ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(20)

2008-02-10 11:22:47 | Weblog
2月10日 昨日は、一日中、雪が降ったりやんだりの天気だった。ワタシは、午前中と夕方にトイレに出ただけで、ストーヴの前で横になって、いろいろと昔のことを思い出していた。
 ワタシは考える、時には深い思索にふけるときもあるのだ。馬鹿にしてはいけない、たかがネコごときにと。そういえば、前に飼い主が話してくれたことがある。
 「ネコの脳は、生き物の中では、基本的には人間の脳と同じくらい高度に発達している。違っているのは、人間は脳の前頭葉の言語中枢が発達しているくらいのものである。・・・つまりオマエたちネコは、言葉を話せない以外は、人間と同じように様々な感情を持ち、行動することができるのだと、エライ先生方が言っている。
 だからオマエが日ごろの自分の思いを表現できるようにと、肉球でパソコンのキーボードを打てないオマエに代わって、オレがこのブログを書いているわけだ。」
 まあ、そんなコムズカシーことはどうでもいいが、ワタシが思い出していたのは、四年前のちょうど今頃のことなのだ。余り思い出したくもないことだが、それは、あの四日間閉じ込められた事件以上に、ワタシの命にかかわる出来事であったし、そのことで今のワタシと飼い主の関係が深められたともいえるのだが。
 それは、まだおばあさんも元気でいたし、"北の国から"かぶれの息子(今の飼い主)も冬の間、戻ってきていた頃のことだ。
 その頃は、まだワタシのためのネコ通用門はなく、出たいときには鳴いて知らせていた。特に夜中は、おばあさんは年寄りでムリだから、息子の部屋の前で鳴いて、出してもらっていた。夕方トイレに出れば、それで朝まで大丈夫なときもあったが、ネコにとっては、夜中にもいろいろと用事があるものだから、一度、二度と外に出たくなる。そのたびごとに息子は、寝ぼけ眼で起きてきて、文句を言いながらもドアを開けてくれた。
 ある寒い夜のこと、みんなが寝静まった真夜中に、ワタシは他のネコたちからの誘いもあって、何か落ち着かず、二度三度と出入りを繰り返していた。しかし時間をおかずにドアの前でミャーミャーと鳴くワタシに、ついに息子が怒鳴り声を上げて部屋から出てきて、ワタシを玄関のドアの外へと蹴り出した。
 ・・・今までこんな手荒い仕打ちを受けたことはなかった。ショックだった。しばらく外を歩き回ったが、ぼーぜんとしたままで、あの息子の怒鳴り声が頭の中に響いていた。 
 しかし、どこかよそに行くにもこんな山の中、他に頼る家もない。あの家に戻るしかない。朝になって、家の中に入れてもらい、すぐにおばあさんの部屋のコタツの中にもぐりこんだ。
 その日から、五日間、ワタシは食べることも、ついには水を飲むこともなく、ただじっと座っていた。体が弱ってきていたのは分かっていたが、動くことができなかった。
 と、飼い主はここまで書いてきて、「本当にすまなかった。悪いことをしたと思う。今、このことを書いていてもつらい気持ちになる。一気に書けないから、続きは明日にしてくれ。」と言っております。