10月29日
北海道の、短い秋が深まってきた。林の中の木々は、それぞれに紅葉の盛りを迎えているものもあれば、もう散ってしまったものもあり、少しずつ色づき始めたものもある。そして、空高く競い立つカラマツの黄葉も始まり、風の強い日には庭や屋根に舞い落ちる。
毎日、晴天の日々が続いていた。私にとっての仕事の日々である。
家の周りを取り囲む、林の木々の手入れをしなければならない。春先に何度も見回って、あちこち片づけてから、暑い夏の間は何もしなかった。林の間をめぐる作業道の手入れもしていないから、道は所々ササに覆われてしまっている。
つまりそれは、日ごろから登山者たちが何の気なしに歩いている登山道も、こうしたササなどが茂る所などでは、年に一二回のササ刈りなどの手入れが必要なのだ。前回に登った大雪山は松仙園(しょうせんえん)への登山道が閉鎖されているのも、そうした理由からだろう。
ともかく、まずはその自宅林内の作業道のササを刈り払い、道筋をつけてから、傾いたり、枯れ始めたりしているカラマツの木を、チェーンソーで切り倒していく。
もう樹齢50年近くにもなる、十数メートルほどの木の伐採(ばっさい)には危険が伴う。毎年、プロの作業者たちですら命を失う事もあるほどで、現にだいぶ前の話になるが、私の友達の身内のひとりが、林の中で伐木作業中に、倒れてきた木の下敷きになって亡くなっているくらいなのだ。
高い木を切る時に、計画的にその区画を全部伐採する皆伐(かいばつ)の場合は、つまり開けた下の方向へ低いところから順に切り倒していけばいいから、まだいいとしても(それでも危険な作業に変わりはないが)、間伐(かんばつ)の場合は、それも家の林のように木が大きくなってきてからの間伐はやっかいである。
高低差もあまりなく、他の木々が周りを取り囲んでいる所で、特定の一本の木だけをうまく切り倒さなければならないから、なるべく他の木に当たらないような方向を選んでから、まずはその木の根元の部分に楔(くさび)形の切り込みを入れ、その反対側からやや斜め下に向かって、チェーンソーの刃を当てて切り込んでいく。
そして、切り終わる寸前、木が揺らぎ始めた頃から危険が増してくる。切り終わらないうちに木の幹が裂けて、倒れながら大きく跳ね返ったり、チェーンソーの歯が切り離れた木の幹との間に挟まったり、途中で他の木に引っ掛かってしまったりするからだ。
それぞれに、今までの経験から何とかひとりで工夫して、木を完全に地面に倒してしまう。そして、まず枝を切り落とし、次に根元部分から、大体6尺(180㎝)位の長さで切っていく。
昔は、2、4mとか3、6mの長さにも切っていたのだが、クルマも入れない林の中、とても一人で運ぶことなどできなくて、今では6尺物が限度だ。それを一本一本、家のそばまで運んで行く。ストーヴを燃やす今の時期でも、汗びっしょりになる仕事だ。
一区切りつけたところで、家の中に戻り休んで、時には風呂をわかして入り、やれやれという毎日だが、いつも夕方になると、もう一つの楽しみがある。家の前から見える日高山脈の夕日だ。
雨の日や曇り空になっている時にはもちろん見えないが、こうして冬にかけては天気の良い日が続き、少しでも西の空にすき間があれば、毎回違った夕焼け空を見ることができる。
それは、自然という神様が私にくれる、とびっきりのショー・タイムの時間なのだ。
全天空が、茜(あかね)色に染まる壮大な夕焼け空というのは、年に一度か二度あるくらいだけれども、それでもどんな夕焼けの空もそれぞれに美しい。
一昨日の夕焼け空も、取り立てて言うほどのものではなかったけれども、ペテガリ岳(1736m)の後ろに夕日が沈み、山々のシルエットの背景が赤くなったまま、しばらくその色合いが続いていく、そのひと時が見ものなのだ。(写真)
さらに私は夕日が沈む時以上に、沈んだ後の茜空から赤紫の闇へとゆっくりと変化していくひと時が好きなのだ。気がつくと、暗くなった空には一番星が輝いている・・・。
その夕焼け空が印象的なシーン・・・地平線の見える砂漠の中を走る道の傍にある、ネオンの灯ったカフェ兼モーテルの家・・・そこに人々の日々の生活がある・・・。広大な夕焼けの空。
私が前から見たいと思っていた映画、『バグダッド・カフェ』がつい数日前に、BSの12チャンネルで放映されていた。『東京ごはん映画祭』と名うたれた催し物の一環としての上映らしかったが、そんなことはどうでもよい、ともかく名作という評価のある映画をこうして見ることができたことに、改めて感謝したいと思う。
さらには、私は最初に公開された映画をもちろんのこと見ていないのだが、これは最近、ディレクターズ・カットという監督の意向によって新たに編集しなおされた、新版ということでもあったのだ。
私は高校生の時代からの洋画ファンであり、幸いにも東京で出版編集の仕事を得て、その中の音楽・映画セクションンにいたこともあって、昔の名画といわれるものは言うに及ばず、新しい映画についても日々気にはなっているのだが、こうして長年、田舎に引っこんでいる今では、ただテレビで放映される映画だけが頼りという、はなはだ心細い状態にあるのだ。
だから新しい映画は見ることができず、数年後にテレビで放映されるものだけを見るという、極めて時代遅れな見方をしているのだ。もっともそれによって映画の価値が変わるわけはないと、自分に言い聞かせてはいるのだが・・・。
ただし、良い点もある。後出しじゃんけん的ではあるが、評価の高いものを選んで見ることができるからだ。
つまり、テレビで放映されるものは、玉石混交(ぎょくせきこんこう)のピンキリの映画があるからすべてを見るわけにもいかず、どう選択するのかが大切になってくる。
古い映画の名作と呼ばれるものは、大体頭の中に入っているからいいけれど、比較的新しいものはどう選んで見るのか。そこでは、映画専門誌などで発表されるその年の映画ベスト10などをあてにするしかない。
とはいっても自分の感性に合うかどうかはわからないし、たとえば、1989年度のキネマ旬報社ベスト10では、あのハリウッド映画の『ダイ・ハード』がベスト1に選ばれていて、私は思わずわが目を疑ったほどだ。ちなみに同じ年のこの『バグダッド・カフェ』は6位、『ニュー・シネマ・パラダイス』は7位だった。
だから後は、制作された国や監督・出演者などの名を見て、新聞雑誌等の映画評を思い出し、最後には自分の判断で選ぶしかない。
この1987年制作の映画は、アメリカのラスヴェガス近郊の、モハーヴェ砂漠(砂漠は砂丘をイメージしがちだが、乾燥した荒地をも意味する)を舞台にしている。
バグダッドというあのイラクの首都の名前が、この地の名前としてつけられていて、映画の題名にもなっているのだ。それはヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』(’84)でのテキサス州にあるパリという町の名の場合と同じだが。
そこにあるさびれたカフェでの話なのに、監督はパーシー・アドロンという英語風な名前ながらドイツ人であり、れっきとした統一前の西ドイツ制作の映画なのだ。
私はこの映画を、録画ではなく、夜に放映されたその時間に合わせて見始めて、とうとう最後まで画面から目を離すことなく見終えてしまった。
映画としての面白さもさることながら、この民放BS12チャンネル(TwellV)が、何と途中にCMをはさむことなく、一気に放映してくれたからだ。映画は、テレビで見るにしてもこうあるべきなのだ。(NHKを除く他の民放BSでは、CMが多すぎて録画した後の編集にひと苦労してしまう。)
ストーリーは、ドイツから観光旅行でやって来た夫婦が、(ラスヴェガスで大損したのか)途中で夫婦げんかをして、妻は車を降りてひとり旅行ケースを引きながら砂漠の道を歩いて、やっとのことで一軒家のさびれたモーテル兼カフェにたどり着く。
行く当てもないそのドイツ女は、不審に思うカフェの女主人にうとまれながらも、そこで何日かを過ごすうちに、このモーテル・カフェの汚さが気になって、がまんできずにあちこちを掃除してきれいにしてしまう。
(このあたりのドイツ人のきれい好きは、私もかつてのヨーロッパ旅行で経験していて納得できるし、ドイツは一番居心地の良い国だった。)
さらに、そのカフェの家族たちを喜ばせるために彼女が始めた手品が大うけとなり、一躍、ヴェガスのショー・タイムよりも面白いと評判になり、カフェはお客さんで大賑わいになる。
しかし、観光ビザで入ってきた彼女は、それ以上長くはいられなくなり、出て行くことになる。
もちろん話はそこで終わるはずもない。名曲「コーリング・ユー」の呼び声に乗って彼女は再び戻ってきて、ハッピーエンドへとアメリカ映画らしい結末に向かうのだ。
いい映画だった。何より、ドイツ人とアメリカ人との違いを融合して作った、ロード・ムービーの温かいヒューマン・ドラマになっていたからだ。
ドイツとアメリカの違いは、彼女のドイツなまりの英語だけではなく、たとえば、濃いコーヒーを飲むドイツと薄いアメリカンとの違い、そのコーヒーを作る壊れやすいアメリカのコーヒー・ミルと(ケンカ別れした旦那が置いていってくれた)丈夫なドイツのポット式のコーヒー・ミルなどである。
ジャスミンと呼ばれる主人公のドイツ女を演じる、いかにもドイツらしい名前のマリアンネ・ゼーゲブレヒトは、太った体にやさしいドイツのおばさん顔という容姿で、その存在感が素晴らしい。(確か彼女に似たキューピーおばさんみたいな絵を見た覚えがあるが、画家の名前が思い出せない)。
ドイツ、ミュンヘン近郊のローゼンハイムから来たという設定で、彼女のまさにバイエルン・カラーのスーツと帽子を見て、なつかしい気さえした。
さらに相手役の、ブレンダと呼ばれるカフェの黒人の女主人、いつもイラついて生活に追われている感じの表情が見事であり、その子供でティーンエイジャーの遊び好きな娘、いつもバッハのピアノ曲(『平均律クラヴィア曲集』)を弾いている弟(彼には何ともう子供の赤ん坊がいる)、そして一方家を出たものの、愛する妻が心配で遠くから見ているだけの気の弱そうな主人。
他にも、メキシコ系らしいバーテンダーの若者と、パトカーでついでにコーヒー・ミルを届けてくれる三つ編みの原住民インディアン系の警官。
さらには、広い敷地の片隅で、トレーラーを停めて家として暮らしている、元ハリウッドの舞台書割(かきわり)画家の男。何と彼はあのかつての『シェーン』で悪役を演じた、ジャック・パランスであり、さらに驚いたのは、モーテルの一部屋で、通りがかりのドライバーたちに、仕事としてタトゥー(入れ墨)を入れてやっていた女は、その昔、絶世の美少女と言われていたあのクリスティーネ・カウフマンだったのだ。
昔の彼女を知る私たちおじさん一同は、深いため息をつくしかないのだ。
当時、あれほど美しく輝いていた娘が、18歳の時に映画『隊長ブーリバ』(’67)で共演した、プレイボーイの色男、トニー・カーティスの甘言に乗って口説き落され結婚してしまい、わずか数年で離婚することになり、彼女の女優人生においても、結局はいい作品に恵まれることもなく、この映画では落ちぶれた女刺青(いれずみ)師として出演していたのだ。この時、42歳。
調べてみると、彼女は今はドイツに戻って映画テレビ・ドラマなどに出演し、自分の名前のブランド・コスメ品も出しているとのことだが。(ウィキペディアより。)
しかし、この映画を見ると、当時の清純な彼女の面影がちらつき、その後の彼女の人生と時の流れを思ってしまうのだ・・・。
さらに日本映画界での、鰐淵(わにぶち)晴子の美少女時代の面影とその後の人生も・・・。(幼い頃に彼女の『ノンちゃん雲に乗る』(’55)を見た記憶があるのだが、調べてみると何と母親役はあの原節子だった。)
もっとも人のことを言う前に、そういうおまえこそ悲惨な人生だったのではと言われそうだが、脳天気な私には、気楽な昼寝の高いびきの毎日であり、まあ”あとは野となれ山となれ”といったところなのだ・・・。)
すっかり懐かしのスターたちの話で、わき道にそれてしまったが、この映画『バグダッド・カフェ』の話に戻ろう。
後半部分の、ジャスミン、ブレンダを含めての皆で演出するショー・タイムのシーンなど、いかにも昔のアメリカ映画にありそうなミュージカル仕立てであり、やや冗長(じょうちょう)だし作りすぎだとみられなくもない。
ただ、いろいろと互いのいがみ合いや苦労の過程があって、結局は楽しく結末を迎えるという古き良き時代のアメリカ映画をほうふつとさせるという点では、それも納得できるのだ。
あくまでも私の推論なのだが、このドイツ人の監督は、こうした古い時代のアメリカ映画をよく知っていて、一見あり得そうにもないドイツ女を主人公にすることで、現代に置き換えて、夢のある映画を作ろうとしたのではないか。
ここでのジャスミンは、まさしくあの『シェーン』(’53)の流れ者のヒーローそのものであり、その時の敵役であったジャック・パランスが、ここでは恋人になる役だなんて・・・さらに、クリスティーネ・カウフマンの女刺青師という役柄は、ペリー・コモの歌で大ヒットした主題歌で有名な『バラの刺青(いれずみ)』(’55、イタリアの名女優アンナ・マニャーニにバート・ランカスターという異色で地味な組み合わせ)での、彼女の切ない表情が浮かんでくるような、まさに考えられたキャスティングだとも思うのだが。
そして、映画の中でたびたび映し出されたヒッチハイカーとブーメランの組み合わせは、旅をしてもまた戻ってくることへの暗示なのだろうかと、いろいろと考えても見た。
つまり監督・脚本を手がけた、パーシー・アドロンのこの映画にかける思いが、あちこちから伝わってくるのだ。映画は素晴らしいという作者の思いが・・・。
それは上でも少しふれたが、奇しくも同じ年に公開されたあの『ニュー・シネマ・パラダイス』にも言えることだし、さらに一人の女主人公が現れて周りの人々にひと時の幸せをもたらすという話の映画は、他にもいくつかあるが、さらにたまたま同年のキネ旬ベスト10の2位になったのは、あの『バベットの晩餐(ばんさん)会』であり、これもまたそうした幸せな気持ちにさせてくれる映画だった。
さらに一つ付け加えれば、同じドイツの名監督のヴィム・ヴェンダース(『都会のアリス』(’74)、『ベルリン天使の詩』(’87)など)による作品で、上でも少しふれた『パリ、テキサス』(’84)という、ライ・クーダーのスライド・ギターが印象的な名作があった。
同じアメリカの砂漠の中で始まるロード・ムービーであり、一人の男の家族をめぐる放浪の旅の映画だったが、意図するところは違っていても、同じドイツの映画監督が、地名にこだわって作ったアメリカを描いた映画ということで、この二つの作品には実に興味深いものがある。
そうやって見てくると、いやー映画って本当に面白いですねと言いたくもなるのだ。
このところ、このブログで3回続けて映画について書いてしまったが、これらの映画は、私の生涯のベスト映画にあげるほどのものではないにせよ、こうした佳作映画のたくさんの積み重ねが、長年にわたって私の心をはぐくみ、ある時は慰め励ましてきてくれたのだ。
「若いうちに本当のものをたくさん見ておきなさい。」というあの淀川長治さんの声は、ヨレヨレおやじの今の私の胸にも響いてくるのだ。
さて、もう1カ月近く山に行っていない。そこで、そろそろ新雪の雪山に登ろうと思っていた矢先、上に書いた自宅林内での作業中に、誤って丸太を足の甲の上に落としてしまった。数十キロもある丸太だから長靴の上からとはいえ、一瞬声を上げるほどの痛さだった。
歩けないほどひどいものではないのだが、とても山は無理だ。しばらくは、おとなしくしているほかはない。ああ、あの青空の下の鮮やかな白雪の山々の姿が逃げて行く・・・。年寄りにとっては、山は年ごとに逃げて行くのだ。
昨夜から、季節外れの雨がトタン屋根を叩いて降り続いていて、ようやく昼過ぎには上がったのだが、重たい曇り空のままだ。いい天気の日が続けば、必ず雨の日もあるということなのだ。
ままよ、人生ではそういうことがよくあるものだ。これも神のおぼしめし。足が痛い、天気が悪いと悔やむよりは、そのおかげでこのブログを書き上げたし、他のこともできるのだと、ぐうたらオヤジは考えるのでありました。
さらに、明日の天気を告げるかのような、上の一昨日の夕焼けとはまた違う、今日の夕焼けの色・・・。(写真下)