暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

茶道具こわい・・・茶碗「玉帚」

2019年01月03日 | 茶道具



  謹賀新年

いつも「暁庵の茶事クロスロード」をお読みいただき、ありがとうございます
今年もどうぞ宜しくお願いいたします




  初春の
   初子(はつね)の
    今日(けふ)の玉帚(たまははき)
  手にとるからに
    ゆらぐ玉乃緒

                  (大伴家持  万葉集 巻二十)


歌の意は、「初春の初子の今日、玉帚を手に取ると、玉が揺れて音をたてます」



昨年(2018年)12月初めのことです。
東京美術倶楽部の正札市へ出かけ、久しぶりに「茶道具こわい!」に遭遇してしまいました(汗)。
「見るだけでも勉強させて頂こう・・・」と、2階の展示室へ行った時のことでした。
その茶碗は、展示室のさらに奥の展示室にひっそりと置かれていました。
きっと気づかなかった人も多いのでは・・と思いますが、その茶碗(雲鶴青磁)が何故か気になってしまったのです。

茶道具との出会いは恋人と出逢うような運命的なもので、その機会を逃すとその後も面影を求めて探し続ける・・・そんな経験を茶道具で何度かしたので、思い切って購入を決めました。
小堀権十郎(江戸前期の茶人、徳川幕府の旗本で名は政尹、号は篷雪。小堀遠州の三男)の書付があり、蓋裏に和歌(冒頭の和歌と写真)が書かれています。外函に遠州流茶道12世・小堀宗慶の極めがありました。

残念ながら蓋裏の和歌が読めませんで、知人に解読をお願いしました。
この和歌を完全に読み解きたいと、暮れからいろいろ調べていると、
万葉集巻二十に収録されている大伴家持の歌であることがわかりました。


 コウヤボウキ(高野箒)の花   (季節の花300)

さらに「玉帚(たまははき、たまばはきとも)」は、コウヤボウキの枝を束ね、繭玉やガラス玉を飾り付けた箒で、古代の特別な儀式に使われていたそうです。
初子(はつね)の日(正月最初の子の日)に新年の言祝ぎを占う「目利箒(めどきほうき)」として、大切な朝廷の行事「初子の儀」に使われていました。

  儀式では、天皇が手辛鋤(てからすき)で田を耕す仕種をして、豊穣と祖先を祭り、
  皇后は「玉帚」を手にして左右に揺らせながら蚕室を掃き浄めて、蚕神を祭ります。
  「玉帚」を揺らした時に、枝先の玉と玉が触れ合って、カチカチと澄んだ音をたて、
  その音の響きによって新たなる年の養蚕の吉凶を占います。

                  (参照・・・万葉植物から伝統文化を学ぶ)


天平寶宇(西暦758年)1月3日に孝謙天皇が「玉帚」を東大寺から献納され、宴が催されました。冒頭の和歌は天皇の勅を受けて官人たちが詠んだ歌の一つで、大伴家持の歌でした。
その「玉帚」は正倉院御物「子日目利箒(ねのひのめどきほうき)」として伝承され、正倉院南倉に収蔵されています。「正倉院御物図録十四」によると、箒の先に小さなガラス玉が数個残っているとか。


「子日目利箒(ねのひのめどきほうき)」
(参照・・・万葉植物から伝統文化を学ぶ)


・・・購入した雲鶴青磁茶碗ですが、小堀権十郎の書付の和歌から「玉帚(たまははき)」と呼ぶことにしました。

雲鶴(手)は高麗茶碗の一種で、高麗時代後期に作られた古格のあるものを古雲鶴、朝鮮王朝(李朝)中期以降の注文茶碗を後(のち)雲鶴と呼び分けられているそうです。
雲鶴青磁ですが、高麗青磁の後期に見られる象嵌青磁です。

茶碗は椀形、高台まわりに黄土色の土が見えます。
雲鶴青磁のかもしだす高貴な気品、落ち着いた色合いや繊細な貫入に心惹かれています。
口縁外下周りに雲鶴が黒土と白土で象嵌されていて、飛翔したり、よちよち歩いていたり、ダンス(?)している鶴たちが愛らしく見ていて飽きません・・・。
昔の茶人たちがこの茶碗を愛玩した気持ちがわかるような気がします。
今年はこの茶碗を使うぞっ~! と楽しみ・・・ 

(参考)
 茶道具こわい    2010年12月29日
 茶道具こわい in Kyoto     2014年12月18日
 楽茶碗に恋して・・・茶道具こわい in Kyoto Ⅱ    2014年12月27日