「動物になって生きてみた」(チャールズ・フォスター著)を読む
だらしない恰好をして、ごみ袋をあさったり、動物になりきって生活する試みは面白いと感じたのですが、動物学的思考というよりも哲学的思考の方が強い本だと思います。
そういった読み方をした方が、楽しめるかなと感じました。
「動物になって生きてみた」(チャールズ・フォスター著)を読む
だらしない恰好をして、ごみ袋をあさったり、動物になりきって生活する試みは面白いと感じたのですが、動物学的思考というよりも哲学的思考の方が強い本だと思います。
そういった読み方をした方が、楽しめるかなと感じました。
youtube動画のコメントに、面白いのがありましたので、こちらで保存しておきます。
コメント自体は、規約違反なので削除しておきました。
「 I Wontbebeat(https://www.youtube.com/channel/UC1tbHjyqRKVgnjwhU7XJwAg)
前にも書きましたが開口健のエッセイによると、「遊歩大全」の著者は魚類は痛さを感じないと書いたそうで、釣り師は色めき立ったという趣旨のことを書いていたと思いますが、それは後ろめたさが減少するという意味合いです。
最近の研究では、魚類は痛さを感じるというのが確定的とありました。
ではなぜ痛さを感じないという話が生まれたのか?それは捕食される側は、常に弱みを見せることができないし、見せたら捕食者の餌食にされてしまうからそうです。
釣り人の扱う針は、魚たちにどんな影響を及ぼすのか?本当のところは魚に聞いてみるしかありませんが、過酷な自然という環境で暮らす魚たちにとっては、ほとんど影響を感じないレベル、あるいは直ぐに治ってしまうような傷というのが私の考え方です。(そもそも口の周りには痛点があったのかどうかも勉強不足のため不確かです。)
むしろ、乾いた手で触ったり、乾いた網で救った方が余程魚にダメージを与えるのはと思っています。(これもわたしの思いなので当てにはなりません)