米子駅で友人たちに分かれ、私は羽田への最終便までの半日を米子散歩に当てることにした。駅の観光案内所で市内地図を入手し、中心部と思われる方角へ歩き始める。豪雨が去って猛烈な暑さである。木蔭を探すのだがビル街に真昼の陽を遮るものは乏しく、たちまち汗まみれになる。どこかおかしいと気が付いたのはしばらく歩いてからだ。人通りが無いのだ。道路は整備されているのに通る人がいない。いくら暑いといっても異様だ。
市役所の向かいに市立美術館があるというので行ってみる。玄関は開いているのだが、がらんとして人の気配がない。目立たないところに小さく「休館中」と書いてあった。広い道路を渡ると山陰歴史館という古い建物がある。旧市庁舎なのだという。入館無料のせいか、私が入っても受付の女性はパソコンから眼を上げようともしない。展示室に冷房は無く、旋風機が熱風を送って来る。そのカバーは埃が絡み付いて真っ黒である。
歴史館の1ブロック先にアーケード街があるようだ。角に比較的大きな建物があって、石造り風に見せている柱列のデザインから銀行の支店だったと思われるが、空きビルだった。その角を曲がると、暗い洞穴のようなアーケード街が続いている。地図にはパチンコ店なども書いてあるが、みんな廃業したらしく真っ暗である。「地域再生拠点・笑い庵」に微かに人影を見たようだった。
川沿いに白壁土蔵が並ぶ一角に行くと、中海(なかうみ)遊覧船の乗船場だった。乗ってみたいと心が動いたけれど本日はすでに終了していた。家並の向こうにこんもりとした小山が見える。米子城跡だろう。麓の鳥取大学付属病院の裏門を通過する。白衣を着た若者が、貪るようにタバコを吸い込んでいる。おそらく病院敷地内は禁煙なのだろう。城山は標高90mだというが、炎天下、遭難するといけないから、見上げるだけに留めた。
城山の裏手は中海が広がり、ようやく一息ついた。その畔に遊歩道が続いて「彫刻ロード」とある。米子市は、シンポジウムなどを通じて彫刻のある文化・芸術都市づくりを目指しているのだそうで、湖畔の道を行くと様々な現代彫刻が現れて飽きない。しかし炎天下にそんな散歩をする物好きはいないらしく、彫刻はたくさん鑑賞できたものの、市民には一人も出会わなかった。
実はこんな具合に人を見かけない市中散歩は、地方の街では珍しくない。市街地の都市計画が進み、地方でも道路や公園が整って来たと思ったら、皮肉にも人口減少社会が始まって、中心市街地の空洞化が目立つようになっているのだ。これは今、日本を覆い始めている社会問題で、政府は「コンパクト・シティー」なる構想を掲げて街の集約化を図ろうとしているようだが、地価の下落や高齢化の進展などで、まだ展望は開けていない。
米子には30年前に一度来ている。いかにも微かな記憶ではあるが、そのころより街は間違いなく奇麗になっているものの、商都としての活況は薄れてしまったのではないか。30年後に再訪するのは無理だろうが、この街の行く末には興味がある。小さくとも暮らし良く集約化され、彫刻が潤いを与える街角を人々が往き来するーー。そんな風にブラッシュアップされた光景が見たい。
米子空港に向かう列車で寝込んでしまった。女性運転士の機転で逆方向電車に飛び移ることができ、最終便に間に合った。感謝と反省のため記しておく。(2013.8.1)
市役所の向かいに市立美術館があるというので行ってみる。玄関は開いているのだが、がらんとして人の気配がない。目立たないところに小さく「休館中」と書いてあった。広い道路を渡ると山陰歴史館という古い建物がある。旧市庁舎なのだという。入館無料のせいか、私が入っても受付の女性はパソコンから眼を上げようともしない。展示室に冷房は無く、旋風機が熱風を送って来る。そのカバーは埃が絡み付いて真っ黒である。
歴史館の1ブロック先にアーケード街があるようだ。角に比較的大きな建物があって、石造り風に見せている柱列のデザインから銀行の支店だったと思われるが、空きビルだった。その角を曲がると、暗い洞穴のようなアーケード街が続いている。地図にはパチンコ店なども書いてあるが、みんな廃業したらしく真っ暗である。「地域再生拠点・笑い庵」に微かに人影を見たようだった。
川沿いに白壁土蔵が並ぶ一角に行くと、中海(なかうみ)遊覧船の乗船場だった。乗ってみたいと心が動いたけれど本日はすでに終了していた。家並の向こうにこんもりとした小山が見える。米子城跡だろう。麓の鳥取大学付属病院の裏門を通過する。白衣を着た若者が、貪るようにタバコを吸い込んでいる。おそらく病院敷地内は禁煙なのだろう。城山は標高90mだというが、炎天下、遭難するといけないから、見上げるだけに留めた。
城山の裏手は中海が広がり、ようやく一息ついた。その畔に遊歩道が続いて「彫刻ロード」とある。米子市は、シンポジウムなどを通じて彫刻のある文化・芸術都市づくりを目指しているのだそうで、湖畔の道を行くと様々な現代彫刻が現れて飽きない。しかし炎天下にそんな散歩をする物好きはいないらしく、彫刻はたくさん鑑賞できたものの、市民には一人も出会わなかった。
実はこんな具合に人を見かけない市中散歩は、地方の街では珍しくない。市街地の都市計画が進み、地方でも道路や公園が整って来たと思ったら、皮肉にも人口減少社会が始まって、中心市街地の空洞化が目立つようになっているのだ。これは今、日本を覆い始めている社会問題で、政府は「コンパクト・シティー」なる構想を掲げて街の集約化を図ろうとしているようだが、地価の下落や高齢化の進展などで、まだ展望は開けていない。
米子には30年前に一度来ている。いかにも微かな記憶ではあるが、そのころより街は間違いなく奇麗になっているものの、商都としての活況は薄れてしまったのではないか。30年後に再訪するのは無理だろうが、この街の行く末には興味がある。小さくとも暮らし良く集約化され、彫刻が潤いを与える街角を人々が往き来するーー。そんな風にブラッシュアップされた光景が見たい。
米子空港に向かう列車で寝込んでしまった。女性運転士の機転で逆方向電車に飛び移ることができ、最終便に間に合った。感謝と反省のため記しておく。(2013.8.1)
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