ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシの飼い主(13)

2008-04-09 17:46:54 | Weblog
4月9日 天気予報どおり、昼頃から雨になった。風まじりで時折、強く降る。
 午前中、飼い主が畑仕事をしている時に、ワタシも外に出て、ついでにトイレもすませておいたから、後は寝て過ごすしかないが、やはり退屈だ。アクビをしているワタシを見て、飼い主がネコじゃらしで遊んでくれる。オモチャだと分かってはいるし、いい年なのだが、ついついじゃれついてしまうのだ。
 このネコじゃらし、飼い主が100円ショップで買ってきたもので、他にも一般的なシッポのようなものもあるが、ワタシが何度も食いちぎり、そのたびごとに飼い主が針と糸で縫い直している代物だ。
 飼い主に言わせれば、ネコと遊んでやるのに何も高いもの買うことはないと、日ごろからのごひいきである100円ショップで見つけたものとのことだが、ワタシは結構気に入っている。
 このシブチンの飼い主、例のアイルランドのパン娘の他にも、ケチくさい話、ゴホン、あー失礼しました正しい貧乏、倹約の話があるそうで・・・。

 「なあに、単純な話よ。お金を使わないことよ。と言うより、オレにとっては、山の中に住んでいれば、町に出ない限り、何日もお金に触ることはないもの。もちろん人それぞれの性分もあるだろうがね。 
 オレは子供のころ、家の茶ダンスの中に入れてあった財布から、小銭を盗んだことがある。それを見つけた時の母親の顔は、今でも覚えているくらい恐ろしかった。わが子を泥棒にするために育てたんじゃないと泣き叫び、逃げ出したオレを追いかけてきた。はだしで暗い夜道を走り、学校に逃げ込み、不気味に静まり返った校庭には母の声が響き渡った。
 しばらく家の周りをウロウロとした後、親類の叔母さんのとりなしで、何とか部屋(母子二人で借りていた)に戻り、遅い夕食を食べた。途中で母は、また泣き出してしまい。それを見る辛さで、オレもまた泣いた。みんなが貧乏だった昔には、良くあった話だ。
 厳しい祖母にしつけられた母は、大人になるまで自分の家の辛い田んぼ作業を手伝わされていたから、米粒一つにさえうるさかった。物を粗末にしないこと、品性正しくあること・・・オレたちと同じ時代に育てられた者なら、皆そう言われたはずだ。今になって、その意味がよく分かるのだけれど。
 ゼイタクな今の人たちが悪いというのではない。テレビ、雑誌、インターネットで、毎日、流行品をあおり立てられ、目の前の店頭に飾り立てられているのを見れば、誰だって欲しくなってしまうだろうし、その欲望は際限なく続くのだ。
 そこから逃れるには・・・簡単なことだ、町から離れて、不便な山の中に住めばよい。
 まあ、それは極端な話だとしても、ヨーロッパの旅では、あのアイルランドのパン娘の他にも、倹約するということについては、いろいろと考えさせられることが多かった。これはその一つだ。
 イギリス南西部の小さな町に住むイギリス人を訪ねたときの話だ。彼とはオーストラリアの砂漠の道で、お互いにバイクに乗っての旅の途中に出会ったのだ。
 小さな駅に着くと、彼が待っていた。十年ぶりに会う彼は髪が少し薄くなっていたが、元気そうだった。ランドローバーに乗って田園地帯を走り、着いた所には、なんと見事な城館があった。彼は、広い農園主の貴族だったのだ。
 しかし屋敷の中にふんぞり返っているだけの、御舘様(おやかたさま)ではなかった。汚れた服を着て、使用人と一緒になって働く姿は、とてもイギリスの貴族とは思えなかった。そして、客をもてなす夕食は、なんとあのフィッシュ・アンド・チップス(魚のフライとポテトチップ)にスープだけ・・・それが彼らのいつもの食事だったのだ。
 次の日の朝、彼はオレを車庫に連れて行った。シャッターを開けると、そこにはピカピカに輝くホンダの6気筒1100ccのバイクがあった。当時日本ではまだ750cc以上のバイクが解禁されておらず、輸入品扱いで、高級なクルマが十分に買える値段だったはずだ。
 それは、アイルランドのパン娘とは対極にあるけれども、オレにとっては、お金を使うことの意味を深く考えさせられた出来事だったのだ。
 山の中に住むことという、オレの結論は変わらない。しかし、前回書いた源信の『往生要集』の言葉と同じように、すべて自分を律しているわけではない、そうありたいと常づね思っているということだ。」

 まあ長々とご苦労さんでした。そうした年寄りの説教話というのは良くあることですからね。ワタシたちネコには、まさにネコに小判の話で、お金を使えない、使わないということが、むしろ幸せなのかもしれませんね。