ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(21)

2008-02-11 11:56:46 | Weblog
2月11日 昨日は一日いい天気だった。今日も引き続き晴れの予報だったが、すぐに雲が広がってきた。洗濯しようとしていた飼い主が、これはダメだと窓の外を見ていた。
 何事も予定どうり、思ったとおりには行かないものだ。むしろなんでもない日常の一つ一つのことが、そのとおりにできただけで、小さなラッキーなのだ。当たり前のこととして、毎日を送り、生きていること、よく考えると、それらのすべてが、小さなラッキーの連続なのかもしれない。
 そのとおりに行かないことで、悔やんだり、誰かのせいにしたところで、現実は変えられない。そんな不満を持って、いやな気持ちのまま毎日を過ごすより、今ある小さなラッキーを喜んだ方がいい。
 ワタシが日々、こうして心穏やかに生きていられること、それだけで十分なのだが、前日に話したように、そこに至るまでには様々な苦難の日々があったのだ。
 さて、寒い冬の夜、この家の息子にドアから外へ蹴り出されたワタシは、次の日からエサも食べず、水も飲まず、死を待つかのように、毎日、ただじっと座っていた。さすがに三日目ぐらいから、ワタシの異常に気づいたおばあさんと息子が、何とか食べさせようと、高くて日ごろは食べさせないネコ用カンヅメまで買ってきて、目の前に差し出したのだが、ワタシは食べる気にもならなかった。
 息子はワタシに無理に食べさせようと、口を開けさせて食べ物を入れようとしたが、ワタシは飲み込むことができなかった。水も飲まないので、口の中は乾き、ネバつくほどだった。体力の限界が近づいていた。
 五日目の夕方近く、ワタシは何とか立ち上がり、ニャーとかすれた声で小さく鳴いて、外に出してもらった。気力を振り絞って、フラフラしながら、時々休んで、やっとのことで、家から100mほど離れた所にある、枯れたススキの草むらで腰を下ろした。
 そこは風もなく、しばらくは日も当たって暖かかった。しかし西日の影が差し、夕暮れが迫ってきて、冬の寒さが一気に忍び寄ってきた。ワタシはそのまま座り続けていた。
 その時、ガサゴソと音がして、息子が現れ、ワタシを抱き上げた。息子はヒゲヅラの頬をワタシにすり寄せて、涙声で言った。「ミャオ、オレが悪かった。死なないでくれ。病院に行こう。」

 ・・・と、ここまで書いてきた飼い主が、「思い出してつらい、残りは明日ということにしてくれ」と言って、机から離れた。


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