ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(23)

2008-02-15 20:50:27 | Weblog
2月15日 朝早く降っていた雪は止んだが、風が強く、雲の流れが速い。居間の方から、飼い主の聞く音楽が流れてくる。
 ワタシはいつものように、ストーヴの前で横になって夢うつつ・・・その時、窓際の所でガタンと物音がした。すぐに聞き耳を立て、窓の方を見ると、なんとそこにマイケルが来ていた。
 例の甘く、狂おしい声でマイケルがワタシに呼びかける。ワタシも窓際に行って、同じように甘い声を出してこたえる。いつの間にか飼い主が部屋に入ってきていて、ワタシたちのツーショット写真を撮っていた。そして、すぐにワタシを抱えて、部屋から出た。そのまま窓を開ければ、マイケルが驚いて逃げ出すと思ったのだろうか、居間の方のドアを開けて、ベランダにワタシを出してくれた。
 そこで、離れたまま二匹で鳴き合ったが、ワタシは、そんなにすぐ相手の誘いに乗る尻軽女ではない。ドアを開けてくれと、飼い主に頼み、家の中に戻った。しかし外では、またマイケルが鳴いている。
 落ち着かない。少しキャットフードを食べた後、今度は玄関の方のドアを開けてもらって、外に出た。しばらくの間、マイケルと対面して、再び家に戻り、今度はコタツの中に入ってしばらく寝ることにした。 
 このところ、雪の日も多かったので、マイケルは来ていなかったのだが、突然、それも窓のすぐ傍まで来て、ワタシに呼びかけるなんて・・・大胆すぎる。ヴァレンタインも過ぎたと言うのに。そして飼い主が、コタツに入りかけたワタシをなでながら、話しかけてきた。

 「ミャオ、マイケルが来てよかったなあ。いい光景だったなあ。あの映画での、有名なガラス越しのキス・シーンを思い出したよ。
 その映画とは、戦後間もない昭和25年、今井正監督、岡田英次、久我美子主演の『また逢う日まで』だ。もちろんオレも、十年位前にやっと見たくらいだが、何しろ58年も前の映画だ、今にしてみれば、外国の小説をもとにしているストーリーも少し古くさい。
 しかし、いつの時代でも変わらない、愛し合う二人の一途な姿には、胸を打たれるものがある。そんな二人が、窓をへだてた内と外にいて、ガラス越しに見つめ合い、そのガラスを間にキスするシーンの素晴らしさ・・・。感情の高まりを抑え、それでも二人が惹かれあう心のままに、ガラスをはさんでの間接的なキスをする・・・。
 それは、外国映画のまねをして、電車の中でこれ見よがしにいちゃつき、キスをするような、今の日本の若者たちには理解できないのかもしれない。そんな恋愛モドキしか知らない若者たちと比べれば、むしろ、オマエたちネコの方が、いろいろとネコとしての理にかなった駆け引きがあって、納得させられることが多いくらいだ。
 ともかく、この映画では、なんといっても、昔の貴族のお嬢様でもあった、久我美子が素晴らしい。当時の彼女の品性そのままに、清純な恋の物語にふさわしい美しさだった。あーあ、初恋の彼女を思い出すなあ。
 そのころまでの日本人には、慎みや恥じらいがあり、人としての品位、品格が大事なことだった。正しく生きることで、ひとり辛く寂しい思いをしたとしても、ゆるぎないない自分への誇りを持っていた。だから昔がいいと言うのではない。ただ今の時代は、大切なものをいろいろと無くしてきたような気がするのだ、この映画を見ていると。 
 おっと、すっかり話がそれてしまった。ともかく、今日鳴き合うオマエたちを見て、昔を思い出し、少し胸キュンになったのだ。ミャオ、ありがとね。」


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