暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

耕雲亭の台目席と「南方録」

2024年01月11日 | お茶と私

 

ぶるっ ぶるっ お寒いですね! 

令和6年の初釜でお借りするロイヤルパークホテル東京日本橋の耕雲亭の小間は四畳半台目、台目構えになっています。

初釜に向けて台目の初炭、後炭、濃茶点前を指導しながら、以前S先生から興味深い話しを伺ったことを思い出しました。

「台目構え(台目切(出炉)・中柱・釣棚からなる点前座の構えをいう)には台子が封じ込められている」そうで、基本の考えが南方録に書かれているそうです。

利休の時代を前後する頃から、通常の畳より一尺五寸(台子の座:台子の幅一尺四寸プラス屏風の厚み一寸)短い台目畳を持つ台目席が流行します。

なぜこの時代に台目席が始まり、流行したのか、利休によって総合された草庵の侘茶とも深い関連があるようですが、今一つそのうねりが分からないところです(これについては調べてまたの機会に・・・)。

台目席は現代にも受け継がれています。

 

  (横浜三渓園・春草蘆の台目席・・・三畳台目席です)

ロイヤルパークホテルの耕雲亭もですが、横浜三渓園の春草蘆箱根湯本・玉庭の仁庵など、台目切の茶室を使う機会があるので、広く「台目」について勉強する良い機会と思い、冬休みに「南方録を読む」(熊倉功夫、淡交社)の「墨引」を読み始めました。実は「曲尺割(カネワリ)」が苦手で何度も挫折しています・・・。

それでも読みだすと、書院の茶から草庵の侘茶への変化、台目畳の成り立ち、炉の位置の変遷とそれが意味すること、利休の茶の変革の過程を想像しながら、興味深く面白かったです。

一方で、「陰陽や五行の思想」や「曲尺割」についてはとても難解で根気が続きません。

 

   (箱根湯本の仁庵の台目席・・・四畳半台目です)

順不同ですが、興味あるままにメモしておきます。

〇 2つの大きな茶の流れ(伝統)があり、利休によって総合された

  ① わび茶の伝統     珠光--宗陳・宗悟--紹鴎--利休

  ② 書院台子の茶の伝統  能阿弥--空海--道陳--利休 

〇 台子(長板)の幅は一尺四寸とする。これを基に台子の曲尺割が台目席へ適用されている。

〇 炉の寸法・・・草庵の炉は最初その寸法が決まっておらず、一尺六寸や五寸の大きな炉が一般的だった。紹鴎と利休が相談して大台子の法を基本として向炉(注:現在の隅炉のこと)を一尺四寸と定めた。

長板(台子)の幅一尺四寸をもとにして、風炉の座一尺四寸四方を炉(向炉:隅炉のこと)として、炉の向うに二寸五分の板を入れたのは、台子を置いた時の向う四寸五分の内から二寸五分を板にとり、残りの二寸を道具を置く余裕としての秘事にして、合わせて一尺八寸五分に曲尺割を取り決めた。これが炉の法の根本である。

〇 炉の変遷・・・最初は向炉(現在の隅炉)に始まり、炉を客席へ近づけた向炉(現在の向切。炉が客席に近い右側になる)、その後に台目切(現在の出炉で中柱の右側に炉を変えた形式。炉が台目畳より出て、より客席近くになり炉中が拝見しやすくなる)と変遷した。

〇 台目畳・・・一畳の畳みの大きさ(六尺三寸)の内、向う一尺五寸を右の畳へ出炉として出したつもりで除き、残りの四尺八寸の畳を台目畳という。

〇 台目切の曲尺割・・・(図にかいてみると分かり易いのですが・・・)

 台目畳四尺八寸の中で、一尺六寸五分は中柱の前から向うの壁までの長さで、内訳は中柱の太さ二寸と遊び(余裕)の五分で、残りが一尺四寸となり、台子の曲尺割(カネワリ)が適用されている。

 中柱の前の面から下、一尺四寸が炉。さらにその下一尺七寸五分は亭主の居座の分で、このうち三寸五分は台子を置いた時の台子の向う側、屏風までの長さであるが、ここに含めて居座での動きが自由になるようにする。残りはまた一尺四寸である。

〇 中柱・・・今日 、台目切の茶室ではゆがみ柱といわれる皮付きの自然木がつかわれている。しかし、「南方録」によればその由来は省略された台子の4本の柱を集めたもので、一寸角の台子の柱が4本合わされて二寸角の中柱となるのを定法とする。

以上、図に書いたり、うんうん唸りながらも「台目構えには台子が封じ込められている」というS先生のお言葉を理解しようと努めた結果、台子の曲尺割が実感としてわかったような気になっています・・・ふ~~っ(汗)。

 

  (桜や椿が咲く、暖かい春の日射し待ち遠しいです・・・)

 

 


令和6年の年頭に思うこと

2024年01月03日 | お茶と私

   (茶室・耕雲亭・・・都心とは思えない佇まいです)

 

昨年末の某稽古日のことです。

「3月頃にお招きしたい方がいて炉の茶事をしたいけれど、亭主は無理だから私に代わって亭主を社中の方にお願いして、私は後見としてお客さまとお話しする・・・というのはどうかしら?」

頭の中で眠っていた炉の茶事への願望が口をついて出てきたのですが、「日が合えばいつでもお手伝いさせてください・・・」という嬉しい返事が返ってきました。

「これって正に「他力本願」ではないかしら?」と思い、ブログの「他力本願のすすめ」を読み返してみました。しばしお付き合いください。

 

他力本願のすすめ・・・

という京都法然院・梶田貫主の法話をお聞きする機会がありました。
自力本願で一生懸命一人頑張ったとしても
大したことは達成できないことがわかったので 
他力本願に変えたら、同等もしくはそれ以上のことができたのです。
それ以来、他力本願を旨とし、みなさまにもおすすめしています。
・・・というようなお話でした。 (中略)

他力本願の真意は、
人は自分一人で生きているのではなく、周りの人によって生かされているだから
他力本願を旨とすることで、それまで見えないことが見えて来て、
他人との縁の中で自分を生かすことの重要性が体得できる・・・ということでしょうか。

・・・(後略)・・・ 

 

 

ブログの記事を読むと、十数年も経っているのにその頃の気持ちが鮮明に思い出されるから不思議です。

そして改めて自分に問いかけます。

「今年は何をしたいの?」

「お茶で一番にしなければならないことは何?」・・・と。

答えははっきりわかっているけれど、自分一人で出来ることはありませんでした・・・。

生徒さん、茶友、あるいはどなたか協力者がどうしても必要なのです。

・・・そのことに気が付いて本当に良かった!と思っています。

他の方と協力して何かを成し遂げれば、それまで見えないことが見えてきたり、いろいろ新しい茶の湯の経験が出来ると思うからです。

「もう膝や腰の不調を理由に何もしないであきらめるのはやめよう!」

「先入観(思い込み)やこだわりは捨てて柔らか頭で丁寧に事に当たろう!」

「たとえ後悔することがあっても、やらないで後悔するよりやった方が良い!」

これらは自分自身を勇気づける言葉ですが、新たな道筋(やるべきこと)を見出した喜びを噛みしめています・・・。

 

       (茶室・耕雲亭)

1月某日に暁庵の裏千家茶道教室の初釜をします。

茶友のN先生の茶道教室と初めて共催の初釜ですが、まさに「他力本願」で実現することになりました。

ロイヤルパークホテル東京日本橋のステキな茶室・耕雲亭で行う令和6年の初釜、暁庵社中が小間で濃茶席、N先生社中が広間で薄茶席を担当します。お客さまは社中と社中のようなゲストです。

今からとっても楽しみにしています。  

 

 


令和6年元旦に・・・

2024年01月02日 | 暮らし

   (暮れから掛かっている「灑雪庵」の軸)

 

 

 謹賀新年

    昨年は大変お世話になりました

    本年もよろしくお願いいたします

        令和6年 元旦   暁庵

 

・・・ここまで書いて年頭言(?)を考えながら一休みしていると、能登半島を中心とする地震と津波警報がテレビで報道されました。

それからはブログどころではなく、正月気分も吹き飛んでしまいました。

一夜明けて、甚大な被害状況がわかって来て愕然としています。まだ余震も続いているようで怖いです。

被災地の方々に心からお見舞い申し上げます!

・・・と共に、私に何か出来ることはないかしら・・・と。