今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1105 長瀞(埼玉県)長瀞の地球の窓で深呼吸

2023-07-03 11:29:06 | 埼玉・神奈川
この景色を前にしたら、腕を思いっきり広げて深呼吸したくなる気分は、後方で写真を撮っている私にもよく解る。あいにくの梅雨空でも実に清々しい風景なのだ。秩父盆地の水が荒川を中心に全て集まって、関東平野に出て行こうとする長瀞である。「瀞」とは「水が深くて淀み、流れの緩やかな川の状態」を言う。岩に囲まれた瀞が続く長瀞は、「地球の窓」とも呼ばれる日本地質学発祥の地で、名勝が乏しい埼玉では、とっておきの観光地なのである。



浦和で暮らしたことがある私だが、国の名勝にして天然記念物の長瀞に来るのは初めてである。秩父鉄道の長瀞駅を降り、岩だたみ通りという物産店街を抜けると、すぐに荒川の段丘上に出る。眼下に広がる「岩畳」と、対岸の「秩父赤壁」と名付けられる崖の岩は、確かに見事な岩塊と岩壁である。この奇観見たさにやってくる人が多いのは頷ける。盛岡農林学校在学中の宮沢賢治も実習にやってきた。今日も地元の中学生が、校外学習に来ている。



うっすらと緑色の縞模様を描く岩畳の凸凹した上を歩きながら、私は岩が描く表面の模様にどこか既視感を覚えた。それは老いた母が新潟で一人暮らしをしていたころ、ささやかな庭に唐突に出現した庭石を思い出させるのだ。「群馬で採れる有名な石なんだって」と、母は業者に勧められるまま買った群馬県西部の三波川産の三波石だと説明した。長瀞はその三波川変成帯の大規模な露出地で、岩畳は「地球の窓」が開けられた地点なのだった。



日本列島では珍しい「地球の窓」なのかもしれないけれど、私は「こんな程度のところか」と傲慢な思いにも駆られている。「地球」というにはあまりに小さく、箱庭の景勝模型といった程度に思えるからだ。小さな島国では何事もミニチュアになってしまうのかもしれないけれど、もっと雄大で豪快な「窓」はないものかと思う。川下りの船に乗れば、いくらか珍しい景観に出会えるのだろうが、私は岩畳辺りを歩くだけで引き上げることにした。



再び秩父鉄道の客になり、今夜の宿営地の寄居に向かう。長瀞の次の駅は野上といって、役場がある長瀞町の中心部のようだ。もともとこの地は野上を名乗った土地で、50年ほど前、隣村との合併を機に長瀞町に町名変更したのだとか。それだけ長瀞の名が観光地として高まったのだろう。次の「樋口駅」に停車すると、車窓に「水」という文字が見えた。「寛保2年(1742)の夏、豪雨により荒川の水位はこの水の字の高さに急上昇した」とある。



看板は小学校の塀の上に建てられている。この辺りは両岸の山が迫って荒川の渓谷は狭く深く、しかも秩父盆地の雨は全てここに集中する。水位の上昇は18メートルに達し、村は水没した。小学校の裏山に、当時の被災民が彫った「水」の文字が刻まれているそうで、寛保洪水位磨崖標として保存されている。この集中豪雨は台風によるもので、信濃や江戸にも甚大な被害を及ぼしたという。ちなみに「水」と刻まれた岩も三波川結晶片岩だそうだ。



荒川は「荒ぶる川」だったのである。今では秩父にダムが4ヶ所築かれ、水害の危険は薄れたというけれど、長瀞の穏やかな水面を眺めてきた眼には想像し難い、恐ろしい土地の記憶である。折しも昨日来、九州地方では線状降水帯が発生し、氾濫の危険が迫っているとニュースは繰り返している。梅雨の7月と台風時期の9月、この列島では洪水が繰り返される。荒川に沿って下る車窓は緑が美しいけれど、私の気分は梅雨空である。(2023.6.30)




















コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1104 熊谷(埼玉県)あつい... | トップ | 1106 寄居(埼玉県)玉淀の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

埼玉・神奈川」カテゴリの最新記事