1月29日
数日前、この冬の最強寒波が日本列島を覆っていた時、それを待ちかねていた私は、山に行ってきた。
もっとも、この雪や寒さの中、山登りどころではなく、むしろそのために、日々の仕事に差しさわりが出てくるような、多くの一般の人たちには申し訳ないのだが。
というのも、いくら日本海側の気候の影響を受けて、冬場の雪が多いと言われる北部九州の山々でも、特に九州で最も高い山々が集まっている(たかだか1700mの高さしかないが)九重山でも、雪はとけやすく、冬の季節を通して春先までしっかりとした雪渓として残っていることはほとんどなく、いわば”パートタイム雪山”として、楽しむほかはないのだが、それでも、ひと冬に何度かは厳冬期の冬山の厳しさと美しさを味わうことができるのだ。
東京では、久しぶりの21㎝の積雪に(青森酸ヶ湯では早くも2mを越えているとか)、さらには48年ぶりと言われる-4度の気温(この冬の北海道の-30℃から言えば春先の気温でしかないが)、そうした全国規模の寒波に日本列島が包まれていたときこそが、実は九州の雪山を楽しむには最適の時なのだ。
しかし、考えてみれば、こうして老い先短い年寄りが、最後の愉(たの)しみにとばかりに、喜々(きき)として雪山に出かけていく姿は、はたから見れば、何やらあの世の白亜の宮殿へと向かう、亡者たちにも似て・・・。
近頃の言葉で言えば、入学希望者たちが、事前にその学校を見て回る”オープン・キャンパス”の制度に似て、さしづめ”オープン・ヘイディーズ(冥土)“とでも言うべきか・・・そこに、頭に三角巾ならぬ白い毛糸帽をかぶった私めが、その白亜の迷宮へとそろりそろりと近づいて行くさまは、もうそれが三途の川を渡り閻魔(えんま)大王の尋問(じんもん)を受けるべく歩いて行くのか、それともギリシア神話の冥界の王ハデス(ヘイディーズ)のもとへと向かう姿なのか・・・。
私の友達の中には、そんな私をはなから馬鹿にして、”そんな金にもならない山登りなんぞをやって何になる、どのみちお迎えは来るのだし、その間うまいもの食ってテレビでも見ていたほうがましだわ”と言うのだが。
確かに、その通りでもあるのだが。
しかし、もって生まれたマゾヒスティックな性分なのか、”あーあ親の因果が子に報い、産まれ出でたるこの姿、哀れ悲しき嬰児(みどりごは)は、いつしかじじいになり果てて、相も変わらぬ山狂い、雪のムチをば身に受けて、鼻水、涙を流しては、身もだえ喜ぶその姿、この世の人にはあるまじく、魔界の人となりぬべし・・・”。
こうして、雪山好きの変態じじいは、今日も今日とて、雪道にクルマを走らせては、山に向かうのでした。
朝のうちは曇っていたので、しばらくは空模様を眺めて家で待っていたのだが、例の気象庁の天気分布予報でも、九重山の辺りは、昼頃からはそれまで灰色だったマス目の色が晴れの色に変わっているし、西の空に雲が少なく青空が増えてきたところで、出かけることにした。これが、山に近い田舎に住んでいる者の利点の一つだ。
思えば前回、曇り空の中、淡い期待だけで無理に出かけて行った時、天気分布予報では、九重山域だけがずっと灰色や白のまま、曇りや雪を予報していて、全くその通りの天気だったのであり、そんな中出かけて行った私が悪いのだ。(1月15日の項参照)
さて、九重までの山間の道は、所々圧雪状態で雪が残っていたが、おおむね下の舗装道が見えていて、前回の全線圧雪アイスバーン状態と比べればはるかに楽だった。
牧ノ戸峠の駐車場は、平日ということもあって、20台ほどの車が停まっているだけで、すぐ手前の方に停めることができた。
結局、今回も前回と同じく、登山口を出たのは11時になる前くらいだったのだが、前回と明らかに違うことは、まだ雲が多いものの、上空のあちこちに青空が見えていることだった。その雲の流れから、やがて晴れることを確信した。いいぞ。
雪に覆われた遊歩道の周りの樹々や灌木は、遠目には霧氷(樹氷)のように見えるのだが、そばで見ると、ただ枝や幹に雪が降り積もっただけの姿であることがわかる。(前回1月22日の項参照)
確かに家の周りでも、15㎝くらいの雪が降り積もったのだが、風が吹き付けて積もったものではなく、上から降ってきたやわらかい雪だったので、これでは山の上での霧氷(樹氷)や、さらに頂上付近での風紋やシュカブラなどもあまり期待できないと思っていたのだが。
しかし、その遊歩道の雪のトンネルを抜けると、今や晴れ渡ってきた青空を背景にして、おなじみの三俣山(1745m)が正面に大きく鎮座していた。
さらに、遊歩道の続く沓掛(くつかけ)山前峰まで上がると、ミヤマキリシマやリョウブやノリウツギなどの灌木帯はすべて、はっきりと霧氷の雪氷に覆われていた。
雪が降った後、昨日から風が強くなり、この山の上では今も強く吹いているからなのだろうが、前回の灰色の空を背景にした霧氷の姿と比べて、何と青空に映えることだろうか。
楽しい気分になって、沓掛山の雪の尾根道を歩いて行く。そして沓掛山本峰(1503m)頂上からの眺めは、三俣山、星生山、扇ヶ鼻と眼下のナベ谷のすべてが白く覆われ、上空を青空が覆っている。
岩場の山頂から下って、なだらかな雪の尾根道を歩いて行く。
そして、いつものナベ谷源頭の光景(冒頭の写真)だが、やはり青空があると素晴らしい、前回の曇り空の時の写真と比べれば、一目瞭然だ。(1月15日の項参照)
九重山のメインルートである、この牧ノ戸峠(1330m)登山口からの道は、出発点の標高がすでに高く、すぐに見通しの良いなだらかな尾根道に出て、いつも左右の展望を眺めながら歩いて行けるのが楽しいし、他に九重山全体では10数本余りのコースがあるのだが、年寄りになった今ではなおさらのこと、特に冬場は、どうしてもこの牧ノ戸コースを選んでしまうことになる。
そうして登山者が多いので、今回も20~30㎝の積雪があったのだが、その雪の道は踏み固められていて、さらに歩きやすくなっているのだ。
逆に言えば、年寄りになっても比較的楽に歩いて行くことのできる、この九重山への道があることに、感謝したいと思う。
”ふるさとの山は、ありがたきかな”(石川啄木の歌より)と、この年寄りはつくづく思うのであります。
さて、扇ヶ鼻分岐下の霧氷(樹氷)のトンネルをくぐって、西千里浜に出ると、今までの風がさらに強まって吹きつけてきた。
そのすぐ先の凹地の所で、前回と同じように初めて腰を下ろし一休みして、冬山ジャケットの中に厚手のフリースを着込み、頭には目出し帽とその上にツバ付き毛糸帽子を重ねてかぶった。手袋も冬用の二枚重ねだ。
この日の朝の家の外気温は-8度で、日中の最高気温もマイナスのままだったから、この風の強い山の上での気温は推して知るべしで、北海道での冬の体感気温としても、少なくとも-15℃くらいはあっただろう。
さて、その吹きさらしの西千里浜を歩いて行くと、いつもの久住山の鋭鋒が見えてくるのだが、残念ながらその前景となる所に雪が少なく、風衝地(ふうしょうち)の土が露出しているほどで、当然のことながら、風紋やシュカブラもあまり見られなかった。
この晴れた天気だから、風が強くても、前回の星生崎下のコルまでではなく、もちろん先まで行くつもりだったが、久住山(1787m)は展望が今一つだし、そして登りの北斜面の所でさらに強い風に吹かれそうだし、いつもの私の定番コースである天狗ヶ城から中岳へと向かうことにした。
避難小屋まで下りて、そこから久住分れ、そして空池火口のふちを通って御池(みいけ)火口へと登る。
その途中で、下りてくる二人に出会うが、おそらくは彼らが戻ってくる人の最後だろう。
今まで牧ノ戸からここまで、十何人かの戻ってくる人に出会ったけれども、ひとりの人が多くて他には2人3人くらいで、静かな平日の雪山だった。
完全に凍結している御池を眺めた後、左の急斜面を登って行く。
雪の上の足跡が少なくなり、それ以上に北西からの風が山肌に沿うように吹き付け、うなり声をあげていて、時には眼も開けられないほどの雪煙が舞っている。
右手は火口壁になっていて、時に風で体が持って行かれそうになるから、なるべく左手の斜面側に行くが、そちらのほうが風は強いし。
やっとのことで、烈風(れっぷう)吹きすさぶ天狗ヶ城(1780m)頂上に着く。
周囲を取り巻く素晴らしい展望はともかく、この風だから、少し中岳の方に下りた岩陰で腰を下ろす。
もう2時過ぎだったが、ようやく暖かい紅茶を飲みながらの昼食にする。正面に九重山群の最高峰中岳(1791m)と、その後ろに山腹が灌木樹林におおわれて少し暗い色合いの大船山(だいせんざん1787m)が見えている。
中岳の右に離れて稲星山(1774m)、その後ろ右手にかけて遠く祖母山(1755m)・傾山群、そして凍結した御池の向こうに、大きな山体を横たえた久住山(1787m)が見える。背後に九州脊梁の山々と阿蘇高岳がのぞいている。(写真下)
さらに立ち上がって、風を受けながら西から北を見ると、こちら側からはアルペン的な山容に見える星生山(ほっしょうざん1762m)、右手遠く涌蓋山(わいた山1500m)、手前に噴気をあげる硫黄山の尾根が下りてきた北千里浜の向こうに、どっしりと鎮座する三俣山(1745m)があり、その右手のかなたに由布岳(1583m)と鶴見岳(1375m)、そして坊がツルの湿原の向こうに平治岳(ひいじだけ1643m)、そして再び大船山へと戻る、ぐるりと回り見る大展望だ。
この時初めて、私は、目出し帽の上にかぶっていたツバ付き帽子が、吹き飛ばされてなくなっていることに気がついた。
厚手の目出し帽だから寒くはないし、サングラスもかけているから余計に気づかなかったのだろう。しかし、初冬の山歩きなどには重宝していた、ツバ付き毛糸帽子だけに残念ではあるが。
さてこの強い風の中、もうこれ以上先に向かうことは考えられなかった。いつもはこの天狗から中岳へと向かい、御池を通って戻って来るのだが、さらには夏のミヤマキリシマの花のころなら、さらに稲星山にまで足をのばしたりしたものだが、とてもこの風ではあきらめるしかない。
登りの時以上に向かい風に気を使い、ゆっくりと下りて行った。
すぐ下の御池分岐までくると、一安心だった。
帰り道、もう誰もいない雪山の道で、何度も何度も立ち止まり、行きと同じように写真を撮った。
もう3時に近く、午後の斜光線が、星生山の山陰に濃い陰影をつけていた。(写真下)
久住分れへと戻り、そこから星生崎下のコルへと登り返し、岩場のトラバースを下っていると、なんと一人の同年配の人が登ってきた。
声をかけると、これから星生崎まで上がって、夕陽の久住山を撮るとのことだった。
確かにあの星生崎の高みからは、久住、中岳・天狗、三俣山、星生山が見えて、これまたぐるりと山々を見回せるいいポイントなのだ。
さらに、西千里浜から分岐へと歩いて行く途中でも、これから夕陽の山の写真を撮りに行くという同年配の人に会った。
確かに、彼らのその思いはよく分かる。
私も、山の夕景の写真は撮りたいのだが、帰りの暗い道、下の雪道だけを見て歩いて行くのが嫌だし、その後で暗い夜道を運転して帰るのも嫌だし、と思っていたのだが、今日はこうして天気がいいし、この時間だから、何とか夕方まで待ってみるかという思いにもなっていた。
なだらかな尾根道を下って行き、沓掛山本峰に登り返して、そこで待つことにした。
他に誰もいない山頂で、1時間ほど待ち続けたのだが、山々は思ったほどには赤くならなかった。
それでも薄赤色に染まって行く三俣山の姿(写真下)はなかなかに良かったし、猟師山(りょうしやま1423m)の西に沈んでいく夕日は真っ赤になっていた。
夕闇迫る雪道を下りて行き、牧ノ戸峠の駐車場に戻ると、もう私のクルマの他には、3台くらいが停まっているだけだった。
年寄りになってからは、あまり夜道の運転はしたくないのだけれども。その、すっかり日が暮れて夜のとばりに包まれる中、雪の残る山道をスピードを落として走って、やっとのことで家に戻ってきた。
そして、帰ってきてすぐに入った風呂のお湯が、熱くそして温かく私の体を包んでくれた。
青空の下、雪の山々が見えていた、なんと幸せなひと時だったことだろう。
これが、生きているということなのだよ・・・と遠くから声が聞こえてくるような・・・。
それがこの世の声なのか、あの世の声なのかは分からないけれど。