ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(39)

2008-04-02 18:27:57 | Weblog
4月2日 この所、天気がいまひとつはっきりしない。日が差していても、すぐに曇ってしまい、気温も10度前後で、まだ寒い感じだ。
 今日は、飼い主がワタシをベランダに出して、一人で出かけていった。夕方前には戻ってきたので、少し早いが、ニャーニャー鳴いて魚をねだる。飼い主は、ブツクサ言いながらも、皿の上にコアジを一匹置いてくれる。
 それをワタシが、ガシガシと食べているのを見ながら、傍にいて何かを言っている。食っている時に、説教なんぞはやめてほしい。

 「ミャオ、今帰ってくる時に、交通事故の現場の傍を通ってきた。その前に救急車が二台も、サイレン鳴らしながら走って行ったから、ああ事故があったのだなとは思っていたがね、ちょうどカーブの所で、乗用車が二台、お互いに前の部分を大破していた。パトカーが来て、後始末と交通整理をしていた。7,8台並んでいた車の列は、その傍を覗き込みながら、そろそろと通り抜けた。そして皆は、先ほどよりは幾分スピードを押さえ目にして、走って行った。
 それは、今日のように事故にあった車を見たり、スピード違反などの取締りで捕まったりした車を見るたびに、皆は思うのだ、ああ自分でなくてよかったと。誰かが一人、かわいそうな目にあい、他の皆はほっと安堵のため息をつくのだ。それは自分だけ良ければとかいうような、同情心もない冷酷な気持ちからではない。あくまでも、自分個人の身の上に起きたことでなかったことに安心し、自分もそうはなるまいと気を引き締めるのだ。
 それでいつも思い出すのは、テレビ番組で見たアフリカはセレンゲティの草原でのライオンの狩りの様子だ。インパラやヌーの大群に向かって、メスのライオンたちが狩りをしかける。群れから外れたり、体の弱い一頭が最後には捕まり、ライオンたちの餌食になる。その様を、遠巻きにして見つめるインパラやヌーたち・・・。仲間のアイツはかわいそうだが、もうライオンたちは襲ってこない、自分でなくてよかった、これからも気をつけなければと・・・。
 つまり、それは利己的な安心感というよりは、動物がそれぞれ一頭ずつの個体であるがゆえの、自己防衛本能とでも呼ぶべき思いなのだろう。動物として、生きていかなければならないのだ、なんとしても。
 小ライオンでもあるオマエが、ガシガシと魚を食べているのを見てそう思ったのだ。食べることが、オマエの生きていくことなんだな、ともね。」

 また、なにをコムズカシイこと言ってんだろうね。ワタシはおなかがすいた、だから食べる。必要なだけね。人間みたいに、グルメだなんだとは言わない。食事の時以外に、ポテトチップスやポッキーなんかを食べたりはしない。だから一日一匹のサカナがどれほど待ち遠しく、おいしいことか。食事の後には、写真に写っているように、必ず新鮮な草を食べる。はい、そういうことなんです。