2月29日
昨日は、そよそよと春の風が吹いていたのに、今日は一転、強い北西の風に変わって、気温も昨日と比べて一気に10度以上も下がり、昼間の気温でもやっとプラスの2度、そして今は吹雪模様になっているのだ。
それでも、こうして日ごとに振れ幅の大きい大きな変化をつけながらも、雪の下に春のうごめきを隠しつつ、月日は確かな歩みを止めることはないのだ。
”時よ止まれ”と叫んでも、”BACK TO THE FUTURE(バック・トゥ・ザ・フューチャー)”と言って見たところで、今の時間に生きている私たちは、決して過去には戻れないし、未来に飛ぶこともできないのに。
思うのだが、テレビや映画で近ごろはやりの、過去の時間の中に入り込んで、今の自分が活躍するなどという、ありえない話ほど、私を興ざめさせるものはない。
自分が今ここにいて、決して戻れない過去のことを思い出して回想したり、あるいは、これからの将来のことに思いを馳せたりするのは、莫大な記憶量を持ち、豊かな想像力を持つ人間だから当然のことだとは思うのだが、それとは違う時間を超えた話というのが理解できないのだ。
”もし何々だったら”と一瞬思うのは、誰にしもあることだけれども、それが現在進行形の話となって、登場人物が過去と混在しながら物語が綴られていくということに、私は耐えられない。
過去の話を描く時には、今の私たちが知りうるできうるかぎりの、当時の時代を再現する形で、それが生き生きと描かれていればなおさらのこと、時代を超えて誰でもが共感することだろうし、未来のことについても、今の私たちが予想しうる科学の進歩を基に、ありうることだと納得できる中で、組み立てられた話ならば、これもまた時代を超えて誰もが感動することになるのだろうが。
こうした話を書いたのは、時制を無視したありえないドラマや映画について、逐一(ちくいち)批判するつもりではなく、逆に良い形の見本として、若いころに初めて見て、今に至るまでいつも”私の映画ベスト5”の一つであり続けた、あのデイヴィッド・リーン監督の名作『アラビアのロレンス』(1962年)が、先日いつものNHK・BSで放映されて、それを見たからなのである。
大きく見れば、私の青春時代を、さらに今に至るまでの人生を左右したと言えるのかもしれないし、前にもここでも何度も書いたことのある、マルローの小説『王道』(’15.12,14の項参照)とともに、大げさに言えば、私の行動基本学 (そうした倫理学の区分はないが)とも呼ぶべきものの、礎(いしずえ)となったものだからである。
時は第一次大戦の、アラビア半島。長年にわたるオスマン・トルコの支配に苦しめられていたアラブ地域には、各地それぞれの部族が棲(す)み分けていて、第一次大戦を機に、彼らはドイツ・トルコ軍に対して反乱ののろしをあげていた。
そして、ドイツと戦っていたイギリス・フランスなどの連合国は、ヨーロッパでの戦場の背後にあたるこの中東戦線を重要視して、アラブの民を連合国側の味方につけて利用するべく画策していた。
そこで、このアラブ地域に詳しい若い将校のロレンスが、エジプト・カイロにあるイギリス軍現地本部に呼ばれたのだ。
彼は大学時代に考古学を専攻していて、特にアラブ地域の遺跡などを探査して回り、現地の部族たちのことも熟知していたからだ。
映画の始まりは、後年彼がバイク事故で亡くなる、その日の様子を回想風に描いていて、次に、ウエストミンスター寺院での国葬並みの葬儀が行われた後、新聞記者が彼の評判を聞いて回っている場面になり、そして一転、事の始まりになった、彼がカイロの軍本部に呼ばれて、新たな任務を告げられるシーンから、物語は始まっていくのだ。
その将校クラブで、仲間と話しながら、余興のように、彼は火のついたマッチを指先で消してしまう。
仲間の一人が真似してみるが、火の熱さに耐えられずに声をあげてしまい、彼にどうしたらできるのかと尋ねるのだ。
彼は、振り返り答えた。「そのコツは、熱いと思わないことだよ。」
映画『アラビアのロレンス』は、もちろん事実と離れて、映画としてまとめやすく話が変えられている箇所が幾つもあるが、この映画が契機となって、何冊かのロレンスに関する本を読んで知ったのだが、このマッチの火のエピソードは、事実としてのことだそうだし、ただそれを映画の最初のシーンに持ってきて、以後のロレンスの行動力を暗示させることにした、脚本(ロバート・ボルト)と監督デイヴィッド・リーンの演出力の見事さを感じないわけにはいかない。
そして、そのロレンスが最大部族ベドウィンのファイサル王子に会うべく、アラブ人の案内によりラクダに乗って砂漠を旅していく場面・・・地平線の彼方から、朝日が昇ってきて、周りの砂漠が照らし出されていき、そこに、あのモーリス・ジャールのテーマ曲が流れてくる・・・若き日にこの映画を見た時、当時の70ミリの大画面に映し出された、この砂漠のシーンのカメラの素晴らしさと、背景に響く壮麗な音楽に、私は早くも涙してしまったことを憶えている。
こうして、この3時間47分にも及ぶ大作を、一つのシーごとにまだまだ書いていきたいのだが、このブログで数回に分けて書いても足りないだろうし、もう一つだけ次のシーンを書くとすれば、砂漠の中で命の水になる井戸のそばで二人が休んでいる時、砂漠の蜃気楼の彼方から、オマー・シャリフ演じるその井戸の持ち主であるハリト族の族長が、ラクダに乗って現れるシーンは、何度見ても素晴らしい映画史に残る名場面だと思う。(写真上)
彼は、自分の井戸の水を飲んだ、掟(おきて)破りの別の部族の案内人の男を、非情にもラクダの上から銃を構えて撃ち殺すのだ。
余りにも残酷な仕打ちだと怒るロレンスのそばで、案内人の男はこと切れていた。
頭にかぶっていた白いターバンに、赤い血の色がポツンと見えていたが、その赤い色が次第に滲み出し広がっていく。
私は今まで、二人のやり取りを見ていて、画面右端にある案内人の死体など気にしてはいなかったのだが、今回見直して、初めてそのことに気がついたのだ、あの人気脳科学者がテレビで出題する問題が解って、”アハ体験”をした時のように。
史実の物語をなるべくその時代に沿って描くこと、今の時代の安易なコンピューター・グラフィックス技術などはなかったし、さらに特撮などに頼ることもなく、長期にわたる現地ロケをして、当時の事実としてあるべき形のままに写し出し、その中で”砂漠の英雄”とたたえられた男の真実の姿を描き出そうとした、監督の意図が伝わってくるし、この一シーンは、その小さなこだわりの一つが、現れているだけかもしれないが。
ともかく、この映画を見て以来、すっかりデイヴィッド・リーン監督の映画のファンになり、有名な『戦場にかける橋』(1957年)、『ドクトル・ジバゴ』(1965年)『ライアンの娘』(1970年)はもとより古い時代の『逢びき』(1945年)『マデリーン』(1950年)『超音ジェット機』(1952年)『ボブスンの婿選び』(1954年)『旅情』(1955年)などあさるように見たものである。
そして、今回の『アラビアのロレンス』について、どうしても付け加えておきたいのは、この放映が、より詳細な画像の4Kの画面編集によるものだということだ。
この映画は、今までにNHKでも何度も放映されており、VHSのビデオ・カセットの時代から、飛躍的に画質が安定したDVDの時代、さらにBR(ブルーレイ)の時代へと変わり進んで、そのたびごとに録画してきたわけだが、家のテレビは5年前のまだ4K対応ではないころのものだが、それで見ても4Kの画質の素晴らしさは称賛に値するものだ。
日ごろから、科学技術の進歩ぶりを、もろ手を挙げては喜べないとうそぶいている、ひねくれ者の時代遅れのじじいでも、この4K映像には驚いたのだ。科学の神様、ありがとうございます。
こうして、この4Kの映画をちゃんとBRに録画したのだが、次は何とか4Kのテレビも買いたいと思う。
残り少ない人生の時間しかないからこその・・・、まあ何とあきらめの悪い”じじい”だこと。
”じじい”で思い出したのだが、数日前のネット・ニュースに、”老人天国、若者の自殺増加”という、まるで老人が生きているのが悪いと言わんばかりの記事が載っていた。
もっとも、別のサイトで調べると、このニュースを書いた人は、その数字の出どころや結論づけが強引だと、うわさされている人物の手によるものだということだったのだが。
これもネットニュースから、ブログに書かれた衝撃的な言葉が反響を呼んでいる。タイトルは”保育園落ちた、日本死ね”。
最近の保育園不足で、自分の子供を保育園に入れられなかったある働く母親が、結局働いている会社を辞めるしかなくなったし、何が一億総活躍社会だなどと、政府に対する悪口雑言の限りを書き込んでいたが、しかし周りからは、共感の声、多数。
さらに、一週間ほど前の事件で、”末期の前立腺ガンにかかっていた83歳の夫が、認知症になった77歳の妻の看病に疲れ果てて刺殺”、”その後警察に逮捕された夫は、取り調べにいっさい応じず、出された食事も拒否して、衰弱死亡した”。警察のコメントでは、”なんで取り調べに応じず、食事も食べなかったのか、一切わかりません”。
そして、テレビ・ニュースでも大々的に取り上げられたあの大阪梅田での、”クルマ暴走事故”、51歳の運転手を含む死者2人けが人多数。警察側の発表、”大動脈解離での突然死によるものと思われる”。
これらの事件について、誰でも何かしら言うべきことがあるのだろうが、しかし、もう私みたいな年寄りの出る幕ではないのだと思っている。
もっと明るい話題について書こう。
昨日はそうして気温が15度近くまで上がるほどの、温かい春の一日だったので、洗濯をした後、午後にはいつもの1時間ほどのウォーキング散歩をしてきたのだが、風のそよ吹く快晴の一日で、すっかり汗をかいてしまったのだが、その途中で、足元に小さな水色の花が咲いているのを見つけた。
敷石として並べられているレンガの隙間に入り込んで、あのオオイヌノフグリの花が三輪ほど咲いていたのだ。(写真下)
今は、庭木のサザンカの花は咲いているけれども、地面に生えている草花では、このオオイヌノフグリ(それにしても少しおかしくてかわいそう名前ではあるが)と、さらに小さな1cmにも満たないハコベの花は、いつも春が近いことを教えてくれる大切な花なのだ。
私の家がある辺りは、情緒ある古い遺跡があるような所でもないし、ただの山間部の小さな集落に過ぎないけれども、こうしてオオイヌノフグリや傍らにあるハコベなどの、雑草に過ぎない小さな草花を見ると、いつもあの島崎藤村(1872~1943)の有名な詩を、口に出してみたくなるのだ。
「 小諸(こもろ)なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なす繁縷(はこべ)は萌(も)えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の周辺(あたり)
日に溶けて淡雪流る
・・・。 」
(島崎藤村 『落梅集』より「小諸なる古城のほとり」 新潮日本文学2 新潮社)
昔の時代の詩の、韻律を含んでいて、何と響きの良いことだろう。
さらにさかのぼれば、江戸時代の大阪、人形浄瑠璃(じょうるり)の作者、近松門左衛門による見事な七五調のせりふ回し、あの有名な「曽根崎心中」の”道行(みちゆき)の場”・・・”この世のなごり、夜もなごり、死にに行く身をたとうれば・・・。というくだりから、さらにさかのぼった平安時代の『平家物語』の、誰もが知っている有名な出だしの名文・・・”祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。・・・。そしてついにはあの『万葉集』にまで行きつくだろう。たとえば、その中の一首・・・”世の中を 何にたとえむ 朝開き 漕ぎ去(い)にし船の 跡なきごとし” (沙弥満誓 しゃみのまんぜい)。
こうして、昔の日本語が、創りあげ伝えてきたものは、どこへ行ったのだろうか・・・。
だから今、私が毎日読んでいるのは、こうした古文、日本の古典文学になってしまったのだ。
もっとも、今の時代の日本語がどうとか言う前に、今このブログに書いている私の文章自体が、まとまりもなく、文章の長短さえも頭に入れずに出まかせに書いているだけだから、余り人のことは言えないのだが。
そこは、”脳天気”な”ぐうたらじじい”の私のこと、自分のことは置いといて、まずは好きなAKBにうつつをぬかしている毎日なのだ。
前回書いたように、作詞家兼プロデュースサーの秋元康の超人的な努力により、一気に多くの新曲が日の目を見たわけで、そこで何度も言うように、本家AKBの新曲「君はメロディー」は、あのゴテゴテしたMV(ミュージック・ビデオ)ではなく、先日の歌番組で見た清楚(せいそ)なスカート姿のメンバーたちのほうがはるかに良く、歌詞は単純だが何とも曲調がアイドル曲らしくて耳に残るし、一方の乃木坂の新曲「ハルジオンの咲くころ」の歌詞は、さすがに乃木坂を”掌中の珠(しょうちゅうのたま)”と考えている秋元康らしく、よく練られている詩だとは思うのだが。
他の6曲にもなる新曲とのカップリング曲の中では、NMBの「Must be now」や藤田奈那のソロ曲「右足エビデンス」の流れをくむ、HKTのダンス・ナンバー「Make noise」が、そのMVでの踊りと併せて、群を抜いて素晴らしい。
アイドル好きなAKBファンには余り売れない曲かもしれないけれども、このジャンルの曲は今後ともぜひ続けてほしい。
もう一つ気に入ったのは、AKB乃木坂混成チームによる「混ざり合うもの」、あの”にゃんにゃん”こと小嶋陽菜(こじまはるな)をセンターにして左右に乃木坂の人気メンバー白石と西野を配した一列目は見た目も素晴らしいし、何より乃木坂ふうなロングスカートの制服に、AKBと乃木坂の曲調を合わせたような歌と、静かなモダン・ダンスのような振り付け、雪の上で小さくリズムをとる足首のアップのビデオ映像も印象的だし、全体的に、昔の異色の名曲「胡桃(くるみ)とダイアローグ」を思い出してしまう。
はい、在宅AKBファンである、じじいは、じじいなりに楽しんでいるのでありまして、残り少ない人生、何とか笑みを浮かべて生きていきたいと思っているのではおりますが・・・。