今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

820 ロンドン①(英国)

2018-07-17 14:56:20 | 海外
テムズ川左岸で柵にもたれ、タワーブリッジを眺める男がいる。私だ。ロンドンに来ている。118年前、私とは逆に、塔橋からこちら側を眺めている男は夏目漱石である。33歳だというから私よりかなり若い。漱石はこちら側の「地城(じしろ)」に「長い手で引っ張られるような気分」で川を渡って来る。彼を鉄屑のごとく吸い付けた磁石は「倫敦塔」である。それは私の背後で、118年前と変わらぬ石積みを晒している。



漱石によれば「倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたもの」であるそうだから、私もこの地に来たからには、先ずロンドン塔を目指したのである。ただ漱石と異なるのは、11世紀に要塞として建てられ、その後は獄舎や処刑場として拡張されてきた美しくもない「地城」の門を入って、処刑された王子や女王の幻影を求める考えはないことだ。そんな血なまぐさい話をよすがに、この国の歴史を紐解くなど真っ平である。



倫敦塔は、磨り減った石壁を確認すればそれで十分だ、と思いたい。というのも実は、塔の広場は入場を待つ人の列で埋まっていて、私に、そこに加わってロンドンの肌を刺す日差しに身を曝す勇猛心がないという、軟弱な事情もある。往々にして欧米人は列に並ぶことを厭わないようだが、列を構成するお年寄りたちの、従順に入場を待つうなだれた姿は、失礼ながら処刑場へと引かれる囚われ人のようにさえ見える。



それとは対照的に、社会科見学の女の子たちは元気がいい。彼女らは塔に一瞥もくれることなく、おしゃべりに興じながら私の前を通り過ぎて行く。その姿こそ自然だ。つまり「こんな牢獄に、自分たちの歴史を煎じ詰められてはたまらない」と思っているのだろうと、現代ロンドン市民の心情を推察するのである。それにしても広場を埋め尽くす見学者の数はただ事ではない。ヨーロッパは夏の観光期が始まったのだろう。



あどけない少女が、嬉々としてビーフイーターとの記念写真に収まっている光景などに出くわすと、ロンドン塔は確かに倫敦を知るには必見のスポットだとは思う。街にはガラス張りのビルが侵食しつつあるものの、古色漂う倫敦塔はビクともしない。ただ漱石の描く倫敦が今日にも通じるのは、テムズ川の「壁土を溶かし込んだような」流れが「波も立てず音もせず無理矢理に動いている」という様相くらいのものである。



「都市は西進する」という私の説(実は何かの受け売りなのだが)を、最もよく刻んでいる例はロンドンという街であろう。ロンドン塔を東南隅に含む「シティー」には、ローマ軍が築いた紀元2世紀ころの城壁が残っている。ロンドンはローマ人による「ロンディニウム」をイーストエンドとし、西へ広がって行く。そして人口870万人の、世界中の街で屈指の都市力を認められる街になった。私はその理由が知りたい。



シティーを歩いていて、セントポール大聖堂の近くで「Destroyed in the Great Fire 1666」と刻まれたプレートを見かけた。ユーラシア大陸西端の島国の首都は、この大火と、20世紀の独軍の空爆で、2度も灰燼に帰している。これは大震災と空襲で、2度焼け野原になった大陸東端の島国の
首都と似ていると、端から端へやってきた旅人は思うのである。いずれもその都度、復活したことも似ている。(2018.6.24-7.2)
















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