ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

死刑執行について(もしかしたら今年の12月ごろに死刑執行があるかもしれない)

2023-11-16 00:00:00 | 社会時評

この記事を書き発表する時点で日本で最後の死刑執行は、秋葉原通り魔事件の加藤智大死刑囚が2022年7月26日に執行されたものです。その後死刑の執行はありません。

これは特にこの記事の本論とは関係ありませんが、今年公開された映画『私、オルガ・ヘプナロヴァー』は、チェコスロヴァキアで最後に処刑された女性であるオルガ・ヘプナロヴァを題材にしています。彼女は、1973年にトラックを暴走させて8人の市民を殺害し、12人を負傷させた罪により、75年に死刑を執行されました。映画では、彼女は死刑執行の際に泣き叫んでいましたが、実際にどうだったかは諸説あって不明のようです。

それはともかく、加藤死刑囚とヘプナロヴァの事件はかなり共通していますね。トラックで突っ込んだ後ナイフで刺した加藤の方がすさまじい犯罪かもしれませんが、被害者数は秋葉原の事件が7人の死者と負傷者10人ですから、チェコの事件の方が人的被害は重大だったということになります。車で突っ込み、通り魔として殺害するというのは、たぶん加藤はチェコの件を知らなかったのでしょうが、期せずして共通するものとなったということなのでしょう。

日本では現在7つの刑事施設にて死刑が執行されています。原則各高等裁判所所在地とその管内(高等検察庁、矯正管区)の場所と対応していますが、高松のみ死刑執行施設がありません。よって高松矯正管区(四国4県を統括します)内の死刑確定者は大阪拘置所に移送されます。

東京も、1960年代半ばまでは東京拘置所(当時は、巣鴨にありました。現在のサンシャインシティです)に死刑執行施設がなかったので、仙台刑務所に移送されて死刑執行が行われていましたが、小菅刑務所に死刑執行施設(刑場)ができて、それ以降は、巣鴨時代は、執行の朝にバスで移送され、小菅で刑が執行されました。当時は、死刑囚らは、まさに人生最後の日に東京の街並みを見ることができたのです。たとえば正田昭死刑囚などは、そのようにして刑場に消えました〈1969年執行)。

正田昭氏です。すでに執行から半世紀たっていますので、敬称をつけます。出典はこちら。キャプションに、次のようにあります。


正田昭が生前、友人らに送った自らの写真。裏に1967年12月3日撮影とあり、40才で刑死する2年前の姿と分かる

現在では考えられませんし当時でも異例だったでしょうが、拘置所での撮影です。

その後東京拘置所が小菅に移転し、東京拘置所で死刑が執行されることになりました。ただ、日本の拘置所・刑務所では原則1日2人までしか死刑の執行をしないので(オウム事件で、2018年7月6日に東京拘置所で麻原彰晃ら3名が同日に執行されたのは、例外です)、共犯者が3名以上いて死刑が確定した場合他の死刑執行を可能とする施設に移送されます。2018年 3月にオウム事件の死刑確定者らが、東京拘置所からいっせいに札幌をのぞく他の死刑執行施設のある刑務所・拘置所に移送された際は、「これはいよいよ死刑執行が迫ったか」と話題になりました。そしてそれは正しかったわけです。なお現在では、大牟田4人殺害事件の家族4人の死刑囚が、父親が広島拘置所、兄が大阪拘置所に移管され、母親と次男は福岡拘置所にとどまっています。また大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件では、名古屋拘置所に拘禁されていた3人の死刑確定者の1人が東京拘置所に移管されました。法務省としては、彼(女)らの執行は、同日に行うという方針かと思われます。

では死刑執行の過程を見てみましょう。いろいろな本やサイトから私の責任で再構成しました。そんなにひどい間違いはないはず。

死刑執行は、法務大臣の署名・捺印による執行命令で行われます。法相による命令が出ると、その命令は各執行施設へとどきます。執行施設は、命令が出たら5日以内に死刑の執行をしなければいけません。

命令が到達すると、各執行施設は大わらわです。執行準備で、執行対象の死刑囚の身長に合わせて縄の長さを調整しなければいけませんし、当日の執行の人員も選抜する必要があります。前もって命令すると執行当日逃げる看守もいるので、当日に職務命令をすることとなります。

また死刑執行に際しては、検察官(および検察事務官)の立ち合いを必要とします。法の建前では、検察官が死刑執行を指揮します。立ち会う検察官は、原則確定した時点での所轄検察の検事が担当します。最高裁まで行った事件では管轄の高検の検事が立ち会います。ただし大久保清事件では、1審の死刑判決を大久保が控訴しなかったので前橋地検の検事が立ち会うべきですが、実際に立ち会ったのは東京地検の検事だったとのこと。そのあたりは、ある程度柔軟な運用がされているのでしょう。法律で決まっているわけではない内規ですから、それ自体に問題はないということもあるのでしょう。

さらに、教誨を受けている死刑囚には、教誨師にも来てもらいます。教誨師は、日本の司法制度において、死刑執行現場に立ち会う唯一の民間人です。

いよいよ執行当日です。執行される死刑囚は、複数執行の場合少なくとも最初の1人は、朝食後まもなくの時間に房から連れ出されます。看守が来た瞬間に「来たか」と覚悟する死刑囚もいれば、何が何だかわからぬまま刑場に引っ張られていくものもいます。徹底抵抗して騒ぎ立てる死刑囚は、さほど多くないようです(そうである人もいます)。

所長室、最近は、刑場に隣接する教誨室でのことが多いようですが、所長ほか拘置所(刑務所)幹部職員のいる一室に通され、死刑執行となる旨伝えられます。簡単な遺書を書くこともあります。また喫煙や飲み物、和菓子などを食する機会が与えられる場合もあります。宅間守(執行時は「吉岡守」)は、煙草を吸ったあとジュースを飲んだとのこと。

教誨師がついている場合は、最後に念仏を唱えたり賛美歌を歌ったりもします。このあと目隠しをされ(袋をかぶされたり、最近はアイマスクの模様)、執行台へ向かいます。はるか昔は階段を上りましたが、当然死刑囚に階段を上らせるのはきわめて難渋しますので、現在は床が落ちるタイプです。首に縄をかけて、3人の刑務官が同時に執行ボタンを押します。うち1つが、実際に床を落とすものです。どのボタンで床が落ちるかは、執行ごとに執行施設幹部が選びます。床が落ちると、下の部屋にいる刑務官が体を押さえます。刑務所(拘置所)の医官が聴診器を当て死亡を確認します。その後さらに5分死体をつるしておいて、おろした後死体を清掃し、棺に納めるところまでします。

当日執行を担当した刑務官から検事にいたるまで、「特殊勤務手当」が支給されて、その日はお役御免になるとのことです。やはり人を殺す業務やその執行に立ち会うというのは、とてつもない精神的重圧があるということなのでしょう。なお報じられるところによると、戦後でも稀代の犯罪者として知られる勝田清孝(のちに支援者の母親と養子縁組し、藤原に改姓)は、執行で目隠しをされた際、「先生(教誨師)の顔を最後にもう1度見たい」と言ったとか。彼の場合、面会もあったわけですが、やはり教誨師に対する思いは特別なものがあったのかもしれません。

昔は、死刑囚は、家族もいないしいても死体引き取りを拒否する場合が多いので、死刑囚の希望で献体をする場合がありました。献体すれば、もちろんその遺体は丁重に扱われますから、せめてもの世間への贖罪という意味合いもあったのかもしれません。なお最近は、献体される遺体が多いので、死刑囚の遺体が特に献体されるということもないという話を聞いたことがあります。かつては、たとえば仙台刑務所では、執行後に東北大学医学部に献体されるのが1つのルートだったようです。

遺体は、遺族が引き取ってくれればそれでいいですが、既述したように引き取る遺族がいない場合も多いし、いても引き取り拒否も多い。その場合無縁仏として葬られます。拘置所(刑務所)が終の棲家となる死刑囚ですが、死後も家族の元に戻れないことも多いわけです

なお日本の7つある死刑執行施設のうち、札幌と仙台では、刑務所に刑場があります。かつては、法務省の方針で「刑の執行は拘置所でなく刑務所であるべきだ」という考えがあったようですが、現在はその名残が札幌と仙台に残っているということでしょう。札幌刑務所のWikipediaには、

日本において刑場は通常、刑務所内ではなく死刑囚が収監される拘置所に設置されているが、札幌高裁管内で死刑が確定した死刑囚(死刑確定者)は本施設に隣接する札幌拘置支所に収監される一方、死刑執行施設(刑場)は本施設(刑務所)内にある。これは仙台矯正管区も同様の形態で、死刑確定者(死刑囚)は仙台拘置支所に収監される一方、刑場は隣接する宮城刑務所内にある。

とあります。また札幌では、死刑執行の際は、死刑囚は、隣接している拘置所から車で移動するとのこと。やはり屋外に死刑囚を歩かせるというわけにはいかないのでしょう。

私は死刑反対論者ですので、どっちみち死刑の執行に賛成するものではありませんが、死刑を認めるにしても、やはり死刑囚の面会はより柔軟に対応してもらいたいし(最近は、ひところと比べると、身内と弁護人以外の人も、拘置所の裁量で面会が可能になってきているようです)、これは賛否両論があるのは理解できますが、死刑囚が希望する場合は、事前の言い渡しと最後の家族との面会も認めてあげてほしいと思います。法律の名において「お前を殺す」というのだから、最後にそれくらいのことはしてあげてもいいのではないか。昔の日本もそのような運用だったのですが(前出の正田死刑囚も、そのような扱いでした)、自殺者がでたので取りやめになりました。確かにそういうことも理解しますが、何とかならないかとは思います。

私の予想では、今年の12月末に死刑の執行がある可能性がありますね。今までなかったのだから、12月は死刑が執行されることの多い月なのでそうなるかもしれない。その際は、また記事を書きたいと思います。また前にも書きました福岡県警警察官(当時)による家族3人殺人事件は、12月8日に判決公判があります。このままいくと被告人控訴が棄却されて死刑が確定する公算が高そうです。この件についても、あらためて記事を書こうかと思っています。死刑の執行があったら、それと同じ記事にするかもです。

本日福岡県警元警官が被告である家族3人殺人事件の最高裁における口頭弁論がある(実行する前にちょっと冷静になれれば、このような事態にはならない)(追記:12月8日に判決が決まる)

福岡・小郡の妻子殺害、12月8日上告審判決

というところでこの記事を終えようと思いましたが、私が見つけた下の記事は非常に参考になります。あとでこちらにのっとって、拙記事の内容を訂正するかもしれません。是非お読みを。

死刑執行の流れとは? 執行命令から実施までの手続きと期間


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