今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1013 禅林寺通り(東京都)ささやかな緑化推進沈丁花

2022-03-02 10:24:50 | 東京(都下)
わがマンションのエントランスで、沈丁花が開花した。微かに春の香りが漂っている。小さな株を通り沿いの鉢に植えたのは昨年11月。春が来て、通行人が香りに気づいて「あれっ」と振り向き、ちょっと驚いてくれたら楽しいな、と水遣りを続けてきた。三鷹駅南口付近から南へ、まっすぐ延びる道路は「禅林寺通り」と言う。突き当たりは江戸初期創建の禅林寺になる。私はその通りの入り口付近に建つ、古いマンションの緑化委員なのである。



どこの街でも見かけるありきたりの住宅街の狭い通りだけれど、駅に近いせいか人通りは結構多い。かつてはお屋敷街と言えなくもない風情があったようだが、今やマンション通りである。戸建てがマンションに再開発されるのは、駅に近いところから順番にというのが流れのようで、不動産広告には「駅歩3分」と記されるわがマンションは、最古老の「築40年」だ。私が住人に加えてもらって17年になる。便利で静かな環境が気に入っている。



ただ入居当初から、殺風景なエントランスがどうも気に入らない。「鉢を置いて緑を増やしたらどうか」と提案するのだが、管理組合から返って来るのは「水遣りなどの管理ができない」という消極的な反応ばかりだ。そこで私と妻は勝手に「緑化委員会」を結成、「植栽も管理も請け負う」という約束で鉢を置く了承を得て、季節の花々を植え始めた。チューリップ、カサブランカ、朝顔、ジャスミン、パンジーなどを植え継いで、15年になるだろうか。



ものぐさな私だけれど、子供のころから不思議と植木の水遣りは苦にならない。植物の喜ぶ様子が分かるからだ。年に何度か植栽を替え、水遣りを欠かさず育ててエントランスは明るくなった。花の力は偉大で、見知らぬ人が「きれいねえ」と足を止めるようになった。だがもう一つ、私には許容できないことがあった。禅林寺通りに散らばるタバコの吸殻やコンビニ袋など、日常的なゴミの散乱だ。駅や商店街に近い立地のマイナス面が顕れていた。



そのことは終の住処をこの地に定めたいと考える私には我慢できないことだった。定年まで半年を切ったころ、私は妻に宣言した。「退職したら毎朝、通りを清掃する!」。妻はにっこり微笑んで、「続くといいけれど」と目で返した。さて、いよいよその日が近づいたある朝、出勤のためマンションを出ると、見知らぬオヤジが一人、箒と塵取りを手に道路を掃いている。私の「決意」は先を越されてしまったのだ。私より少し年長の、この通りの住人らしい。



「ご苦労さんです」と声を掛けると、ぶっきらぼうに「ごみが散らかっているから捨てる奴が増えるんだ。ニューヨークの地下鉄だよ」と言う。落書きだらけの地下鉄をきれいにしたら、犯罪も減ったというニューヨークのことを言っているらしい。顔が恐いから付き合いは避けたいのだが、それを機に、しきりとわがマンションの植栽を褒め、手法について質問して来る。行動力のあるオヤジだった。「禅林寺通り町会」として市に「花いっぱい運動」を提案し、市の事業にしてしまったのだ。



そんなことから10年余、吸い殻やゴミがすっかり消えた禅林寺通りは、歩道のプランターに花が絶えることがない。わが管理組合は緑化費を予算化してくれて、鉢や苗を自腹で購入する必要はなくなった。いつも「ここが発祥の地だ」とわがエントランスを指差していたあのオヤジは、最近見かけない。新築マンションが建つたびに新住民が越して来る。新参者には、ささやかな裏通りの歴史など関心ないだろうが、それはそれでいい。(2022.3.1)


















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