ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(27)

2008-02-26 18:58:58 | Weblog
2月26日 朝から+4度もあり、暖かい。午後から雨になる。久しぶりの雨で、昨日までの雪も溶けてしまった。しかし、その雨も夕方にはミゾレまじりとなり、夜にはまた雪になるかもしれない。 
 冬と春のせめぎ合いがしばらく続き、そして春になっていくのだろう。
 昨日は、いい天気だった。例のごとく、ベランダでいっちょうらの毛皮のオーバーオールを干していると、他のネコの鳴き声。なんとマイケルが来たのだ。上からその様子を伺っていると、マイケルはワタシが近くにいるのを、知ってか知らずか、庭のアジサイの枝に顔で匂いをつけ、さらにオシッコをかけて、悠然と立ち去って行った。
 それは、「この家のメスネコは、オレのスケだからな、他のノラ野郎、近づくんじゃねえぞ」とでも言っているかのようで、ちょっとカッコよかった。例えて言うのなら、飼い主から聞いた昔の日本のギャング映画で、エースのジョーこと宍戸錠が、トレンチコートのえりを立てて、振り向きざまにニヤリと笑い、アバヨと立ち去っていく感じだ。
 ワタシがうっとりとして、マイケルが去っていった方を見ていると、それを窓から見ていたらしい飼い主が、わざわざドアを開けて出てきて言うのだ。
 「ミャオ、そんなにカッコよかあなかったぜ。まあ、同じトレンチコート姿でも、あの柳沢慎吾が歯茎の出た歯を見せて、アバヨとカッコつけてるふうだったな。」
 まったくもう、せっかくワタシが夢見心地なのに、このすかんタコ。昔から、「あばたもエクボ」とか、「蓼(たで)食う虫も好き好き」といって、人間の色恋の相手も人それぞれ、好き好きの好みがある、と言われているのと同じで、ネコのワタシでも、ワタシなりの好みがあるんですからね。大きなお世話です。
 ワタシはふてくされ、コタツの中にもぐりこむ、というより、今日は気温が高いと言って飼い主がストーヴを消したので、コタツの中にいる他はないのだ。時々出てきては、ニャーと鳴いて、飼い主がいるのを確かめる。
 夕方、四時過ぎになると、ワタシには分かる。そろそろサカナをもらえる時間だと。夏は、五時過ぎになるが、ともかく日が傾く頃だ。天気が悪かろうが、コタツの中にいようが、外に出ていようが、時間にはピタリと台所前に行き、ニャーニャーと鳴いてサカナを要求する。
 すると、ヤレヤレと飼い主がやってきて、冷蔵庫から、コアジ一匹を取り出してワタシにくれる。そのナマのアジにかぶりつく時が、ワタシの最高に幸せなひと時だ。若い頃は、今でも時々出てしまうが、食べながら鳴き声をあげてしまい、あの亡くなったおばあさんが、そんなワタシを見てよく言ったものだ。「よっぽどうれしいんだね、食べながらなんか言ってるよ」。
 一週間分の七、八匹のコアジが入って一パック150円くらいの、安上がりなワタシのグルメ・タイムなのだ。