マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

母と私のバラ  そして 『わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するためである。』

2021-06-09 11:23:35 | 父と母のこと 兄弟のこと
6月7日。水曜日。晴れ。

             『母のバラ』
    
                    切り花にして部屋に飾りました。

          私の母は花を愛する人でした。
 季節の花が絶えることがないように、庭をアレンジし、手入れを楽しみました。
 日々の暮らしの中で、床の間や仏壇そしてそれぞれの部屋に、花を飾りました。

      晩年になって神戸の我が家に住むようになった母は、
     自分の愛した花のいくつかを、東京の庭から移植しました。
     東京の家に残してきた花々のことを懐かしく話す母でした。


             『私のバラ』
 
                                玄関先で育てています。

     母の花への愛情を見て育った私は、花を愛する喜びを受け継ぎました。
  たまに植木屋に寄って小さな花を買って帰り、大きく育てていくのが楽しいのです。


    今日も、 ”美しく咲いたわね!”  と天国からの母の声が聞こえるようです。
     母を偲びながら・・・母の心を継承し、母を目指す私です。 感謝!感謝!


そして。

今日は6月9日。年間第十水曜日。

『今日の入祭唱』

  『主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。
    主を畏れる人に何も欠けることがない。
      主を求める人には良いものの欠けることがない。』

           詩編 34章10-11節


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、 イエスは 弟子たちに言われた。
 
  「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
        廃止するためではなく、完成するためである。


           はっきり言っておく。
     すべてのことが実現し、 天地が消えうせるまで、
     律法の文字から一点一画も消え去ることはない。


   だから、
  これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、
       天の国で最も小さい者と呼ばれる。
   しかし、
  それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。」』
         マタイによる福音書 5章17-19節

旧約時代。
『十戒』は、
イスラエル人のエジプト脱出のおりに、
奴隷状態から解放された生活の諸条件を示す
 『命の道』として、『神の法』を要約し、
     神が宣言されたものです。
 『十戒』と『律法』 のたまものは、
神が御自分の民と結ばれた『契約』の一部を成しています。
    『カトリック教会のカテキズム』より



 新約時代になり・・・
 イエス様は『十戒』:『律法』に、 更に『一つ』:『愛のおきて』を加えられたのです。


  「先生、永遠のいのちを得るためには、どんなことをすればいいのでしょうか?」
    と尋ねる青年に、イエス様は、
     『律法を守りなさい。
    そして、もし完全になりたいなら、
         行って持ち物を売り払い、貧しい人に施しなさい。』 
      とお答えになられ、  マタイ19章19-21節 参照
         『愛のおきて』 を設定なさったのです。

      
       イエス様は、『十戒』を踏襲されたのです。

   イエス様は律法学者やファリサイ派の人々に勝る義、 また、 異邦人のそれに勝る義、 
                             について説かれたのです。

   『十戒』は・・・
   『心を尽くし、思いを尽くして、神である主を愛する』又『隣人を自分のように愛する』
          と、二つでありながら、『唯一の掟』であり、
   律法の充満であるこの『愛のおきて』に照らして理解されるべきものなのです。
          『カトリック教会のカテキズム』より


言い換えれば・・・
こういうことでしょうか。



  イエス様は、 『旧約時代からの律法や預言者を廃止するために来たのではない。
            それを完成するために来た』
 とおっしゃいました。

    
  律法学者たちは、『律法』に熱心のあまり、『細かい規則』を沢山作り・・・
             「守ることが大切!」とばかりに、形式的になりました。
       それによって、
          一番大切な『掟・愛』を忘れがちになりました。

そんな時、

 イエス様は、 改めて、 『愛のおきて』を説くのです。     
神に大切にされていることを信じる、ゆえに、他の人たちも全て大切にされている人々であることを信じる。
   愛なる神に感謝に応えることは、全ての人を大切にすることである。
        これらを忘れてしまっては、本末転倒である。  と。


      イエス様は、そのご生涯をかけて、『愛のおきて』 を実行なさいました。
          持っている全ての力と御自分の命でさえも、
        御自分のためにではなく、お人のために使われたのです。

       私たちの『愛のおきて』は、イエス様に倣うことなのです。

私たちも、
『コップ一杯の水を必要な方に差し上げることは、
小さなことではない、私にしてくれたことである。』とイエス様は言われました。
イエス様の模範にならって、
『愛のおきて』を実行したいものですね。
その力を祈りましょう。
    
『今日の祈願』 

   『いつくしみ深い父よ、
     私たちが真の信仰に成長することができますように。』


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
『信仰は継承である』と云われますよね。
私たちも、父母の喜びを継承して、父母を喜ばせたいものですね。 お元気で! 

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