みどりの野原

野原の便り

6月5日 山の辺の道 桜井~巻向

2011年06月05日 | Weblog
山の辺の道 今日はいつもの観察会とは違い、歴史に詳しいM会員の解説もあるという。
桜井から三輪~巻向まで(予定よりは短コースになった)

 
        大和川               そうめんの木箱用?
奈良朝時代 この辺りには港があり、小野妹子もここから出発し到着したという。
隋から帰国した小野妹子を「錺馬(かざりうま)75頭を並べて迎えた」といわれ、それに因んで川向こうの公園には馬の模型が並んでいた。

水運も盛んで多くの人が集まり、大きい市が立ち(海柘榴市)、若い男女が歌を詠み交わしてプロポーズする歌垣の場でもあったらしい。
相手の名を聞きだせれば求婚成功となるらしいが、そのころは言葉には霊力が宿ると考えられ、簡単には名を名乗らなかったという。うっかり名を教えると呪をかけられると考えられていたとか。それでも男性は一生懸命愛の歌を送って成功を祈ったことだろう。

欽明天皇の磯城島金刺の宮跡(推定地)も近くにあり、百済から仏教と経典がこの港から上陸したと伝わる。
賑わっていた古代の港を見てみたい気持ちがした。

金屋の石仏を過ぎ、少し入ったところには「初代の天皇」と言われる崇神天皇の宮跡があるが、想像はしにくい。

  
      平等寺を過ぎると             大神神社
大神神社は後ろの三輪山(467m)を御神体とし、本殿はない。
祭神の大物主は蛇神・水神・酒の神とされる。 ササユリはまだほとんど蕾だった。

 
境内に保存されている「衣かけの杉(根)」      「巳の神杉」

 
大神神社の摂社狭井神社の横にある霊泉でお水をいただく。


桧原神社の三つ鳥居 大神神社の拝殿奥にも同じような三つ鳥居があるらしい。

 
少し下って井寺池のほとりにはいくつかの万葉歌碑が立つ。
 右)川端康成書の「山と葉国のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる 大和しうるわし」倭健命の望郷の歌。川端康成が亡くなった後に碑が立ち、その字はノーベル賞記念原稿の中から拾い集めたものだとは有名な話。

巻向駅への途中の珠城山古墳群(たまきやまこふんぐん)は来たことがなかった。

 
細い道を登ると露出した横穴を見ることが出来る。いくつかの前方後円墳があるそうだ。                       右)上から下の道路を見る。

巻向駅で解散となりそれぞれ北へ南へ・・

途中で見た植物

 
     ニワウルシ      ミカン畑 花が落ちたばかりのミカンの赤ちゃん

 
モンツキウマゴヤシ 実が出来ていた     ウサギアオイ

子供の時、チガヤの若い穂ツバナを食べたことがあるが、学校帰りなどに食べ食べ帰るところから道草という言葉になったとGさんに教わったのもおもしろかった。
後でいろいろ調べてみたが「馬が途中で草を食べてなかなか前に進まない」という説がほとんどだったが、G氏説もいいんじゃないかな?経験者として。
コメント
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