9月30日
拝啓 ミャオ様
今朝の気温は3度にまで下がり、道ばたのフウロソウ(ゲンノショウコ)の葉が、縁取られたように白くなっている。これで、三日続けて軽い霜が降りたことになり、すっかり秋の空気になってしまった。
家の林の方から、騒がしい鳥の鳴き声が聞こえてくる。それは、今まで他の鳥や猫の鳴きまねをして、私を振り向かせたあのいたずらミヤマカケスの声とは違う、久しぶりに聞くツグミの声だった。
数羽の群れだから、おそらくは秋の渡りの途中なのだろうが、もうそんな季節になったのかと思う。
今にして思えば、こんな秋の季節へと変わるのを教えてくれていたのは、九日前のあの夕焼け空だったのだ(写真)。
その日の夕方の4時半、外に出てみたのだが、薄雲が空を覆い、今の橙色のままで、今日の夕焼けは終わりだろうと思っていた。5時過ぎに(日の入りは5時25分頃)外を見ると、空に赤い色が広がり始めていた。
カメラを持って外に出て、家の前にある隣の農家の牧草畑に行く。最後の牧草の刈り取りが終わったばかりで、まだ昼間の枯れ草の匂いが残っていた。
そこで私は、6時近くになるまでの間、年に数度あるかないかの、まさに豪華絢爛たる赤い彩の天体ショーを楽しむことができた。
夕焼けは、どの様な色や広がりがあるにせよ、それぞれにそれなりの美しさがあるし、決してその日と同じ夕焼けを見ることはできないものなのだ。その一つとして、あの日見たものは、’08.9.21の夕焼け空として記憶されるだろう。
北から南へと、日高山脈の全山が連なるシルエットの上に、その光の源である西の空から、私の立っている東の方へと向かって、豊かに広がる巻雲(すじ雲)が伸びている。頭上を覆う天空の、中ほど辺りまでが、鮮やかな赤に染められていて、やがてそれは、次第に深紅色へと変わっていく。ただ立ちすくみ、見続ける他はない空の色だった。
なんという幸せなひと時だったことだろう。去年も10月の始めの頃に、同じように、だけれどもまた別な素晴らしい夕焼けを見ていたのだ。
思い出の中の朝焼けや夕焼けの空は、他にもまだ幾つもある。そのほとんどが、山に登った時であるが、空を染める色と伴に、山々の姿も華やかな色へと変わっていく、そんな贅沢なひと時の眺めだった。
若かりし頃の旅先での思い出・・・オーストラリアの赤い砂漠の中で、夕陽が茫漠とした地平に沈んでいき、その後も全天空を覆い続けた薄あかね色の余韻・・・ポーランドの大平原を走り続ける列車の窓から見た昇る朝日、低く漂う朝霧、穏やかなシルエットになった樹々や家々・・・。
すべて遠い昔の話だ。私はただ、それらの赤い光に満ち満ちていた景色の思い出に浸るだけだ。時という名の翼をつけた白馬が、茜色に染められて、永遠の空へと帰って行く・・・。
「ケッ、馬鹿馬鹿しくって聞いてらんねえよ。飼い主さん、自分の顔を鏡でよく見て下さいよ。そんな白馬が空にってえツラですかねえ。(小声で)・・・鬼瓦顔のくせして。くだらない夢を見ているヒマがあったら、一日でも早くこちらへ戻ってきてワタシの面倒見て下さいよ。」
ミャオ、そう言われると、その通りだし申し訳ないとも思うけれども、なんだな、辛い気持ちの人間ほど、夢を見たがるものなんだ。それで、自分の心の中で埋め合わせすることができるというわけだ。そこんとこ、分かってくれ。
今日、夕焼け空のことを書いたのは、次の日には(夕焼けの後の晴れの予報通りで)、大雪の紅葉を見に行ってきて、そちらのことを書くのが先だったし(9月24日、27日の項)、ところがその山登りで足首を痛めて、今のところ家でおとなしくしているしかないから、ヒマで色々と思い出したというわけなんだ。
ともかく、ミャオも元気でいてくれ。
飼い主より 敬具
拝啓 ミャオ様
今朝の気温は3度にまで下がり、道ばたのフウロソウ(ゲンノショウコ)の葉が、縁取られたように白くなっている。これで、三日続けて軽い霜が降りたことになり、すっかり秋の空気になってしまった。
家の林の方から、騒がしい鳥の鳴き声が聞こえてくる。それは、今まで他の鳥や猫の鳴きまねをして、私を振り向かせたあのいたずらミヤマカケスの声とは違う、久しぶりに聞くツグミの声だった。
数羽の群れだから、おそらくは秋の渡りの途中なのだろうが、もうそんな季節になったのかと思う。
今にして思えば、こんな秋の季節へと変わるのを教えてくれていたのは、九日前のあの夕焼け空だったのだ(写真)。
その日の夕方の4時半、外に出てみたのだが、薄雲が空を覆い、今の橙色のままで、今日の夕焼けは終わりだろうと思っていた。5時過ぎに(日の入りは5時25分頃)外を見ると、空に赤い色が広がり始めていた。
カメラを持って外に出て、家の前にある隣の農家の牧草畑に行く。最後の牧草の刈り取りが終わったばかりで、まだ昼間の枯れ草の匂いが残っていた。
そこで私は、6時近くになるまでの間、年に数度あるかないかの、まさに豪華絢爛たる赤い彩の天体ショーを楽しむことができた。
夕焼けは、どの様な色や広がりがあるにせよ、それぞれにそれなりの美しさがあるし、決してその日と同じ夕焼けを見ることはできないものなのだ。その一つとして、あの日見たものは、’08.9.21の夕焼け空として記憶されるだろう。
北から南へと、日高山脈の全山が連なるシルエットの上に、その光の源である西の空から、私の立っている東の方へと向かって、豊かに広がる巻雲(すじ雲)が伸びている。頭上を覆う天空の、中ほど辺りまでが、鮮やかな赤に染められていて、やがてそれは、次第に深紅色へと変わっていく。ただ立ちすくみ、見続ける他はない空の色だった。
なんという幸せなひと時だったことだろう。去年も10月の始めの頃に、同じように、だけれどもまた別な素晴らしい夕焼けを見ていたのだ。
思い出の中の朝焼けや夕焼けの空は、他にもまだ幾つもある。そのほとんどが、山に登った時であるが、空を染める色と伴に、山々の姿も華やかな色へと変わっていく、そんな贅沢なひと時の眺めだった。
若かりし頃の旅先での思い出・・・オーストラリアの赤い砂漠の中で、夕陽が茫漠とした地平に沈んでいき、その後も全天空を覆い続けた薄あかね色の余韻・・・ポーランドの大平原を走り続ける列車の窓から見た昇る朝日、低く漂う朝霧、穏やかなシルエットになった樹々や家々・・・。
すべて遠い昔の話だ。私はただ、それらの赤い光に満ち満ちていた景色の思い出に浸るだけだ。時という名の翼をつけた白馬が、茜色に染められて、永遠の空へと帰って行く・・・。
「ケッ、馬鹿馬鹿しくって聞いてらんねえよ。飼い主さん、自分の顔を鏡でよく見て下さいよ。そんな白馬が空にってえツラですかねえ。(小声で)・・・鬼瓦顔のくせして。くだらない夢を見ているヒマがあったら、一日でも早くこちらへ戻ってきてワタシの面倒見て下さいよ。」
ミャオ、そう言われると、その通りだし申し訳ないとも思うけれども、なんだな、辛い気持ちの人間ほど、夢を見たがるものなんだ。それで、自分の心の中で埋め合わせすることができるというわけだ。そこんとこ、分かってくれ。
今日、夕焼け空のことを書いたのは、次の日には(夕焼けの後の晴れの予報通りで)、大雪の紅葉を見に行ってきて、そちらのことを書くのが先だったし(9月24日、27日の項)、ところがその山登りで足首を痛めて、今のところ家でおとなしくしているしかないから、ヒマで色々と思い出したというわけなんだ。
ともかく、ミャオも元気でいてくれ。
飼い主より 敬具