今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

006 山口(山口県)・・・寺に居てチャペルの響き周防路ぞ

2007-01-25 16:00:23 | 山口・福岡

土地柄に「派手」と「地味」の違いがあるとすれば、山口県というのは全体に「地味」な仲間に入るのではないか。それは大きな事件や天災が少ない土地であることの証明でもある。幕末から明治維新にかけて、この国で最も派手な土地に躍り出たことはすでに遠い記憶である。

その山口の地に立って、最初に受けた印象は「何という穏やかな風景だろう」というものだった。「山の口」にあたることが地名の由来なのだろうに、四囲には丘と呼ぶ方がふさわしい程度の山々が点在するだけで、そのいずれもが柔らかな曲線に包まれている。まるで瀬戸内の小島の風景を、そっくり陸へ運んできたかのようではないか。

山々も、本州の西端まで来ると猛々しさが消え、だらしなく大地に伏せてしまうものなのか。そんな思いにもなるほど、歯ごたえに乏しい眺めだと言うこともできる。このような風景の中から、維新の志士たちが澎湃として湧き出してきたことが不思議でさえある。

市中を歩いた日が、土曜日だったことが影響していたのかもしれない。とにかく静かな街であった。宿泊した湯田温泉をチェックアウトし、その街に生まれた中原中也の記念館を観覧し、バスで山口市街へ向かった。温泉街も山口の中心街も、人は少なかった。

中世の覇者・大内氏が、京の町を再現しようと造成した街だということで、土地の気風は幕末に萩から移転してきた長州の毛利文化ではなく、それ以前の大内文化が色濃く漂っているようである。国宝・瑠璃光寺の五重塔(写真・上)はその象徴だろう。

たまたま「雪舟没後五百年記念・山口お宝展」の開幕に重なって、塔のご開帳に立ち会うことができた。「バランスのいい塔であることよ」と見上げていると、遠くチャペルの音が響いてきた。街のもうひとつのランドマーク、ザビエル記念聖堂(写真・下)の鐘らしい。禅宗の寺で耶蘇の鐘を聴く――、これも大内文化の恩恵か。

山口市は最近、隣接二町を合併したのだが、人口はなお20万人に届かない。県庁が所在する街では全国最小なのだという。確かに中心商店街はささやかで、シャッターを下ろしたままの店も目立つ。JRの駅は「本線」を外れ、鄙びたものである。

いつだったか、NHKの番組で「商店街の活性化に取り組む山口市のケース」を観たことを思い出した。閉店した商店を若者に貸し出すという試みが、成功しているというような話だった。中心商店街から駅へ通じる辺りだったはずだ。

探し当てると、確かに若々しくて乱暴な、しかしそれが個性になっているようなショップが並んでいた。東京の渋谷や吉祥寺をうんと小さくしたような雰囲気である。買い物客は少ないようだったが、若い店主たちが起業し、競い合っている姿は悪くない。

これほどの穏やかな風光に包まれ、若者たちの商店街造りの実験をしたりして暮らすことができるなら、「地味な土地」のままでいいではないか。「小さい」ことを大事にして、この「まれに見る穏やかさ」を守り続ける街であってほしい――。通りすがりの旅人の、勝手な想いである。(2007.1.20)
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