今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

677 静岡(静岡県)せっかくの綺麗な街も人口減

2016-02-25 17:15:02 | 静岡・山梨
私が静岡市で2年間の単身赴任生活を始めたのは1994年4月だった。日本経済はバブルがはじけて3年ほど経っていたものの、それから今に至るまで、長期のデフレに苦しむとはまだ誰も思わない、繁栄の余韻が微かに燻っているころだった。それから20年、久しぶりに懐かしい街を歩いた。すぐに感じたことは「きれいになった!」だった。この街に「失われた20年」の影響はなかったのだろうか、再開発が着々と進められたようだ。



私がいたころ人口が50万人に届いていなかった静岡市は、清水市と合併して70万人を超える政令市になった。様変わりが最も顕著なのは静岡駅南口であろうか。かつて静岡大学の受験で駅を降りた若者が、大学行きのバスが発着する南口に出て、あまりに寂しい風景に恐れをなし、受験せずに帰ったという話が納得できるほど、殺風景な駅前だった。そこがいまやビルで埋まり、整備されたロータリーをバスが行き交っている。



その静岡市が、今度は人口減少に慄いている。市の人口減少対策室の資料によると、1990年をピークに減少へと転じた人口は、2040年には56万人にまで減ると推計されている。全国に20ある政令市で、静岡市の人口は岡山市に逆転され、すでに最下位になっているらしい。首都圏と中京圏という大都市圏に挟まれている地政上の宿命か、県内各地からの流入をはるかに超える市民が、それら大都会に吸い取られて行っているのだ。



日本全体が人口減少社会になっている以上、これは避けられない傾向であろう。だが焼津・藤枝などを含めた「都市圏」で比較すれば、静岡圏の経済力はまだまだ大きく、それが私が感じた「きれいになった!」の原動力なのだろう。駅北口の再開発では高層タワーが出現し、昔ながらの街路も歩道が整備されたように思う。繁華街の電光掲示板が「静岡市は、働く女性が子育てしやすい街No.1に選ばれました」と誇らしげに伝えている。



駅南口の広場にはルノワールの彫刻「勝利のヴィーナス」が腕を広げている。その絵から飛び出したようなふくよかな裸婦像は、ガラス張りのビルを背景にやはり誇らしげだ。女性が生き生きと輝いて、たくさん子供を産んでほしいという街の願いが込められているのだろう。「駅前に裸婦像」という「風習」は、もはや陳腐だと繰り返し書いてきたけれど、「こんなに美しい像なら、まぁいいか」と思ってしまうあたりは私の性格の弱さだ。



久しぶりにこの街にやってきたのは、単身生活時代に親しくなった友人たちとの会合があるからだ。たまたま新潟と縁のある同歳3人が知り合い、「第2新潟県人会」を結成した。第2とは、既存の県人会に遠慮してである。そして誰かが「新潟の方言で最も印象に残っている言葉だ」として、会名を「だすけ会」と名付けた。以来20年、毎月欠かさず宴席が設けられ、会員を増やしている。私は創業メンバーの一人として、久々の参加だ。



この会への出席を機に、かねて行きたいと思っていた真鶴や天竜二俣を回ってみようというのが、今回の旅の狙いである。幹事にはそのことを伝えておいたのだが、宴席で私とは一回り以上先輩の長老から「おもてなしです」と分厚い包みを渡された。二俣の観光地図や電車の時刻表、静岡県の古城案内などだった。旅の供に大いに役立たった。長老は高校の大先輩でもあり、この「おもてなし」は新潟流だったかもしれない。(2016.2.16-17)












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