ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

ココ・シャネルも、発達障害やパーソナリティ障害めいた部分があったと思う(たぶん野村沙知代なども似たところがないか)

2021-09-29 00:00:00 | 映画

前に、『ココ・シャネル 時代と闘った女』という映画を観ました。シャネルの創業者であるココ・シャネルの人生についてのドキュメンタリー映画です。

実は今年は、ココ・シャネルが亡くなって50年とのことでして、またシャネルの代名詞みたいな意味合いもあるシャネルNo.5の誕生100年とか。

それで私もシャネルとかココ・シャネルについて詳しわけでは全くありません。昔シャネルの香水は買ったけどね(苦笑)。それで私も、ココ・シャネルがだいぶ気難しい人だくらいのことは知っていましたが、いやー、かなりすごい人物ですね、彼女も。

金への執着もすごいし、またかのフランソワーズ・サガンも、彼女を評して「反ユダヤ」とか厳しく批判している映像が紹介されているくらいです。

ただ彼女が金に執着したのは、それは当然だろうなという気もします。実際、1883年生まれのココ・シャネルは、母親が死に父親は彼女らを見捨てて出奔し、孤児院に送り込まれてそこで針仕事をはじめ、それが彼女のデザイナーとしての人生の淵源だったみたいな話があります。実際には、彼女は叔母に引き取られたようですので、この話はフィクションなのですが、彼女のように才能はあるが金はないという人間は、ともかく出資者を見つけないといけません。詳細は、彼女についてのWikipedia記事でも閲覧してもらい、さらに興味があれば他サイトや本などをご覧くださればいいとして(ああ、あとこの映画もね)、彼女もユダヤ系の共同経営者(ピエール・ヴェルテメール)をナチスに告発しようとしたり、また占領下においてドイツ当局に協力的な姿勢を見せたりと、いろいろやばいこともしているのですが、これもやはり金の執着ということも一因なのでしょうね。そして彼女は、いろいろな人間と浮名を流しましたが、ついに結婚したり出産をすることはありませんでした。彼女自体、やや精神的に不安定なところも多かったように感じます。

そして彼女のような世代が事業を起こすには、やはり発達障害めいた部分やパーソナリティ障害(昔でいう人格障害)のようなところが必要、あるいはそれが大いに役に立ったのではないかと思います。凡人にはまねのできない極端なところを必要としたのではないか。それが、ココ・シャネルの最も貴重な才能だったのかもしれません。

ということで、この映画のコピー

>時代と闘った女

というのは、まさに彼女の本質ですね。まだまだ時代は、女性が事業家として活躍できる状況ではありませんでした。彼女が事業家になった背景には、たまたまとか、強い後援者がいたとか、時代背景がある程度彼女のような存在を許すようになったとかいろいろな要素があるでしょうが、たぶんそういったものを引き寄せるためのツールとして、彼女の極端な個性は相当に役立ったはず。

それで、もちろんココ・シャネルほどの著名人ではないですが、野村克也夫人の野村沙知代もそうじゃないですかね。前に私は次のような記事を書きました。

発達障害、精神障害の可能性のある有名人はかなりいるようだ(映画やドラマの登場人物にも、それをうかがわせるキャラクター多し)

その記事の中で私は、何人かの発達障害あるいは精神障害の可能性のある有名人をご紹介しましたが、野村夫人の金に対する執着(脱税など)やがめつさは、ココ・シャネルに通じるものを感じましたね。あるいは金ばかりでなく、あの独特の権力欲や極端な性格(南海球団を、専横な態度で介入してけっきょく野村克也ともども追い出されて、その後南海ホークスのメモリアルに名前を出すことすら拒否した)なんてのも、ココ・シャネルも相当なものでしたが、野村沙知代もかなりのものです。

それで野村克也は、発達障害はあっても(私は、彼は発達障害があっただろうと考えています)さすがにパーソナリティ障害はなかったと思いますが、野村夫人はそっちのほうもかなりのものでしたから、ある意味双方とも依存するにはこれほど都合のいい夫婦はなかったわけです。正直野村が普通の人間なら、とても結婚生活は、死ぬまで続けることはできなかったのではないかと思います。野村夫人は事業家でもありましたから、やはり金づるという点でも野村以上の人間はいませんでした。だから絶対彼女が彼を離すわけがない。ココ・シャネルよりずっと若い(1932年生まれ)野村沙知代ですが、過去にいろいろあった彼女が事業をするには、まあ失礼な言い方をすれば、まともな人間と同じことをしていたら全く成功の可能性はないわけで、そういった部分で彼女がいろいろできたのは、やはり彼女の精神が一般の人間とは相当に異なっているところが大きかったのだろうと思います。間違いなくその面は大きいはず。

野村沙知代は、ココ・シャネルと違って家庭も持ったし子どもも3人いますが、彼女の脱税は、彼女の最初の夫との子ども(次男のケニー野村氏)が国税に情報提供したくらいで、ケニー氏のWikipediaによると、

>その後は日本やアメリカで、スポーツアドバイザーとして活動している。2001年(平成13年)には、自伝であり、母親(野村沙知代)についての暴露本でもある著作を出版した[6]。また週刊新潮に掲載されたインタビューで沙知代がケニーに役員報酬として6000万円を支払っているという件につき「そんな事実はない」と沙知代の税金逃れの手口を暴露した。翌年、巨額の脱税容疑で逮捕・起訴されていた母親に有罪判決が出たことを知った野村は、これらは自著が母親を追い詰めた結果であるとして、「正義が勝った」との感想を述べている。

とあるくらいです(注釈の番号は削除)。その後和解はしたそうですが、ともかく一時期は、子どもからすらそこまで憎まれたくらいの状況だったわけです。これも彼女の極端な部分が悪く作用したのでしょう。ココ・シャネルも、甥はかわいがったようですが(映画にも出てきます。彼女がドイツに近づいた理由の1つは、捕虜になった甥を釈放するためだったようです)、子どもがいたら、うまく対応するのも難しかったのではないかという気もします。

なんだかずいぶん話が飛びましたが、面白い映画ですので、観るチャンスがありましたら乞うご鑑賞。


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