岸和田駅から蛸地蔵駅まで。
南海岸和田駅
この駅舎は3代目らしい。 昭和初期に建てられた2代目の駅舎にあったというステンドグラスをイメージして造られたカラフルなステンドグラス 中から見るときれい。
岸和田駅前通商店街
岸和田駅前商店街入口
右)商店街入り口にある木造建築は西田クリニック 大正初期の建築。
道路拡幅などで縮小されたが、元の雰囲気を残すため再改修も行われている。
四角い時計は「だんじりからくり時計」1時間ごとに「だんじり囃子」が奏でられるらしい。聞けなくて残念。
初代アーケードは昭和38年に完成。今ある2代目アーケードは平成9年に完成。
南大阪で初めて自然光が取り入れられるスライド式天井を採用。
だんじりが駆け抜けるため天井は高い。
商店の2回の窓はだんじり祭りを見る特等席だろう。
おいしそうな泉州名物 水ナス3個200円 早速買い求めた人もいた。
岸和田市立自泉会館
『岸和田紡績㈱(現ユニチカ)の創設者寺田甚与茂の偉業を記念し退職時に贈られた慰労金を基金として、2代目社長の寺田甚吉が会社の倶楽部施設として設立』パンフより。
数多くのオフィスビルを設計した渡辺節による設計で、国の登録有形文化財となっている。
1932(昭和7年)に建てられた鉄筋コンクリート造りの2階建て。
右)噴水台の吐水部はキリンかライオンか?
何ともない建物に見えたが、中に入ると・・
ロビー
雰囲気のある2階への階段 手すりのデザイン。階段にはめ込まれたタイル すごい。
床の石や壁下のタイル
1回には展示室(入らなかった)と大ホールがある。
大ホール
正面の暖炉は実用ではなく装飾用らしい。下にはシックな装飾タイルが張り込まれている。
美しく、落ち着いた大ホール。テラス状の張り出し。反対側ドア?の意匠
2階の会議室 シンプルながらいい感じ。
大ホールや会議室などはコンサートやイベントに利用できるそうだ。
岸城神社 雨が激しくなりしばらく雨宿り。
お昼は「がんこ 五風荘」で。
『旧岸和田藩主岡部氏の屋敷跡に、寺田財閥の寺田利吉氏が10年をかけて造られた邸宅。
面積は2400坪、建坪300坪ある。利吉氏のおくり名から五風荘と名付けられた』
回遊式日本庭園 庭からは岸和田城が見えるところもあった。
3つある茶室の1つ山亭。懸崖造り。
右)安土城から大阪城~その他転々とした後、寺田利吉氏が譲り受けたという13重の石塔
お食事と庭園見学 満足。
岸和田城
元の城がいつ頃誰によって建てられたか定かではないらしい。
何代かの後、羽柴秀吉の叔父で城主となった小出秀長の時代に整備され、天守閣も築かれた。その後、岡部氏が明治維新まで岸和田藩を統治した。
この間に天守閣は落雷で消失。他の建物も廃城で?破却し、石垣以外は残っていないらしい。(ごくおおざっぱ)
昭和29年再建された鉄筋コンクリート造りの3層の天守閣。元の天守閣は5層だったらしい。
城壁と櫓は昭和44年に再建された。
城の中へは入らなかったがぐるりと一回り。
諸葛孔明の八陣法に基づく陣構えを石で現した一木一草もない枯山水「八陣の庭」(作庭家 重森三玲氏の作)などを見た。
蛸地蔵駅への途中。銀行のATMの屋根もだんじり型
蛸地蔵駅
岸和田城の南大手門あたりに該当する位置にあるらしい。
1925年(大正14年)にできた南欧風の駅舎。
南海本線ではこの時期の駅舎はほとんど残っていない貴重な建築物だという。
右)天窓のはめ込まれたステンドグラス。
ステンドグラスは駅名の由来となっている蛸地蔵縁起絵巻のワンシーンの図柄。
戦国時代に敵の襲撃からタコが岸和田城を救った伝説があり、近くに蛸地蔵を祀る天性寺があるそうだ。
蛸地蔵も見たいところではあったが、生協の時間も気になり帰ることにする。
南海岸和田駅
この駅舎は3代目らしい。 昭和初期に建てられた2代目の駅舎にあったというステンドグラスをイメージして造られたカラフルなステンドグラス 中から見るときれい。
岸和田駅前通商店街
岸和田駅前商店街入口
右)商店街入り口にある木造建築は西田クリニック 大正初期の建築。
道路拡幅などで縮小されたが、元の雰囲気を残すため再改修も行われている。
四角い時計は「だんじりからくり時計」1時間ごとに「だんじり囃子」が奏でられるらしい。聞けなくて残念。
初代アーケードは昭和38年に完成。今ある2代目アーケードは平成9年に完成。
南大阪で初めて自然光が取り入れられるスライド式天井を採用。
だんじりが駆け抜けるため天井は高い。
商店の2回の窓はだんじり祭りを見る特等席だろう。
おいしそうな泉州名物 水ナス3個200円 早速買い求めた人もいた。
岸和田市立自泉会館
『岸和田紡績㈱(現ユニチカ)の創設者寺田甚与茂の偉業を記念し退職時に贈られた慰労金を基金として、2代目社長の寺田甚吉が会社の倶楽部施設として設立』パンフより。
数多くのオフィスビルを設計した渡辺節による設計で、国の登録有形文化財となっている。
1932(昭和7年)に建てられた鉄筋コンクリート造りの2階建て。
右)噴水台の吐水部はキリンかライオンか?
何ともない建物に見えたが、中に入ると・・
ロビー
雰囲気のある2階への階段 手すりのデザイン。階段にはめ込まれたタイル すごい。
床の石や壁下のタイル
1回には展示室(入らなかった)と大ホールがある。
大ホール
正面の暖炉は実用ではなく装飾用らしい。下にはシックな装飾タイルが張り込まれている。
美しく、落ち着いた大ホール。テラス状の張り出し。反対側ドア?の意匠
2階の会議室 シンプルながらいい感じ。
大ホールや会議室などはコンサートやイベントに利用できるそうだ。
岸城神社 雨が激しくなりしばらく雨宿り。
お昼は「がんこ 五風荘」で。
『旧岸和田藩主岡部氏の屋敷跡に、寺田財閥の寺田利吉氏が10年をかけて造られた邸宅。
面積は2400坪、建坪300坪ある。利吉氏のおくり名から五風荘と名付けられた』
回遊式日本庭園 庭からは岸和田城が見えるところもあった。
3つある茶室の1つ山亭。懸崖造り。
右)安土城から大阪城~その他転々とした後、寺田利吉氏が譲り受けたという13重の石塔
お食事と庭園見学 満足。
岸和田城
元の城がいつ頃誰によって建てられたか定かではないらしい。
何代かの後、羽柴秀吉の叔父で城主となった小出秀長の時代に整備され、天守閣も築かれた。その後、岡部氏が明治維新まで岸和田藩を統治した。
この間に天守閣は落雷で消失。他の建物も廃城で?破却し、石垣以外は残っていないらしい。(ごくおおざっぱ)
昭和29年再建された鉄筋コンクリート造りの3層の天守閣。元の天守閣は5層だったらしい。
城壁と櫓は昭和44年に再建された。
城の中へは入らなかったがぐるりと一回り。
諸葛孔明の八陣法に基づく陣構えを石で現した一木一草もない枯山水「八陣の庭」(作庭家 重森三玲氏の作)などを見た。
蛸地蔵駅への途中。銀行のATMの屋根もだんじり型
蛸地蔵駅
岸和田城の南大手門あたりに該当する位置にあるらしい。
1925年(大正14年)にできた南欧風の駅舎。
南海本線ではこの時期の駅舎はほとんど残っていない貴重な建築物だという。
右)天窓のはめ込まれたステンドグラス。
ステンドグラスは駅名の由来となっている蛸地蔵縁起絵巻のワンシーンの図柄。
戦国時代に敵の襲撃からタコが岸和田城を救った伝説があり、近くに蛸地蔵を祀る天性寺があるそうだ。
蛸地蔵も見たいところではあったが、生協の時間も気になり帰ることにする。