昨日、町内二箇所で盆踊り大会があった。
一つは私の団地内だったが、11年近く住んでいるというのに祭り会場に出かけたのは初めてだった。
念仏踊りなどが発展した形が盆踊りといわれ、盆踊りの本来の目的は「盆に招かれてくる精霊を慰め、これを送る踊りと考えられている」ものだから、この時期に行なわれるのは時期はずれであるが、今は、精霊送りというよりは「町内の親睦会」のようなもので、夏休みがまもなく終わる子供たちをつれた家族連れが多い。そして踊るのは町内会の婦人部といわれるおばあちゃんたちが中心となってしまっている。
昔は「青年団」と呼ばれる組織が主宰で、菩提寺であるお寺の庭などで行なわれることが多くまさに「精霊送り」的な意味合いのほうが強かったようである。青年団主宰ということもあり、もう一つの目的は「男女交際の場であり出会いの場」でもあった。
長塚節の小説「土」(ちなみに舞台は私の生家の隣村で今は同じ市内となっている)にも出てくるが、踊りに興がのってくると気のあった男と女は暗闇の中へと消えていくのである。当時は街灯などが無く提灯で飾られた盆踊会場以外は、ほぼ暗闇である。
話はそれるが万葉集に出てくる高橋虫麻呂の「筑波山の嬥歌(かがい)」と似たような要素を「盆踊」や「祭」は引き継いでいるのかもしれない。もっとも嬥歌は既婚者である虫麻呂が「吾も交わらむ」と言っているので、むしろ乱交の場であったのではないかとも言われている。何も無かった時代のおおらかさ、何もかもがありすぎてさ迷い続ける現代・・・このままさ迷い続けるのだろうか
巻頭の写真が団地内の盆踊り風景。半数は子供たちで、家族連れなどが芝生の上で飲食を楽しんでいたが、これが最近の「盆踊」なのかも知れない。
下の写真が公園内で行なわれていた別会場の光景。これで踊っている人が若い青年たちなら昔の光景のようになるのだが、年頃の男女たちはもうこのような祭り会場には居ない。