ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

検察も、被告人の重罰ばかりを追求しているわけではないことを示す一例(一宮市での子ども3人殺し)

2024-06-12 00:00:00 | 社会時評

以前にこのような記事を発表したことがあります。

検察も、被告人の重罰ばかりを追求しているわけではないことを示す一例

介護に疲れた高齢女性が3人の介護対象者を殺害してしまい、殺した人数からしたら死刑が求刑・判決されても仕方ないものがありましたが、懲役20年が求刑され、18年が判決されています。つまり当時裁判所は、拙記事に引用した記事を再引用すれば、


被告は、2019年11月、心中を図ろうと自宅で介護していた義理の両親と夫の首をタオルで絞めて殺害した。
 裁判では、介護によるストレスで精神障害を発症していた被告の責任能力が争点となっていた。
 
 5日の判決公判で河村宜信裁判長は「犯行前後の合理的な行動から精神障害の影響は限定的で善悪の判断や、犯行を思いとどまることが難しい状態ではなかった」とし事件当時、心神耗弱状態だったという弁護側の主張を退けた。

 ただ、「3人を献身的に介護する中で同情の余地がある」などとし、懲役20年の求刑に対し懲役18年の判決を言い渡した。

というわけです。家族であろうと3人を殺害すれば死刑判決がじゅうぶんにありえます。このブログでこだわっている宮崎家族3人殺害事件 や小郡妻子3人殺害事件など。前者は、義母と奥さん、子どもを、後者は奥さんと子ども2人を殺害、死刑が確定して現在拘置所に収監中です。すでに執行済みの実例としては、やや遠縁の親類の死になりますが、義姉とその孫2人を殺害した香川・坂出3人殺害事件があります。最高裁で死刑が確定、すでに執行済みです。

宮崎市と小郡市(福岡県)の事件では、関係ない子どもを殺したことが決定的に裁判官と裁判員に悪い印象となりました。裁判員裁判ではありませんが(裁判は、裁判員裁判開始をにらみ、それに準じたやり方で進行しました)、香川の事件も、関係ない孫の殺害が、決定的に重刑の要因となったのでしょう。ではさてさてこの事件はどうか。


「無理心中を一方的に決意」娘3人を殺害した母親に懲役25年求刑 弁護側は無罪を主張 愛知・一宮市
2024年6月4日 17:38

2022年、愛知県一宮市の自宅で娘3人を殺害したとされる母親に、検察側は懲役25年を求刑しました。
 起訴状などによりますと、一宮市の無職遠矢姫華被告(29)は、2022年2月、自宅で長女の姫茉梨ちゃん(当時5歳)、次女の菜乃華ちゃん(当時3歳)、三女の咲桜ちゃん(当時生後9カ月)の首をコードのようなもので絞め、殺害した罪に問われています。

 4日の公判で、検察側は「母親として生きていく自信がないなどと悩み、周囲に相談するなどの手段を得ないまま、子供たちとの無理心中を一方的に決意したことは非難に相当する」として懲役25年を求刑しました。

 一方、弁護側は「心神喪失の状態で殺意もなかった」として無罪を主張しました。

 判決は6月11日に言い渡されます。

これも、何の落ち度もない(そもそも殺されるに値する落ち度のある人間というのがそうそういるとも思いませんが、幼児だからなおさらです)子どもを3人も殺害したわけできわめて悪質な事件ではありますが、かなり重い産後うつをわずらっており、そのような部分が情状を酌量され、懲役25年というわりあい甘い求刑になったということでしょう。そして昨日(2024年6月11日)判決がありました。記事を。


「私が母親でいいんだろうか」法廷で育児への悩みを語っていた母親に懲役23年の判決 名古屋地裁 
2024年6月11日 15:52
「私が母親でいいんだろうか」幼い娘3人の首を絞めて殺害したとされ、法廷で育児への悩みを語っていた、29歳の母親。

 名古屋地裁は争点となった責任能力について「心神喪失、心神耗弱のいずれにも当たらない」とした上で、懲役23年の判決を言い渡しました。

 午後3時すぎ、傍聴人で満員となった法廷にグレーのTシャツにデニム姿で現れた遠矢姫華(とおや・ひめか)被告(29)。

 起訴状などによりますと、遠矢被告は2022年2月、自宅で長女の姫茉梨(ひまり)ちゃん(当時5歳)、次女の菜乃華(なのか)ちゃん(当時3歳)、三女の咲桜(さくら)ちゃん(当時生後9カ月)の首をコードのようなもので絞め、殺害した罪に問われています。

 裁判で明かされたのは、育児に思い悩んでいた遠矢被告の姿でした。

「子どもがかわいいと思えなくなっていたことをに関して悩んでいました」

 2016年10月に長女を出産した後、「産後うつ」と診断され、4か月ほど治療を受けていたといいます。
 
 義母が手伝いに行かなくては家事や育児が回っていない状態で、元夫(※事件後に離婚)は、「仕事から帰ってもご飯ができていない」「仕事から帰ってきてから買い物に行くことがある」などと義母に話していたといいます。

 事件直前は、「洗濯物を戻す場所がわからない」「料理を作るときに初めて作るような感覚」に陥っていたという遠矢被告。

 普段は避けていたファストフード店でパンケーキを買って食べさせた後、犯行に及んだとされ、法廷では「喜んでいる顔を見て『よかった』という気持ちでした」と語りました。

 娘3人を殺害し自殺を図った遠矢被告は、「当時、何に一番追い詰められていましたか」と裁判員に問われ、「私が母親でいいんだろうか、このままでいいんだろうか」と答えました。

 裁判で遠矢被告は起訴内容を認め、弁護側は「当時は心神喪失で、責任能力も殺意もなかった」などとして無罪を主張。
  
 検察側は、「当時、責任能力に影響する精神疾患はなく、殺意もあった」「子どもたちの意思を考えることなく、子どもたちとの無理心中を一方的に決意して犯行に及んだ意思決定には強い非難が妥当」などとして、懲役25年を求刑していました。

 11日の判決公判。

 名古屋地裁は「相当に追い詰めて、抑うつ状態になっていた」とした一方、「心神喪失、心神耗弱のいずれにも当たらず、身勝手な犯行で強い非難は免れない」として遠矢被告の責任能力を認定し、懲役23年の判決を言い渡しました。

 遠矢被告は量刑理由の説明を受けたあと、裁判長に「わかりましたか」と問いかけられ、小さな声で「はい」と答えて、法廷を後にしました。

この判決をどう評価するかは個々人で考えればいいことですが、これもけっきょく裁判所はもちろんですが、検察も被告人の重罰ばかりを追求しているわけではないことを示す一例ということにはなりそうですね。当たり前ですが殺人といってもその悪質さには様々な程度があり、そういったことを無視してはいけないということでしょう。すくなくとも宮崎市や小郡市の事件よりは、この殺人事件の方が同情に値する、被告人の情状を酌量すべきという判断があったということです。25年の求刑に23年の判決だから甘い判決ではありませんが、少なくとも死刑や無期懲役には値しない罪状であると検察も裁判官も考えたということです。いずれにせよこういうこともあるのだということは、つねに考えないといけないことだと思います。

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