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被ばく量のトップ10

2014-07-27 00:00:10 | Weblog
2011年6月27日に、南相馬市で災害ボランティア活動をしてから、
2014年6月26日まで3年間に、南相馬市へ2回、福島市へ6回行った。
放射線量を南相馬市、福島市ほかで測定したが、どこが高かったのか?
毎時の放射線量(マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h])を見る。
被ばく量のトップ10」はつぎである。


被ばく量のトップは、
福島市の紅葉山公園、2012年1月14日である。
23.6マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だった。
2位とは一桁違って、断然の1位。



「被ばく量トップ10」の内、福島市が9か所を占める。
残りの1か所は郡山市である。
南相馬市が出てこない。

被ばく量11位~20位を掲載する。
そうすると、南相馬市が出てくる。


被ばく量11位~15位は、福島市が占めている。



南相馬市は18位、19位、20位に出てくる。

被ばく量1位~20位を見ると、
福島市は16か所、
南相馬市は3か所、
郡山市は2か所で、
福島市が圧倒的に多い。

なぜだろう?
南相馬市の方が、福島市よりも福島第一原発に近い。
避難区域

朝日新聞、2011年4月19日から作成。
は原ノ町駅。南相馬市の市役所、福祉会館の最寄りの駅。

南相馬市の3分の1は、
半径20キロ圏内の強制避難区域で、無人化している。
半径30キロの緊急時避難準備区域を含めると、
南相馬市の3分の2が覆われる。

南相馬市の「原ノ町駅」は、
福島第一原発から北へ24キロで、
強制避難区域の半径20キロ圏内を外れている。
「福島駅」は、福島第一原発から北西へ63キロである。

南相馬市は、津波と福島第一原発の原発災害のダブルパンチを受けた。
南相馬市へ行くには、いったん、仙台まで東北新幹線で行って、
常磐線で亘理(わたり)まで南下した。ここから先は不通。
それで、代行バスを2回乗り継いで原ノ町駅に着いた。

避難区域の図を見ると、南相馬市の放射線量は、
福島市よりも断然高い、と思うではないか?

福島市は、福島第一原発から遠いから、
放射線量は、南相馬市に比べて、はるかにが低いと思った。
まして、福島市で放射線量を測ろうとは、思ってもいなかった

その、ましてだった。
福島市の放射線量を測ることになった。
それには、きっかけがあった。
南相馬市へ災害ボランティア活動に行ったときに、
東北新幹線の中で、福島駅付近の放射線量が高かった。

このことは、つぎを参照してください。
「東北新幹線の放射線量」、2011年9月18日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/c3d0691423740012734ab8dd94e63286

南相馬市のボランティア活動の帰りに、
福島市に寄った。福島駅からホテルまで歩くと、
ズボンのポケットの放射線量計が、ピッピッ鳴る。

国際放射線防護委員会(ICRP)は、毎時の被ばく限度を、
0.52マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]と定めている。
年間の被曝量の限度は、1ミリ・シーベルト/年[mSv/y]である。

0.50マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]を超えると、
ピッピッ鳴って、警告するように設定しておいた。
この場所から、すぐに退避しろ!

福島市の放射線量を測った経過が、
福島市の放射線量 2011年~2014年」からわかる。


この表から、最初は福島駅とホテル周辺の測定だった(2011年6月30日)。
2か月後に、中心街への測定へと広がっていった(2011年9月6日)。
中心街を歩くと、ズボンのポケットの放射線量計がピッピッ鳴る。
そこで、放射線量を測った。
福島市の中心街が、これほど汚染されているとは予想していなかった。

この表からは、「除染」の効果もわかる。
福島県庁③、県庁前公園⑦、福島駅前⑨は、除染された。
そして、問題のないレベルになった。
福島駅前の除染。芭蕉と曽良の「奥の細道」。

芝生は除去された。そして、新しい土が入っていることがわかる。2014年6月26日。

被ばく量1位~20位の表を見ると、
南相馬市の放射線量よりも、福島市が高いのは、つぎの理由である。
福島市へ多く行ったから、高いところが見つかったこと、
それに、福島市の放射線量が高いためである。

累積の被ばく量が、319日で1mSvを超えたことを書いた。
「累積の被ばく量が1mSvを超えた」、2012年5月20日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/17eac3dac01b2c12fae54c8ab6381dfd
を参照してください。
ほかに、富士山、御嶽山、諏訪湖、中央線、長野新幹線などの、
放射線量は問題のないレベルであることが書いてある。

南相馬市は、福島市よりも放射線量が低いが、
南相馬市の市民は、強制避難や自主避難をしたり、
肌を露出しない、外出をしない、などの自衛をしている。
福島第一原発に近いために、被ばくに関しては敏感である。
一方で、放射線量の高い福島市が、
避難せずに、除染に期待していることは、
福島市と南相馬市の放射線量」、2013年7月21日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5ff01d81cefe5d0e4128f67208027b9d
を参照してください。

福島市の中心街は、南相馬市の中心街よりも放射線量が高い。
それなのに、避難した人が多い南相馬市と、
避難をしていない福島市との違いは、
どこからくるのだろうか?

最初は、つぎのように考えた。
福島市は福島県の県庁所在地である。
県庁所在地をつぶすわけにはいかない。
福島県の崩壊になるし、日本の崩壊につながる。
それは、できない。それに、福島市民28万人を、
受け入れるところがない。

まだある。
福島市は日本の交通網の大動脈が走っている。
東北新幹線があり、東北自動車道が走っている。
福島市がなくなれば、東日本の交通網がマヒする。
交通網の大動脈をなくすわけにはいかない。

これらは、福島市をつぶせない大きな理由で、当たっているだろう。
だが、南相馬市と福島市の大きな違いは、
実際に街を歩いて気がついた。
写真を見てください。
津波でが国道6号まで押し流されてきた。港から3.5kキロほどある。

代行バスから撮影。2011年6月29日。

南相馬市では、津波で漁船が流れ着き、家屋や田畑が破壊された。
福島市では、強い地震はあったが、家屋の倒壊や田畑の破壊はなかった。

南相馬市では、地震、津波で死者が650人以上出た。
福島市では、強い地震はあったが、犠牲者は出なかった。
もちろん、津波はない。

南相馬市は、地震と津波のほかに原発災害で、
強制避難、自主避難で、多くの人が避難した。
福島市では、強い地震はあったが、避難した人は少ない。
それに、原発災害では強制避難はなかった。

南相馬市では、福島原発の爆発により、
「とるものも取り合えずに逃げた」
「避難先は、つてを頼って、北は北海道から、南は沖縄まで…」
と、南相馬市の人は言う。
福島市では、福島原発の爆発で、強制避難はなかった。

南相馬市では、行方不明者の捜索は、身内であっても、
福島第一原発から半径20キロの避難区域では、
あきらめざるを得なかった。
福島市では、地震と津波による犠牲者はいなかった。

南相馬市では、自衛隊が出動して、災害救助をした。
福島市では、災害救助に出動する自衛隊は見かけなかった。
自衛隊の災害派遣。2011年6月。

南相馬市役所前で。

南相馬市では、自衛隊に感謝する「横断幕」を見た。
福島市では、感謝の「横断幕」を見なかった。
感謝の「横断幕」。

原町第一小学校で、2012年6月。
「自衛隊・警察・消防団・ボランティアの皆さん ありがとう!!

南相馬市では、住む家、職、田畑を失い、避難した。
これまでの「生活基盤」、生活設計が崩された。
福島市では、住む家、職、田畑は奪われず、
これまでの生活を継続する、除染に期待して。

家が崩壊し、田畑を失い、身内に死者が出て、
被曝を避けるために避難しなければならなかった南相馬市。
避難先で、新たな職を探して、
「生活の基盤」を変えなければならない、
これは、大変なことだ。

一方、これまでの生活基盤をなんとか変えずに、
汚染は、除染で対処したい福島市。
南相馬市と福島市で、
避難する、避難しないの違いは、
生活基盤を変えざるを得ないか、
変えずに除染に頼ろう、
の違いに出ている。

福島市の除染について、
福島市の放射線量2014年」、2014年7月20日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/ddcfc40d161e7d10a4a85f1890767322
を参照してください。

「紅葉山公園」が、2012年1月14日に、
23.6マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]だったが、
除染が行われて、2014年6月26日には、
1.04マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]
と、減少したことが書いてある。

そして、福島第一原発のメルトダウンから3年経った「除染」を見ると、
福島市の「除染」が終わるのは、はるか先になると思う。
福島の人の「生の声」も書いてある。

福島市と南相馬市の中心街の放射線量を比べると、
福島市の方が、南相馬市よりも高いと実感している。
福島市でも、南相馬市でも、年間の被曝量の限度、
1ミリ・シーベルト/年[mSv/y]に納まったか?
公式の調査と発表があると思う。

福島の人の生の声を、繰り返しになるが載せる。
放射線量を測っていると、
しゃがんでのぞきこむ格好が不自然だ。
それに、ピッピッ音がするから、通りがかりの人、
散歩の人、なじみの人が寄ってくる。

「こんなに高いのですか?」
福島市の紅葉山公園で。23.6マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]。

2012年1月14日。

「公式の発表と違う
「こうして、測ってくれるから助かる
「放射線量を数値で見るのは初めてです」
3.00マイクロ・シーベルト毎時[μSv/h]とは、高いですね」
男性は近くのビルディングにもどった。それから、
年間の被ばく量21ミリ・シーベルト[mSv/y]になります」
と、伝えにきた。計算されたのだ。
毎時の被ばく量から年間の被ばく量を計算された。
年間の被ばく量は、福島の人の最大の関心事である。

「福島では、どの程度、健康や人体に被害が及ぶのか、
また、いつ影響が出るのか、明確でないままに生活している」
「汚染物をいかに除去するか、除染が最大の関心事になっている」
と、福島の人は言う。
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