今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1122 礼文(北海道)北限は花の浮島礼文島

2023-09-15 10:18:33 | 北海道
稚内から2時間ほどフェリーに揺られ、西方60キロに浮かぶ礼文島に渡る。日本海最北の離島である。島は南北に細長く、面積は伊豆の大島より小さいけれど八丈島より大きいから、人の暮らしは十分に成り立つ広さだ。ただ気象条件が極めて厳しく、稲作や畑作はもちろん酪農も不可能で、海産物以外の食糧は全て本土から運ばれている。全島が礼文町で、1955年には9800人を超えた人口は、直近では1244世帯2305人になっている。



島内を移動して印象的なのは、緩い起伏や窪地が続く丘陵に、木が一本も生えていないことだ。丈の低い草木が、芝刈り機で丁寧に刈り込まれたかのように斜面を覆っている。どこかで見た光景だと考えて、宗谷丘陵を思い出した。ともに周氷河地形と呼ばれる、大昔の氷河期に大地が凍結と融解を繰り返したことで形成された姿だという。木が生えていないのは、近年の伐採や山火事のせいだというが、シベリアからの烈風が影響してもいるだろう。



乏しい知見ながら、私が国内でこれまで最も美しいと思った海は奄美大島での経験なのだが、礼文島西部の澄海(すかい)岬から見下ろした入江は、奄美の美しさと同等の、藍のような深い青色を湛えている。海の色は、天候や海底の形状、さらには水中の海藻の繁茂を反映しているらしいが、礼文の海は実に美しい。そのうえ冷涼な気候が、初夏の島を高山植物の花園にする。レブンアツモリソウやウスユキソウなど、300種が咲き乱れるという。



北緯45度27分51秒のスコトン岬には、環境省の「最北限の地」の標識が立っている。かつては「最北端」を名乗っていたそうだが、宗谷岬よりわずかに南であることが判明し、「北限」に落ち着いたという。北端と何が違うのかよくわからないものの、やはり「最果て」の厳しさが漂っている。その岬の尾根に隠れるように建つ民宿と丘の上の売店は、この地で起業された礼文の海産物直販企業の運営だという。ブランドは「島の人」である。



ホームページを見ると、スコトン岬の漁師の末裔を名乗っているから、島の若手グループではないかと思われる。礼文の物産を産地直送で全国に販売するビジネスモデルで、15年前に10商品からスタートした。取扱品が400に増えた今では、会社組織になって本社を札幌に置き、新千歳空港にも直販店を開くまでになったが、あくまでもスコトン岬が本店であるという地元意識が頼もしい。人口減少に悩む島に、新たな希望を見る思いになる。

(礼文町郷土資料館ホームページより)

旅から帰って改めて調べ、礼文島には4000年前の縄文時代中期以降の遺跡があることを知る。縄文人が離島に渡る航海術を有していたことは、伊豆の島々で確認できているが、荒海の礼文島でも生活があったとは驚きである。新潟県産の翡翠も出土しており、日本海を舞台に壮大な交易があったのだろう。町の郷土資料館に立ち寄らなかったことが悔やまれるけれど、北海道には「縄文のまち連絡会」がある。今後はその活動を注視して行こう。



南の海上に利尻富士を望める高台の公園で、評判だというソフトクリームをいただく。私はむしろ、添えられた冷水の美味しさに驚いた。「美味しいですね、特別な水ですか」と訊くと、若いウエィトレスさんは「いいえ、水道水です。私も美味しいと思いました」と、島外からの転入者であることを明かして微笑んだ。島には町営の簡易水道が供給されている。水源までは聞きそびれたが、「花の浮島・礼文」は「美味しい水の島」でもあった。(2023.9.9)

(レブンアツモリソウ「礼文島観光情報」より)

(レブンウスユキソウ「礼文島観光情報・小野町長の花小部屋」より)





























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