今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

247 九龍(中国)・・・太極拳今は昔の九龍城

2009-10-27 20:08:28 | 海外


早朝の公園は、日本も中国も同じ光景が広がる。日本ではラジオ体操の輪、中国では太極拳のいっせい演舞だ。スピーカーから流れるリズムに乗って、関節を滑らかに動かしながら法悦境地のお年寄りに、日中の違いはない。香港・九龍半島の中心部、九龍公園も案の定、そろいの赤シャツ集団などがやってる、やってる。人だかりの先を見ると、6時半のプール開場を待つ人たちだ。香港市民の健康志向は、なかなかのものであるらしい。

24年ぶりに眺める九龍(Kowloon)は、明るくにぎわう街に変わっていた。高層アパートの窓から、エアコンの室外機の水が歩道へ滴り落ちて来たり、道路上を横断する空中看板が視界を混乱させるのは相変わらずの九龍だが、痰や唾を吐く歩行者は皆無で、歩行喫煙者がいないから吸い殻も落ちていない。取り締まりが徹底しているのだろう、上海よりよほど清潔で、洗練されている。

目抜き通りを行くとアラブ系だろうか、褐色の肌の男たちが近づいて来て「シャチョウ、ニセモノ時計アルヨ」とささやく。24年前、それは中国系の男たちの専売だった。ロレックスやオメガの写真を手に、路地奥へ誘ったものだ。地下組織の利権争いの結果なのか、それとも中国人は正業に就けるほど香港経済が大きくなって、こうした「仕事」は途上国の出稼ぎ者用になったのか。

金曜日の夕暮れ時、香港島に渡ると九龍のいかがわしさは消え、SOHOの街歩きはロンドンの下町に迷い込んだ気分になる(といってもロンドンに詳しいわけではないが)。金融関係の仕事に就く白人たちだろうか、ビールを手に談笑するグループが、パブの外まで溢れている。

そして日曜日、再び九龍公園を歩くと、緑陰のあちらこちらで若い女性たちがグループを作っている。その数は大変なもので、公園を占拠するほどの観がある。肌はうっすら南方系で、小柄で表情が柔和だ。それだけで中国系ではないと分かる。フィリピンやインドネシアから出稼ぎに来ているメイドさんたちのようだ。週に一度の休日を、仲間と集って過ごしているのだろう。

土地が少ない香港は、必然的に居住費が高くつく。だからほとんどの家庭が共稼ぎで、家事のためにメイドを雇う。香港の子どもは、生まれてこのかたメイドのいる暮らしが当たり前であり、炊事・洗濯・掃除をしたことがないまま成長し、結婚して行くという。そしてまた子どもを産み、メイドを雇い・・・を繰り返す。そうした生活を支える労働力が、フィリピンなどからの出稼ぎだ。アマ(amah)社会が、労働力を換えて生き続けている。

香港は、アジア経済の縮図である。24年前に飲んだコリアンバーは、オーナーとママが韓国人、ホステスは台湾、ウエイトレスはフィリピン、皿洗いはタイの女性たちだった。この構造は、本国の経済発展によっていくらか入れ替わっているかもしれない。しかしフィリピン人が下位であることに変化はないだろう。そこには東アジアの国力垂直構造が、個人の努力を超えて存在する。

リッチな香港生活をエンジョイしているSOHOの白人たち。つかの間の休息を公園のおしゃべりに費やすフィリピンの女性たち。出稼ぎの日々を詐欺商売でしのぐアラブの男たち。どこの国に生まれたかによって、逃れられない格差がつきまとう現実。そのことが香港という小さな世界で、日夜交錯している。(2009.10.23-27)
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