ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(44)

2008-04-20 17:02:08 | Weblog
4月21日 朝から晴れている。この所の気温は15度位だったが、今日は17度まで上がる。暑くもなく寒くもなく、戸外で過ごすにはいい季節だと思う。満開のサクラの花が、風に吹かれて舞い散っている。
 しかし、ワタシはまだ体調が思わしくない。昨日も食欲がなく、切ってもらったコアジを一切れ食べただけ、後はミルクを少し。ほとんどベランダと、家の中で寝てすごしている。 
 今朝は、昨日の残りのコアジを一切れ食べ、その後で飼い主が呼ぶので、外に出た。いつもの散歩コースとは逆の、あのおじさんの家の方だ。久しぶりなので、途中で、辺りの匂いをかいだり、木の根でツメをといだりして、ゆっくりと歩いて行った。
 飼い主は、途中までしか行かなかったので、ワタシも一休みした後、そのあとについて家に戻った。飼い主が庭仕事をし始めて、ワタシもそのまま外にいた。草の香り、鳥たちの声、ああ、春はいいなあ。
 「ミャオの体調が、なかなか元に戻らない。余り食べないから、体はやせたままだし、体力がないから、ずっと寝ているし、鳴き声も元気がない。
 傷口は、何度薬を塗ってやっても、カサブタができかかると、すぐに引っかいて、また傷口が出てくるという有様。しかし、今日あたりは、何とかそのカサブタも小さくなってきている。
 それで今日は、朝から散歩に誘ってみた。オレがいなくなったら、おじさんからエサをもらわなければならない。ミャオには、すっかりご無沙汰の道を思い出してもらうようにと、こっちに来てみたんだ。
 それより、あと三日で、ミャオが回復するかどうかだ。北海道に行くのを先に延ばせば、キリがないし、ますますミャオと離れがたくなる。人生では、いつも様々な岐路に立たされる。つまり、双方ともに大事だから、思い悩み、それでも決断を下さなければならないのだ。
 一週間、先に延ばして今日に至ったことは、ミャオの具合からも当然だったし、結果的にも良かった。ずっとミャオの傍にいて、そのケガと病気をしっかりと見ていてやることができた。そして、これは副次的なことではあるが、一週間余分にいたおかげで、家の庭にある木々の花々を、十分に楽しむことができた。
 サクラはいうまでもなく、コブシ、ツバキ、そしてなによりも、あのシャクナゲの薄紅の花だ。母が亡くなる二年前、一緒に行ったシャクナゲ園で買ってきた、小さな鉢植えの木だったが、今ではもう私の背丈と同じ位にまでなっている。一房に九つ十の花をつけ、それが数十房もある。その花のおかげで辺りまでも明るく照り映え、私の心も明るくなるというものだ。
 生きていればいつも、良いことと悪いことにめぐり会う。そして、その良い思い出が、あとになって、辛い悲しい思い出をやさしく包んでいてくれるのだ。
 ミャオ、そうなるといいね。・・・とここまで書いてきて、サカナの時間になる。ところがまたほんの一切れ食べただけだ。やはりどこかおかしい。無理しても病院に連れて行くべきだろうか。困ったな、ミャオ。」


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