ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(25)

2008-02-22 18:01:30 | Weblog
2月22日 朝夕はまだ冷え込んでいて、庭の雪も溶けないけれど、日中は今までと違い、どこか春の温かい感じがする。ワタシとマイケルとのつかの間の逢瀬も終わり、また少し退屈で静かな日々が続くのだ。
 しかし、それはニャンニャンのさかりの時期が過ぎたというだけのことで、最近は、この山の中のネコ仲間たち(ほとんどがノラネコだが)との、夜の集会が開かれるようになり、今では古株の一匹になったワタシも、率先して参加している。飼い主もそのことを分かっていて、時間になってワタシがムックと起きると、ドアを開けて、行ってらっしゃいと送り出してくれる。
 ワタシはニャーと鳴いて、月夜の明かりの中、外に出て行く。一時間ほどの集会が終わった後、戻ってきて、コタツの中に入り、そこで朝まで過ごす。途中お腹がすけば、居間の方にあるエサ場で、キャットフードをカリカリと食べる。
 昔は、そんな時でも飼い主を起こして、ワタシが食べるのを傍にいて、見守っていてほしかった。もちろん、それはワタシのわがままだから、飼い主にもあのおばあさんにも文句を言われた。今では、おとなしくひとりで食べている。
 そんなワタシのことを、他のネコたちは、飼い主に甘えすぎだという。前にも話したとおり、ワタシはシャム猫とノラの日本猫との間の、ハーフだから、(単なる雑種だろうと飼い主の声)、性格的にシャムの気が出てしまうのだろう。
 一般的に、シャム猫は、他の猫よりは野性的な面が見られる一方、飼い主には忠実で、ベッタリと甘えて、猫の中では一番イヌに近い性質を持っていると、言われている。
 確かに、ワタシは外見的には、少しシャム猫がかった日本猫(飼い主に言わせればシャム猫もどき)だが、性質としては、まさしくシャム猫そのものだと思っている。
 まず野生的なところはといえば、こんな山の中に住んでいるから、余計に野性味あふれる猫になるし、それに加えて、飼い主が時々いなくなり、半ノラ状態になるからだとも言える。飼い主にいつも保護者遺棄の罪に当たると、抗議しているのだが。
 次に飼い主に甘えすぎる所があるのも、一つにはその寂しさの裏返しだからでもある。さらに昔からよく鳴いてまつわりついていたが、さすがに今ではワタシも年の功で、ネコ知恵から、少しおとなしくなり、飼い主も物分りが良くなったとほめてくれる。
 イヌに似た性格と言えば、ワタシは飼い主と毎日一緒に行く散歩が大好きだ。夕方、小さなアジの生魚を一匹もらい、エネルギーが満ち溢れるのを感じたワタシは、飼い主にニャーニャーと鳴いて知らせ、散歩に行くのだ。
 こんなワタシの日常の行動については、また別の機会にゆっくりと話したいと、思っている。ともかく言えるのは、不便な山の中にいるからこそできる幸せと、不便な山の中にいるからこその不幸せと、いつも二つの面があるということ。それは都会に住む猫たちも同じことで、後はどれだけ自分の幸せに感謝できるかだと思う。
 生きていることだけで、ネコとして、まずは十分に幸せなのだから。