大きな富士山に見守られ、広場を駆け回るチビッコたち。実に豪奢なロケーションだが、これは富士山麓の街にだけ許される贅沢である。ところが、通りで出会う街の人たちは、こんなに晴れ上がった冠雪輝く富士を、誰も見上げようとしない。大喜びでカメラを向けているのは私くらいのものだ。皆さんすでに朝の挨拶を済ませた後なのか、そこにあるのが当たり前の富士に、いちいち驚いていられないのだろう。もったいないほどの富士宮である。
富士山の世界文化遺産登録に合わせてこの街に建てられた、富士山世界遺産センターを訪ねたいのだ。巨大な逆さ富士の曲線が、木材の組み合わせによって美しくカーブしている。その外観に惹かれてのことだ。設計は坂茂氏で、地震で倒壊したニュージーランドの大聖堂跡に、急ぎ建てられた紙管製の仮聖堂に私は痛く感動したことがある。段ボールの筒などを使って、災害避難所の支援にも積極的に取り組んでいるという、素晴らしい建築家だ。
センター内部は螺旋状のスロープが高みへと誘う構造で、壁面に富士山の信仰や歴史が映し出される。そして最上階には吹き抜けの展望ラウンジが用意されていて、富士の広大な全容が一望できる。ラウンジの床はツルツルに磨き上げられ、今日のような晴れた日は湖水に浮かぶ逆さ富士を映し出す。係りの女性は「いい日にいらっしゃいました。めったにないほどの眺めです」と入館者を喜ばす。眼下には浅間大社の赤鳥居と富士宮の街が広がる。
静岡に勤務していた折り、浅間大社の宮司さんとお話をしたことがある。小柄で柔和なご老体だった。富士山頂の所有権を巡っての国との長い裁判は、神社の主張をほぼ認める最高裁判断が出されて決着したのだが、宮司さんは苦労されたのだろう、八合目以上の山頂部は浅間大社の社地である、との根拠になった徳川家康の書状などを見せてくださった。幕府の裁定が現代にも生きて、「だから山頂は当社の奥宮なのです」とは興味深かった。
その際、宮司さんが「山頂まで登り切られたとしても、お山を《征服》したといった表現は使わないで欲しいものです。信仰の山なのですから」と言われ、信仰心とはそういうものかと納得したことを覚えている。富士宮の富士山本宮浅間大社は、全国1300社の浅間神社の総本社とされている。北麓の富士吉田市にある北口本宮冨士浅間神社は、由緒・創建も「冨」の表記も異なるけれど、浅間大社とは山頂を挟み、ほぼ一直線上にあるのが不思議だ。
富士宮市は人口13万人。神田川のほとりに広大な社域を持つ浅間大社を中心に、山麓の緩やかな起伏のままに街が広がっている。歩道が広く整備された商店街を行くと、廃業した店の跡だろうか、空き地が時折り現れる。そしてその都度、広がった空間に「どーん」と富士山が姿をのぞかせる。昔来た時の街は、宗教都市的などこか神秘な印象を受けたものだったが、今日は抜けるような青空のせいだろうか、あっけらかんとした明るさを感じる。
富士宮駅に、富士宮第二中学校の生徒による「僕らの誇り いつまでも」のパネルが掲げられている。街の誇りとして「富士山」「浅間大社」が挙げられているのは当然だが、三つ目の誇りに「六つの商店街」が選ばれているのは微笑ましい。「おいしいものが盛りだくさん、さあみんなで行こう出会いを見つけに」というわけだ。「そびえ立った富士のふもと あたたかな笑顔でにぎわう富士宮」が、いつまでも誇らしい街でありますように。(2021.11.10)
富士山の世界文化遺産登録に合わせてこの街に建てられた、富士山世界遺産センターを訪ねたいのだ。巨大な逆さ富士の曲線が、木材の組み合わせによって美しくカーブしている。その外観に惹かれてのことだ。設計は坂茂氏で、地震で倒壊したニュージーランドの大聖堂跡に、急ぎ建てられた紙管製の仮聖堂に私は痛く感動したことがある。段ボールの筒などを使って、災害避難所の支援にも積極的に取り組んでいるという、素晴らしい建築家だ。
センター内部は螺旋状のスロープが高みへと誘う構造で、壁面に富士山の信仰や歴史が映し出される。そして最上階には吹き抜けの展望ラウンジが用意されていて、富士の広大な全容が一望できる。ラウンジの床はツルツルに磨き上げられ、今日のような晴れた日は湖水に浮かぶ逆さ富士を映し出す。係りの女性は「いい日にいらっしゃいました。めったにないほどの眺めです」と入館者を喜ばす。眼下には浅間大社の赤鳥居と富士宮の街が広がる。
静岡に勤務していた折り、浅間大社の宮司さんとお話をしたことがある。小柄で柔和なご老体だった。富士山頂の所有権を巡っての国との長い裁判は、神社の主張をほぼ認める最高裁判断が出されて決着したのだが、宮司さんは苦労されたのだろう、八合目以上の山頂部は浅間大社の社地である、との根拠になった徳川家康の書状などを見せてくださった。幕府の裁定が現代にも生きて、「だから山頂は当社の奥宮なのです」とは興味深かった。
その際、宮司さんが「山頂まで登り切られたとしても、お山を《征服》したといった表現は使わないで欲しいものです。信仰の山なのですから」と言われ、信仰心とはそういうものかと納得したことを覚えている。富士宮の富士山本宮浅間大社は、全国1300社の浅間神社の総本社とされている。北麓の富士吉田市にある北口本宮冨士浅間神社は、由緒・創建も「冨」の表記も異なるけれど、浅間大社とは山頂を挟み、ほぼ一直線上にあるのが不思議だ。
富士宮市は人口13万人。神田川のほとりに広大な社域を持つ浅間大社を中心に、山麓の緩やかな起伏のままに街が広がっている。歩道が広く整備された商店街を行くと、廃業した店の跡だろうか、空き地が時折り現れる。そしてその都度、広がった空間に「どーん」と富士山が姿をのぞかせる。昔来た時の街は、宗教都市的などこか神秘な印象を受けたものだったが、今日は抜けるような青空のせいだろうか、あっけらかんとした明るさを感じる。
富士宮駅に、富士宮第二中学校の生徒による「僕らの誇り いつまでも」のパネルが掲げられている。街の誇りとして「富士山」「浅間大社」が挙げられているのは当然だが、三つ目の誇りに「六つの商店街」が選ばれているのは微笑ましい。「おいしいものが盛りだくさん、さあみんなで行こう出会いを見つけに」というわけだ。「そびえ立った富士のふもと あたたかな笑顔でにぎわう富士宮」が、いつまでも誇らしい街でありますように。(2021.11.10)
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