2月13日 朝からの雪が降り続いている。-6度と冷え込んでいるから、溶ける間もなく、降り積もっていくのがわかる。
ワタシはいつものストーヴの前にいて、考えている。生きているということは・・・。何事もなく暮らしている毎日が、実は、いくつもの小さな幸せの、偶然の連続からなっているのだということ。そのことに人は、ワタシたちネコも、気づかずに毎日を送り、そしてたまたまめぐって来た異常な出来事に、慌てふためき、そこで初めて何事もなかった日々の、その小さな幸せに気づくのだ。
日ごろから人は、自分の手の指の効用についてなど、考えもしないだろうが、そのうちの一本を傷つけて、初めてそのありがたさに気づくのだ。ワタシたちネコの、鋭いツメとやわらかい肉球からなる指にしても、同じことだ。
こうしてストーヴの傍で、飼い主に体をなでられながら、ぬくぬくとすごすことのできる幸せも、幾つもの危険な目にあったワタシだからこそ、今更ながらありがたく感じられるのだ。
さて、前回からの話の続きだが、夕暮れ迫るススキの草むらに潜み、座り込んでいたワタシは、息子に抱え上げられ、家に連れ戻された。その後息子は、電話で誰かと話していたが、ワタシは弱った体のまま、その夜は、何とかおばあさんの部屋で寝てすごした。
次の日の朝、息子はワタシをダンボール箱に入れて、クルマに乗せた。狭い所に閉じ込められたワタシは、子ネコのころのイヤな思い出もあって、必死になって、最後の力を振り絞って暴れた。息子はそんなワタシに、何かを言い聞かせるように、箱の隙間から指を差し入れてワタシの体をなでた。10分ほどクルマで走り、動物病院に着いた。
そこでもワタシは少し暴れたが、若い獣医師は手馴れた様子で、ワタシを小さなゲージに移して、二人で何事か話し合った後、飼い主は帰っていった。
その後、その若い男は、ワタシの体にちくりと何かを刺し、ワタシはニャーと鳴いたが、その先はもう記憶が薄れて、いつしか眠り込んでしまっていたようだった。目が覚めた時には、なにやら体にチューブを巻きつけられ、ニャーニャー鳴いたけれど体の自由は利かず、仕方なくそこで寝てすごした。次の日になって、ワタシはチューブをはずされ、いつの間にか体がすっかり元気になっているのを感じた。
そしてさらに一晩過ごして、朝になると、あの息子の声がして、二人でなにやら話しをして、息子は頭を何度も下げたあと、ワタシを引き取り、持ってきた新しいネコゲージに入れた。その床には、ワタシが外のベランダで寝るときの座布団が敷いてあり、ワタシはその臭いをかいで自分のものだと確認し、中に入っていった。
クルマに乗せられて家に戻り、ゲージから出ると、待っていたおばあさんがいろいろと声をかけて、しばらく体をなでてくれた。ワタシは目を細めて、ニャーと鳴いてこたえた。そしてストーヴの前に座り、ワタシはいつものように毛づくろいをはじめた。
その後、二人はいつも以上に、ワタシにやさしくしてくれた。それから一ヶ月たったある日、突然のことだったが、あのおばあさんがワタシの前からいなくなってしまった。おばあさんの部屋は黒と白の幕で仕切られ、煙が立ち込めていた。そして、たくさんの知らない人たちが家にやって来て、着物を着た人が鐘を叩いて鳴らし、何事かを話し続け、その傍で息子が泣いていた。
次の日、日の当たるベランダの椅子に座って、息子はワタシを抱きしめ、「とうとう、オレたち二人きりになったな。」と言って、また涙を流していた。
・・・と、すっかり涙もろくなった飼い主は、もう今日はこれ以上、書けないと言っております。生きていれば、だれにとってもツライ時があるものなのです。
ワタシはいつものストーヴの前にいて、考えている。生きているということは・・・。何事もなく暮らしている毎日が、実は、いくつもの小さな幸せの、偶然の連続からなっているのだということ。そのことに人は、ワタシたちネコも、気づかずに毎日を送り、そしてたまたまめぐって来た異常な出来事に、慌てふためき、そこで初めて何事もなかった日々の、その小さな幸せに気づくのだ。
日ごろから人は、自分の手の指の効用についてなど、考えもしないだろうが、そのうちの一本を傷つけて、初めてそのありがたさに気づくのだ。ワタシたちネコの、鋭いツメとやわらかい肉球からなる指にしても、同じことだ。
こうしてストーヴの傍で、飼い主に体をなでられながら、ぬくぬくとすごすことのできる幸せも、幾つもの危険な目にあったワタシだからこそ、今更ながらありがたく感じられるのだ。
さて、前回からの話の続きだが、夕暮れ迫るススキの草むらに潜み、座り込んでいたワタシは、息子に抱え上げられ、家に連れ戻された。その後息子は、電話で誰かと話していたが、ワタシは弱った体のまま、その夜は、何とかおばあさんの部屋で寝てすごした。
次の日の朝、息子はワタシをダンボール箱に入れて、クルマに乗せた。狭い所に閉じ込められたワタシは、子ネコのころのイヤな思い出もあって、必死になって、最後の力を振り絞って暴れた。息子はそんなワタシに、何かを言い聞かせるように、箱の隙間から指を差し入れてワタシの体をなでた。10分ほどクルマで走り、動物病院に着いた。
そこでもワタシは少し暴れたが、若い獣医師は手馴れた様子で、ワタシを小さなゲージに移して、二人で何事か話し合った後、飼い主は帰っていった。
その後、その若い男は、ワタシの体にちくりと何かを刺し、ワタシはニャーと鳴いたが、その先はもう記憶が薄れて、いつしか眠り込んでしまっていたようだった。目が覚めた時には、なにやら体にチューブを巻きつけられ、ニャーニャー鳴いたけれど体の自由は利かず、仕方なくそこで寝てすごした。次の日になって、ワタシはチューブをはずされ、いつの間にか体がすっかり元気になっているのを感じた。
そしてさらに一晩過ごして、朝になると、あの息子の声がして、二人でなにやら話しをして、息子は頭を何度も下げたあと、ワタシを引き取り、持ってきた新しいネコゲージに入れた。その床には、ワタシが外のベランダで寝るときの座布団が敷いてあり、ワタシはその臭いをかいで自分のものだと確認し、中に入っていった。
クルマに乗せられて家に戻り、ゲージから出ると、待っていたおばあさんがいろいろと声をかけて、しばらく体をなでてくれた。ワタシは目を細めて、ニャーと鳴いてこたえた。そしてストーヴの前に座り、ワタシはいつものように毛づくろいをはじめた。
その後、二人はいつも以上に、ワタシにやさしくしてくれた。それから一ヶ月たったある日、突然のことだったが、あのおばあさんがワタシの前からいなくなってしまった。おばあさんの部屋は黒と白の幕で仕切られ、煙が立ち込めていた。そして、たくさんの知らない人たちが家にやって来て、着物を着た人が鐘を叩いて鳴らし、何事かを話し続け、その傍で息子が泣いていた。
次の日、日の当たるベランダの椅子に座って、息子はワタシを抱きしめ、「とうとう、オレたち二人きりになったな。」と言って、また涙を流していた。
・・・と、すっかり涙もろくなった飼い主は、もう今日はこれ以上、書けないと言っております。生きていれば、だれにとってもツライ時があるものなのです。