8月20日は三渓園の見学会でした。
秋に行う「三渓園茶会(仮称)」の下見へ6名で出かけました。
その日は曇っていましたが、湿度が高くちょっと動くと汗がじわっ~と噴き出てくるような日でした。
それでも正門を入るとすぐの蓮池に名残りの蓮の花が咲いていて、夏の終わりの庭を彩っています。
三渓園職員のKさんが蓮華院と春草蘆を案内してくださいました。
前回の茶会から3年が過ぎていますが、その間コロナウイルスの蔓延があり、「やっと最近になって小寄せ(社中に限って)の茶会をする方がいるようになりました」というお話でした。
幸いにも10月29日(土)に2つの茶室、春草蘆(しゅんそうろ、重要文化財)と蓮華院(れんげいん)をお借りすることができ、「三渓園茶会(仮称)」に向けてスタートをきることができました。
(蓮池には名残りの蓮の花が・・・)
竹林の茶室、蓮華院 (こちらが受付と薄茶席の予定です)
今までに春草蘆や蓮華院で3回茶会をしていますが、どの茶会も思い出すと胸キュンになります・・・よろしかったらブログをご覧ください。
① 春草蘆・有楽茶会
② 京都へ行く前にお別れに開催した「蓮華院・名残の茶会」
③ 三渓園・春のクロスロード茶会・・・ブログ「暁庵の茶事クロスロード」の10周年を記念する茶会
(蓮華院・土間にそびえる柱が凄い!です)(宇治平等院翼廊の古材)
最初に蓮華院を見学しました。
「三渓園茶会(仮称)」で蓮華院は薄茶席の予定です。
蓮華院は、原三溪が自らの構想により大正6年(1917年)に建てた茶室で、現在の春草蘆がある場所に最初建てられました。三渓翁49歳のときに「蓮華院」の完成を記念して初の茶事を行っています。
六畳の広間には琵琶床があり、この琵琶床に三溪翁は東大寺三月堂の不空羂索観音が持っていた蓮華を飾ったそうです。土間にそびえる存在感あふれる柱は宇治平等院の翼廊の古材です。このように見所やエピソードがいっぱいあります。
戦後、竹林の茶室として新たなコンセプトのもとに現在地に移築されました。
蓮華院がどのような薄茶席になるのか、担当の方々がいろいろ知恵を絞ってくださることでしょう・・・とても楽しみで今からワクワクしています。
濃茶席の春草蘆へ向かいました。
蓮華院から坂道を少し上がると春草蘆があり、途中に奈良・海竜王寺付近で出土した大きな石棺が無造作に置かれています。
坂を登ったところに銀杏の大木があって、秋が深まると黄色い落葉がはらはらと降りそそいで、道も石棺も黄色に染まるのですが、「三渓園茶会」の時にはまだでしょうか・・・。
(奈良・海竜王寺から出土した石棺)
春草蘆(重要文化財)は大正11年(1922年)に京都・宇治の三室戸寺金蔵院から移築されました。
江戸時代初めころの建築と推定され、織田信長の弟・織田有楽の作と伝えられていますが、確証はありません。
国宝・如庵(有楽作)と同様、春草廬も複雑な変遷の歴史があり、詳しくはこちらをご覧ください。
三畳台目の席ですが、窓が九つあるので少し広く感じます。古くは九窓亭(くそうてい)とも呼ばれていました。
春草蘆に座してみると、タイムスリップして、戦いの前に茶の湯を愛でる戦国武将たちや、仏教美術に傾倒した原三渓翁の茶会の様子が浮かんできたりします。
・・・窓をいくつか開けてみました。
長い時間、人が入っていなかった茶室はひっそりとして寂しさを感じる佇まいでしたが、当日は
濃茶を喫みながら九つの窓から入る光や風、刻々と移ろう窓の景色を楽しんでいただければ・・・と思います。
(百日紅の大木と旧燈明寺三重塔(重要文化財))
最後に待春軒へ。こちらは点心席を予定しているお茶屋さんです。
待春軒へ辿り着くころには全員、汗びっしょりで喉もカラカラ・・・私は熱中症の一歩手前でした。
早々に池のほとりの雁ヶ音茶屋へ駆け込み、みんなでかき氷を食べ、全身を冷やしひと息つきました。
ステーキランチに始まり、いろいろありましたけれど、この時のかき氷の冷たさと美味しさが忘れられません。