肉は少ないからじジャムにはできない。
ただし、ホワイトリカーにその実を入れて果実酒にすると、コケモモなどよりはもっと明るい赤い色に染まって、見た目にもおいしそうになるのだが、あいにく私は、今ではもう酒を飲まないから、そのままにしておいて、ミヤマカケスやヒヨドリやツグミなどが来てついばんでいくにまかせている。
オンコとは、北海道・東北での呼び名であり、普通にはイチイと言われている。
その常緑針葉樹の葉は、イヌガヤやモミに似ているし、あの中国地方の名山、大山(だいせん)の頂上近くには、このイチイの変種であるダイセンキャラボクの群生地がある。
(2年前の冬にこの大山に登った時、雪に覆われた雪原の上にその上部の姿が見えていた。’13.3.12,17の項参照)
イチイという名前は、昔の官職等の位の名前にちなんだものであり、それは正一位にあるような人が持つ笏(しゃく、つえ)が、このイチイから作られていたことによると言われている。
さらにもう一つの別名があって、それはあの有名な短歌の会派名としても知られている、アララギである。
もともとこのオンコは、北海道にも自生する木なのだが(焼尻島には純林の林がある)、この北海道の家を建て、庭づくりをしていたころに、植木市で数本束の苗を安く買ってきて、一本だけは庭に植えて、株仕立てに形を整え刈りこんでいるのだが、残りの苗は家の周りの林に植えていたところ、土地が合ったのかそれぞれに大きくなり、今ではあちこちに小さな苗が自然に生えてきていて、その数を増やしている。
今は、夏の暑さも過ぎて朝夕の冷え込みに秋を感じていて、最近では林の中をそぞろ歩きすることも多くなったのだが、その林の木々もいくらか秋の感じが漂い始め、木々の中では、いつも紅葉が早いサクラやスモモ、それにナナカマドの葉が、もう半分ほども色づき始めている。
山の紅葉を見に行きたい気もするのだが、なかなかこの年寄りの重たい腰が上がらない。
前回のあの大雪の黒岳・雲の平への、紅葉見物登山からはもう2週間もたっていて、そろそろ次の山登りに行きたいところだが、どうしてもという、その気にならないのだ。
黒岳登山までの3カ月もの間は、確かに腰を痛めての必要な治療期間でもあったのに、こうして家でぐうたらに過ごして、なかなか出かける気にならないというのは、今まで定期的に実行しいた登山が、3カ月もの間空くことによって、習慣的にやるべきものではなくなってしまい、さらに日々の生活そのものがすっかり易(やす)きに流れていて、まして、近年とみにぐうたらな年寄りになりつつある自分を考えれば、さもありなんと思うばかりなのだが・・・。
それは山に登ることが苦痛だからではない、時間がかかるようになったことも、自分の歳を考えればそんなものだろうし、ただ山々の紅葉の姿を見たいのに行かないのは、ただひとえにそこに行き着くまでの時間がかかることを思うと、もう動く気もしなくなるからからだ。
先日、山の帰りで、たまたま相席になった人が話していたのを聞いたのだが、私よりは幾らかは若いのだろうが、それでも一日で稚内(わっかない)まで往復1000kmをクルマで走ってきたとのことで、その超人ぶりには驚くほかはないし、それだけに余計に自分の忍耐力、持久力のなさを思ってしまうのだ。
私は、外に用事がある時以外は、別にクルマを乗り回したいとも思わないし、クルマ好きな人たちがただ目的もなくドライブに行くように、ふと出かけたくなることもない。
まあ考えてみれば、それは無駄なガソリン代を払いたくないといういつものケチな根性ゆえでもあるが、もっともそれを良い方に考えれば、無駄なCO2を排出しないという、地球温暖化防止の一助にもなっているのではないのかとも思うのだが。
そこで最近、ますます家にいてぐうたらに過ごすことが多くなり、それでも小さな仕事はいくらでもあるから、薪(まき)つくり用の丸太切り、庭の草取り、久しぶりの五右衛門風呂沸かし(一仕事なのだ)など、自分なりに考えて少しずつやっては自己満足して、安穏に暮らすことに喜びを見出しているのだ。
前回、臨死体験について書いた時に、リポーターの立花隆氏が、私もここで何度も取り上げてきたあのギリシア哲学者エピクロスの言葉を引用して、人生の目的は”心の平安”にあるのではないかと言っていて、そこでまさに”我が意を得たり”という思いになっていたからでもある もちろん、”心の平安への勧め”が、今の私のような”ぐうたらへの勧め”などであるはずはないのだが。
他の羊たちとは一緒に群れないで、”遥か群衆を離れて”、自分ひとりで目の前にあるあまり豊かとはいえない草原の草を食べていくこと・・・あの木の下の茂みにオオカミが隠れていようとも、この草原の中にある水飲み場が、実は底なし沼に続いていようとも・・・そうした危険を承知の上で、それがひとりだけのつかの間の時だとしても、この見ばえもしない私だけの小さな草原にいたいのだ。
ところで、前にもここで触れたことのあるアドラーによる心理学について、最近その大要をやさしく解説した一冊の新書を読んでみて(それは15年前の再販ものなのだが)、もちろんその内容のすべてに納得したわけではないのだが、その幾つかの言葉には自分の若き日の思いと重なり合うところもあり、確かにとうなづくことも多かったのだ。その中の一つ。
「・・・全体としての”私”が、あることをすると決めたり、またしないと決めたりするのですから、心のある部分はしたいと思っているが、別な部分はしたくないというような乖離(かいり)は一切ありえないのです。
わかっているができないという時、実はできないのではなく、したくないのです。」
(『アドラー心理学入門』 岸見一郎 KKベストセラーズ)
人は自分の信奉していることや関心のあることについて書かれたものには、素直に入り込むことができるし、それを読むことによって、さらに自分の信念を強くすることにもなるのだが、それとは相反した考え方のものに対しては、すでにその取り付きの時点で、多少の敵意心をもって臨むものであり、最悪、途中で読むことをやめてしまうかもしれないのだ。
それが、黒白をつけたがる若い時にはなおさらのことであり、誰でも好きなことはさらに好きになり、嫌いなことはさらに嫌いになって行くものなのだ。
私は当時、いわゆる”行動主義”的な作家であった、アンドレ・マルローやヘミングウエイの書いた作品群を読みふけっていて、そこにまだ怖いもの知らず的な若さが加わって、他人に対しては、”できないものはない。できないのは、ただやる気がないからだ。”という言葉を、いつも呪文のように繰り返し、したり顔でうそぶいていた。
何という小生意気な若者だったことだろう。
さらには、その言葉とは裏腹に、自分は放縦(ほうじゅう)で自堕落(じだらく)な毎日を送っていたのだ、自らに呪いの言葉を吐きかけながらも。
ただ、このままではいけないという思いは、いつも耳の遠くから聞こえていた。
そして、そんな自分の欺瞞(ぎまん)に満ちた日々は、ついに限界に達し、ある時一つのきっかけで目を開かれたのだ、そこに蜃気楼(しんきろう)のごとくに、豁然(かつぜん)と別な世界が現われ出たのだ。
行ったこともない、未知の世界。
広大な砂漠の中の道・・・オーストラリア大陸が広がっていたのだ。
今、かすかな自戒の念を抱きながらも、ぐうたらな毎日を送るだけの年寄りになってしまった私は、それでも生きていくために、あのころと同じとは言わないまでもある種の信念と誇りが必要であり、だからこそ懐かしい日々を振り返り見たくなるのだ。
昔は、黄金の日々があったことを。
どこにでもいる、昔話をしたがるウザったい、昔自慢の年寄りの一人のように・・・。
ただそれは、灼熱(しゃくねつ)の砂漠の中で、汗まみれになり、ほこりまみれになってバイクに乗っていただけの、無意味な時の流れに乗っていただけの、自分だけにしかわからない実にむなしい話だったのだが・・・。(4月6日の項参照)
私は、アドラーの話を聞いて、思い出したのだ。
そして、今の自分がぐうたらになり、なかなか動きたがらないのは、今やすっかり心の平安だけを求める年寄りになってしまったからだと、実は”山に行かない”のではなく、”山に行きたくない”のではないのかという、衝撃的な自己分析が自分の頭をよぎったのだ。
中学生の時の初めての山登りから、はや数十年の間、その間に3年、2年という仕事上でのブランクはあったものの、毎年欠かさずに山にだけは登って来たのに、それもただ山が好きだから、山に登りたいという理由だけで。
それなのに、今、”山に行きたくない”などという心理分析結果が出るなどとは、にわかには信じがたいことだ。
ただそれを打ち消すためには、それを自己証明するためには、近々にも山に登らなければならない。
まだ山は、紅葉のシーズンのさ中にあるのだから。
去年の夏登ってきたばかりの(’13.7.16,22の項参照)、あの木曽御嶽山(おんたけさん)は、いつかもう一度、紅葉のシーズンに登りたいと思っていた。
それなのに、日本山岳遭難史上、最悪となる100人近くの死傷者を出す火山爆発が起きるとは。
NHKの定時のニュースや今日の『クロ-ズアップ現代』では、ニュースとしてのドキュメントを伝えていたが、一方で民放の朝や昼のワイドショーでは、山に興味もないコメンテーターとか呼ばれる人たちが、お茶の間話のレベルで話しをしていた。
私たちが知りたいのは、山で起きたその事件の詳細であり、その時の映像を見たいのであり、それらについての科学的かつ専門的な解説だけだったのに。
その中で、確かにと納得できたのは、記者会見でマスコミ陣のスキャンダル仕立ての質問に答えて、理路整然と科学的分析とその限界について述べていた、火山噴火予知連絡協議会の会長の話だった。
私は若いころから変わらずに、行動主義作家やアドラー心理学的な考え方に心ひかれていて、だからそれだけに、人間の運不運や運命などという言葉そのものをあまり使いたくはなかったのだが、今回の御嶽山爆発遭難事件をテレビ画面で見ていると、もうそこには、運不運の差があり、運命という言葉でしか言い表せないような、生き物としての、人間の存在をそのものの哀しみがあることを思い知らされたのだ・・・。
登りやすい3000m峰、素晴らしい山岳景観、紅葉シーズンまっただ中、終末の休日、頂上付近での昼食休み時、子供から若者中高年に至るまでの、自然が好きな、つらい苦しい思いをしても山に登るのが好きな人たちが何人も・・・ただただ、手を合わせるだけしかないのだが・・・。