今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

530 宿根木(新潟県)北前の船の記憶に肩寄せて

2013-10-02 20:51:38 | 新潟・長野
小木の街から西へ小さな峠を越えると、宿根木(しゅくねぎ)集落に出る。小さな入り江と、そこに注ぐささやかな流れの谷が形成する狭隘な土地に、国が保存地区に指定する重要伝統的建造物群が軒を重ねている。江戸時代後期から明治にかけて、北前船の寄港地として大いに繁盛した土地だという。その集落の姿が、奇跡の如く残っている。小佐渡の南端にあって、能登半島先端の金剛崎と向き合う位置になる。その家並を歩いた。



冬の季節風を避けるためだろう、集落の入口には背の高い竹垣が組まれ、人が一人通れるだけの口が開いている。奥能登外浦の「間垣」を思い出させる風景で、入口の奥には細い路地が延びている。港町・漁師町にとって大切なのは船着場であり、良港に臨む土地は山が迫って狭いと相場が決まっている。そこが農村と異なるところで、家に「庭先」というものがない。ようやく確保できた土地に目一杯、それも2階家が建造される。



入り組んだ路地が創り出す変形の敷地を活用し、船大工がその技術で家屋を普請したものだから、三角形の2階家があったりする。不思議な形だなと首を傾げると、なるほど横に倒せばそのまま海に浮かびそうな船の形をしていたりする。北前航路華やかなりしころは、この狭い土地に船主や船大工、鍛冶屋、桶屋、航海物資問屋などがひしめいたというのだから、「庭」こそないものの家屋内部はさぞや豪華に普請されているのであろう。



宿根木の港には土地の人が「シロボウズ」と呼ぶ御影石の石杭が立っている。千石船の船つなぎだ。その交易は巨大な富を産んだ。金の採掘を除けば、北前船の時代は佐渡が最も潤った時期ではなかったか。佐渡は荒海に浮かぶオアシスだったのだろう。越後側に残る民話に、夢のお告げで佐渡に渡り、財宝を掘り当てて帰るといったストーリーが多いのは、佐渡が金山だけでなく、日本海交易で繁栄を究めたことを物語っているに違いない。



佐渡の豊かさは、島が輩出した人材にも現れている。佐渡博物館には佐渡出身の著名人の写真がずらりと展示されていて、三井財閥の大番頭・益田鈍翁と北一輝が当たり前のように並んでいる。さらには日本画、陶芸、彫金、竹細工などの伝統工芸では人間国宝が何人も出ている。さらには能・狂言・人形芝居と、この島に堆積する人と文化はただごとではない。しかし海路は陸路に取って替わられ、佐渡は日本海の孤島に戻った。



豊かな海に囲まれているとはいえ、漁業者の収入は伸びていないようだ。真野湾に臨む佐和田のあたりは、佐渡で最も「街」を感じさせる地域だが、そこのスーパーで鮮魚売り場を覗いて驚いた。カレイが3匹100円、大振りなムロアジが2匹200円というのだ。魚はこんな価格で流通することが正常なのだろうか。「売れ残りですか」と訊ねると、オヤジさんは「ちゃんと市場を通した値段だ」と不機嫌に答えた。



原油が値上がりするなかで、島の漁業はどうなって行くのか。宿根木まで来たから、小佐渡の南端・沢崎鼻まで行こうということになって、新しい道路を西に向かった。途中、空中高く立派な橋が架かっていて、下を覗き込むと遥か眼下に小さな漁村があった。入り江の奥に10数個の民家が肩を寄せ合っている。日だまりの隠れ里といった、実に美しい光景ではあったが、漁の暮らしは厳しさを増しているのではないか。(2013.6.5.)=佐渡紀行・完








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