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ウルグアイ人がみるマラカナンの悲劇

2014-07-13 00:07:13 | Weblog
ウルグアイ人がみるマラカナンの悲劇
マラカナンの悲劇は、サッカーの1950年第4回ワールド・カップ、
ブラジル大会の優勝戦、ブラジル対ウルグアイで起きた。
スタジアムは、リオ・デ・ジャネイロのマラカナン

マラカナンの悲劇を、知らないウルグアイ人はいない。
ウルグアイが、ブラジルに逆転勝ちしたことを、
ウルグアイ人は、きのうの事のように話す。
2003年に首都モンテビデオで。

ウルグアイ人がみる「マラカナンの悲劇」について、
私の本、「世界がみる日本の魅力と通知表」
に、書いてあるので参照する。

第4回ブラジル大会までのワールド・カップはつぎのようになる。
1930年第1回ワールド・カップは、ウルグアイで開催された。
ウルグアイの開催は、ブラジルから独立百周年を、
祝福する意味もあった。そして、ウルグアイが優勝した。

1934年第2回ワールド・カップは、イタリアで開催された。
イタリアが強化のために、アルゼンチン人選手を、
大勢帰化させてチーム編成したことに抗議して、
ウルグアイは参加しなかった。
イタリアが優勝した。

1938年第3回ワールド・カップは、フランスで開催された。
ヨーロッパと南アメリカとの交互の開催を要求して、
ウルグアイは、アルゼンチンとともに参加を取りやめた。
イタリアが連続優勝した。

それから、第二次世界大戦となって、ワールド・カップは中断した。
1950年になって第4回ブラジル大会が開催された。
ブラジルは自国大会で、初優勝を目指していた。

第4回は南アメリカの開催になったから、ウルグアイは参加した。
2度目の参加である。そして、2回目の優勝をした。
このときのウルグアイ対ブラジル戦が、
マラカナンの悲劇」となった。

なお、イングランドはFIFAに復帰して、
第4回から参加した。が、予選リーグで敗退した。

決勝戦は、勝ち進んだ4国のリーグ戦だった。
4国は、開催国のブラジル、ウルグアイ、
スウェーデン、スペインである。

ブラジルは、これまでに2勝、
スウェーデンに7対1で勝ち、
スペインに6対1と圧勝している。

ウルグアイは、これまでに1勝1分け、
スウェーデンに3対2で勝ったが、
スペインには2対2で引き分けた。

優勝戦は、2勝のブラジルと、
1勝1分けのウルグアイ戦となって、
ブラジルは、勝つか、引き分けでも優勝だから、
断然優位で、ブラジルの初優勝を見ようと、
マラカナンは20万人のブラジル人でふくれ上がった。

マラカナンはワールド・カップに合わせて、1950年に、
リオ・デ・ジャネイロに造られた世界最大のスタジアム。
20万人とは長野県松本市の人口と同じで、
松本の全市民がスタジアムに駆けつけたようなもの。

「当時のマラカナンは立ち席だった」
と、ウルグアイ人は言うが、
スタジアムに小都市が入っている。

「これまでブラジルは2勝で、
ウルグアイは1勝1分けだから、
ブラジルに勝つしかなかった」

「前半が終わって、0対0だった。
ブラジルは引き分けても優勝だから、
断然優位であった」

「ウルグアイのキャプテン、ファン・スキアフィーノは、
イレブンに言い聞かせた。相手は20万人ではない、
われわれと同じ11人だ。われわれの作戦が、
どこまで通用するか、試してみようじゃないか、
と檄(げき)を飛ばした」

「ところが後半そうそう、ブラジルが得点した。
1対0で、マラカナンもラジオを聞くブラジル人も、
これでブラジルの優勝だと熱狂した」
「マラカナンでは、ブラジル大統領から、
優勝トロフィーを授与する準備をしていた」

「しかし、ウルグアイはその後、
キャプテン、ファン・スキアフィーノが得点した。
さらに1点を加えて、2対1で逆転勝ちした」

「ブラジル人は天国から奈落の底に突き落とされた。
マラカナンには自殺者2人とショック死2人による4つの遺体があった。
ラジオの実況放送を聞いていたブラジルとウルグアイからも、
悲嘆と歓喜による心臓発作で犠牲者が多数出た。
マラカナンの悲劇』である」

ウルグアイ人は、このマラカナンの逆転勝ちを、
永遠に語り継ぎたいだろうし、
ブラジル人は早く忘れたいだろう。

ブラジルが初優勝するのは、
1958年スウェーデン大会まで、
8年待たなければならなかった。
まだ17歳の、サッカーの王様ペレの出現である。

2014年ブラジル大会は、ブラジル中の12のスタジアムで行われる。
そして、決勝戦はリオ・デ・ジャネイロのマラカナンである。

FIFAのホームページから。
2014年ブラジル大会に向けて新しくした。収容は7万6千804人。

ブラジルにとっては、
2度目の自国大会で、マラカナンで優勝したい。
「マラカナンの悲劇」を払拭する、絶好のチャンスが、
64年ぶりにやってきた。エースのネイマールがいる。

これは、私の推測だが、
できれば、決勝戦でウルグアイと対戦し、
大勝して、ウサを晴らしたい。これは因縁の、
ウルグアイの独立戦争に敗れた仕返しにもなる。
スペイン語のウルグアイとポルトガル語のブラジル戦。

自国大会の優勝を願って、ブラジル人は燃えていた。
4試合で4点を上げていたネイマールは、準々決勝の、
コロンビア戦で骨折して出場できないが、ブラジルの実力は高い。

しかし、2014年7月8日の準決勝で、惨劇が起きた。
ドイツに7対1で敗れた。

ブラジルは、終了間際の90分に上げた1点だけの惨敗。BS1から。
自国大会での優勝の悲願は潰(つい)え去った。

だれも予想しなかったブラジルの大敗は、
ワールド・カップ史上、最大の大差になった。
それに、国民の目の前で、屈辱的な惨敗である。
テレビを観ていると、ブラジルの少年は泣いていた。

夢が打ち砕かれた。BS1から。

「マラカナンの悲劇」は払拭できなかった。
それどころか、新たな悲劇が生まれた。
王者のプライドがズタズタにされた、
自国大会の屈辱」。

ワールド・カップで5回も優勝している王者ブラジルは、
つぎの自国大会の優勝まで、晴れない悲劇を抱えた。
涙の少年が笑みを浮かべるのは、半世紀先だろうか?

ブラジルのルイス・フェリペ・スコラーリ監督のコメントがある。
「ブラジルを決勝戦に連れていかれなかったことを国民におわびする」
戦術も、布陣も私の責任である」、そして、
「私の人生で最悪の日だろう」
"This is probably the worst day of my life,"

「どうして、ウルグアイはサッカーが強いのだろう?」
マラカナンの悲劇を演じたウルグアイは、
アウェーで0対1の崖っぷちから、2対1と逆転勝ちした。
ワールド・カップで2回目の優勝である。

初回の優勝は、1930年第1回ウルグアイ大会だった。
アルゼンチンと激しい決勝戦になった。
前半アルゼンチンが2対1でリードした。
ウルグアイは後半に3点を入れて、
4対2で逆転勝ちした。

ウルグアイの優勝は、
1930年第1回ウルグアイ大会も、
1950年第4回ブラジル大会も、
絶体絶命からの逆転勝ちだった。

「どうして、ウルグアイはサッカーが強いのだろう?」
という問いに、モンテビデオでウルグアイ人は答えた。
「サッカーが強いのは、我慢"patient"することだ。
それに、メンタリティ"mentality"が強いことだ」

なるほど。我慢して守りきる、そして、
機を待って攻撃につなげる、ということか。
それに、精神面で負けない気力、喰らいつく迫力、
あきらめない、勝つんだ、という強い信念か。
敵を打ち砕く技術力と強い精神力を持った、
11人のサムライである。

「それに、指導力、伝統、施設、組織力がある」
「日本をはじめとするアジア諸国が、
伝統的に野球や柔道が強いようなものだ」
と、ウルグアイ人はつけ加えた。
ワールド・カップで優勝する組織的な戦略があり、
試合に勝つ監督の戦術で、サムライを動かすことか。

マラカナンの中。

FIFAのホームページから。

監督の戦術を見たい。それに、
絶体絶命から逆転勝ちする技術力と精神力を見たい。
世界最大のスポーツの祭典、「ワールド・カップ」は、
世界を熱くする。新たなドラマを生む。
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