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調布市の東端、世田谷区に隣接して仙川という街がある。調布で暮らしていたころ、幼かった子どもたちと武者小路実篤記念館に来たことが、この辺りのわずかな記憶である。縁はそれくらいしかない、ほとんど知らない街なのだが、今回、三鷹の自宅から自転車を漕いでやって来たのは、最近知己を得た若い陶芸家が、仙川のギャラリーで個展を開くと案内をくれたからだ。実篤記念館は隣の若葉町になるのだが、私の中では一帯が「仙川」である。
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多摩川左岸の武蔵野台地は起伏が少なく、全て平坦なように私には思えていたのだが、三鷹から調布へ自転車で移動すると、北から南へ緩やかに、しかし確実に標高を下げて行くことがはっきり体感される。そうした台地の果てるあたりにも、雨水や湧水を引き受ける細々とした流れはあるもので、「仙川」もそんな川のひとつなのだ。しかし流れはみすぼらしく、息も絶え絶えに小金井・三鷹・調布・世田谷と下って野川に合流している。
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仙川という街の名は、町境の一部を流れる仙川にちなんでいるのだろう、この辺りまで来ると水量は一応、川らしくなってくる。その流れと並行して、もっとささやかな入間川という小流がある。実篤は子供のころから「水のあるところに住みたい」という思いがあったといい、入間川の小さなハケに終の住処を建てた。三鷹から転居してきたのは70歳(1955年)のことだった。後に調布から三鷹へ越した私とは逆に、というのは何の関係もない。
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旧居跡は市に寄贈され、実篤公園として開放されている。調布の街並みを遠望できる、眺めの良さそうな旧居から、傾斜地に配置された池を巡っていると、『白樺』や「新しき村」で夢見るままに生きた魂に触れる思いになる。だが昭和の軍国主義から敗戦を経て、この国に残っていた貴族的人間賛歌はすっかり失われたようである。「平等」が実現したのだとすれば進歩であるけれど、もはや実篤的人生の実践は、非現実になったと思うのは虚しい。
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仙川の街は、真ん中を甲州街道と京王線が走り、キューピーマヨネーズの工場や桐朋音楽大学がランドマークになっている。仙川駅は特急や急行が停まらないから小規模で、南口から延びるハーモニーロードという商店街も、狭く華やかさはない。しかしそうした駅舎も商店街も、人々が肩触れ合って行き交っているような心地良さが漂っている。住民はおそらく、調布市民というより世田谷の延長の地で暮らしている、といった意識なのではないか。
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目的のギャラリーを探して街を行くと、整備されたばかりの広々とした道路に行き着いた。吉祥寺と狛江の多摩川を結ぶ都道114号だそうで、広い歩道が清々しい。おそらく道路拡幅のために買収した土地の余った部分なのだろう、極めて細長いアートミュージアムや劇場が点在している。高名な建築家の設計だそうで、いささか窮屈ではあるが街をすっきり見せている。ちょっと自転車を走らせただけで、文学・音楽・美術・演劇に出会える街だ。
ギャラリーはそうした街だから運営できているような洒落たスペースで、小孫哲太郎作陶展が開催中だ。名前も風貌も一風変わった作家なのだが、作品はもっと個性的である。化粧掛けした陶の表面に、奔放な文様を饒舌に線描し、鮮やかな絵付を施す。「雲の描き方に沖縄を思い出す」と言うと、彼の地の学生時代に陶芸と出会ったのだそうだ。私は小品をいくつか所有しているだけだが、次第に存在感を増していく作家だと思っている。(2014.7.14)
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多摩川左岸の武蔵野台地は起伏が少なく、全て平坦なように私には思えていたのだが、三鷹から調布へ自転車で移動すると、北から南へ緩やかに、しかし確実に標高を下げて行くことがはっきり体感される。そうした台地の果てるあたりにも、雨水や湧水を引き受ける細々とした流れはあるもので、「仙川」もそんな川のひとつなのだ。しかし流れはみすぼらしく、息も絶え絶えに小金井・三鷹・調布・世田谷と下って野川に合流している。
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仙川という街の名は、町境の一部を流れる仙川にちなんでいるのだろう、この辺りまで来ると水量は一応、川らしくなってくる。その流れと並行して、もっとささやかな入間川という小流がある。実篤は子供のころから「水のあるところに住みたい」という思いがあったといい、入間川の小さなハケに終の住処を建てた。三鷹から転居してきたのは70歳(1955年)のことだった。後に調布から三鷹へ越した私とは逆に、というのは何の関係もない。
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旧居跡は市に寄贈され、実篤公園として開放されている。調布の街並みを遠望できる、眺めの良さそうな旧居から、傾斜地に配置された池を巡っていると、『白樺』や「新しき村」で夢見るままに生きた魂に触れる思いになる。だが昭和の軍国主義から敗戦を経て、この国に残っていた貴族的人間賛歌はすっかり失われたようである。「平等」が実現したのだとすれば進歩であるけれど、もはや実篤的人生の実践は、非現実になったと思うのは虚しい。
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仙川の街は、真ん中を甲州街道と京王線が走り、キューピーマヨネーズの工場や桐朋音楽大学がランドマークになっている。仙川駅は特急や急行が停まらないから小規模で、南口から延びるハーモニーロードという商店街も、狭く華やかさはない。しかしそうした駅舎も商店街も、人々が肩触れ合って行き交っているような心地良さが漂っている。住民はおそらく、調布市民というより世田谷の延長の地で暮らしている、といった意識なのではないか。
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目的のギャラリーを探して街を行くと、整備されたばかりの広々とした道路に行き着いた。吉祥寺と狛江の多摩川を結ぶ都道114号だそうで、広い歩道が清々しい。おそらく道路拡幅のために買収した土地の余った部分なのだろう、極めて細長いアートミュージアムや劇場が点在している。高名な建築家の設計だそうで、いささか窮屈ではあるが街をすっきり見せている。ちょっと自転車を走らせただけで、文学・音楽・美術・演劇に出会える街だ。
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ギャラリーはそうした街だから運営できているような洒落たスペースで、小孫哲太郎作陶展が開催中だ。名前も風貌も一風変わった作家なのだが、作品はもっと個性的である。化粧掛けした陶の表面に、奔放な文様を饒舌に線描し、鮮やかな絵付を施す。「雲の描き方に沖縄を思い出す」と言うと、彼の地の学生時代に陶芸と出会ったのだそうだ。私は小品をいくつか所有しているだけだが、次第に存在感を増していく作家だと思っている。(2014.7.14)
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