アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

2024年05月28日 | 本と雑誌 その2

「核のプロパガンダ(原子力はどのように展示されてきたか)」(暮沢剛巳著)

「各地に建てられた原発のPR施設、原爆の災禍を伝える広島・長崎の平和館、原子力の平和利用を訴えた万博や、第五福竜丸展示館、丸木美術館など、展示から核の戦後史を語る」(帯より)

著者自身は、原発は反対でも賛成でもないという立場でこの本は綴られています。


核の廃棄物施設の中を見ることはなかなか許可は下りないとようですが、20002年7月号のナショジオ誌には、写真付きで記事が載っています。
「現在、全米114カ所の核関連施設では、これまで先延ばしにされてきた放射性廃棄物の除去作業が進められている。小規模な施設の多くは作業を終えたが、 大規模施設はこれからという状態。商業用と軍事用の原子炉から出た、4万7000トンもの危険な使用済み燃料をどう処理するか。プルトニウム加工の工程で 出た3億4400万リットルの高レベル放射性廃棄物、何トンものプルトニウム、50万トン以上の劣化ウラン、それに膨大な量の汚染された機材や金属片、作 業衣などの廃棄物をどう処理するのか」(紹介文)

日本での放射性廃棄物(2002年)の量は、低レベル廃棄物(六ヶ所村でドラム缶約14万本、各地の原発施設で52万本保管中)、超ウラン廃棄物(約8万7000ほん)、ウラン廃棄物(約11万2000本)、医療・研究施設機関からの廃棄物(約40万本、今後50年間で35万本が増える予定)だそうです。

便利さの裏側では、こうした廃棄物が生まれてしまう現実。

⬇️「日本列島はすごい・伊藤孝著 62頁」より
奥の細道の話になりますが、曽良の日記には、旅の期間中に芭蕉は温泉を除けは3度しか風呂に入らなかったそうです。
それだけ薪というものが大事であって、枯渇していたようです。
「17世紀中盤には日本の森林は疲弊し、四老中連名の「諸国山川掟」により森林の乱開発が禁じられ植林が推奨されるほどだった(森林飽和・太田猛彦著)」

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昔は川の氾濫も多く、水の安定供給もままならなく、それでいて江戸時代は小氷河期だったそうですから、人々の暮らしは辛いものだったのでしょう。

コメント
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