一部の有名な建築家以外では、実力があっても仕事に恵まれている建築家は少ない。
地域で建築家を育てることはできないのであろうか。地域で建築家も一定の仕事量も確保されれば、設計に力を入れることができる。また、自分の作品が近くにあれば、その作品に責任を感じるし、また、増改築や修理など、ずっと建築のメインテナンスにかかわることができる。そんな建築家をコミュニティ・アーキテクトという。
毛綱氏も釧路市を土台にしたコミュニティ・アーキテクトの一人である。
毛綱毅曠氏は釧路市出身で釧路市には彼の作品が数多くある。
釧路市が毛綱氏を育て、毛綱氏が釧路市の個性をつくったとも言える。
残念なことに、毛綱氏は2013年に他界された。
2011年、釧路市に寄った時に毛綱氏の作品のいくつか見に行く。毛綱氏は機能では説明できない独特の形態を持つ建築である。
釧路市立博物館は、建築学会賞の受賞作品である。たんちょうつるをモチーフにシンメトリーで独特の形態を持つ。
フィッシャマンズワーフや釧路市立東中学校なども見る。
設計段階では施主とぶつかることが多かったようだが、妥協せず独特な形態につくりあげていく努力に敬意を表したい。
今では、彼の作品が釧路市の観光拠点となっている。
釧路市立博物館
釧路市立博物館
釧路市立博物館 サイドから見る
釧路市立東中学校
釧路市立東中学校 リズミカルな構成
釧路キャッスルホテル
フィッシャマンズワーフ
フィッシャマンズワーフ
地域で建築家を育てることはできないのであろうか。地域で建築家も一定の仕事量も確保されれば、設計に力を入れることができる。また、自分の作品が近くにあれば、その作品に責任を感じるし、また、増改築や修理など、ずっと建築のメインテナンスにかかわることができる。そんな建築家をコミュニティ・アーキテクトという。
毛綱氏も釧路市を土台にしたコミュニティ・アーキテクトの一人である。
毛綱毅曠氏は釧路市出身で釧路市には彼の作品が数多くある。
釧路市が毛綱氏を育て、毛綱氏が釧路市の個性をつくったとも言える。
残念なことに、毛綱氏は2013年に他界された。
2011年、釧路市に寄った時に毛綱氏の作品のいくつか見に行く。毛綱氏は機能では説明できない独特の形態を持つ建築である。
釧路市立博物館は、建築学会賞の受賞作品である。たんちょうつるをモチーフにシンメトリーで独特の形態を持つ。
フィッシャマンズワーフや釧路市立東中学校なども見る。
設計段階では施主とぶつかることが多かったようだが、妥協せず独特な形態につくりあげていく努力に敬意を表したい。
今では、彼の作品が釧路市の観光拠点となっている。
釧路市立博物館
釧路市立博物館
釧路市立博物館 サイドから見る
釧路市立東中学校
釧路市立東中学校 リズミカルな構成
釧路キャッスルホテル
フィッシャマンズワーフ
フィッシャマンズワーフ