今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1099 麦田(神奈川県)トンネルを抜けるとそこは麦田町

2023-06-24 14:47:29 | 埼玉・神奈川
北の野毛山と南の山手丘陵に挟まれた限られた地域に、開港場と外国人居留地が開設されて始まった横浜の街は、160年ほどで人口が377万人を突破、世帯数は180万に達しようとしている。日本で最も人口の多い「市」であり、都道府県に当てはめると静岡県を上回る10番目の「県」のようなものだ。面積は全自治体中249番目らしいが、神奈川県では一番広い。18の行政区に分かれ、関内や本牧を含む中区は発祥以来の横浜の中枢である。



その中区は「港の見える丘」から西に延びる山手の丘陵が区を南北に分かち、中ほどのイタリア山の麓を穿つトンネルを通る本牧通りが、北側の関内・元町地区と南の本牧地域を結んでいる。本牧側は麦田町という街から始まる。思い出せば10年ほど前、根岸森林公園の「馬の博物館」で神田日勝の絵を見た帰り、山手駅まで坂道を下り、そのまま歩いて行き着いた大通りが麦田町の本牧通りだった。疲れて果て、横浜駅行きのバスを待ったのだった。



麦田町とはどんなところか、改めて歩いてみる。街は4丁目までのごく小さなエリアで、約1200人・820世帯が暮らしている。昔は麦畑でも広がっていたのだろうか、丘に囲まれた谷地のような地勢で、中央の大通りは、本牧と丘の向こうの中心部を結ぶ路線バスが頻繁に行き交い、川のように街を分かっている。大通りを外れれば小型車の通行がやっとといった路地が曲がりくねって結ばれ、気取りのない、どこか懐かしさを覚える佇まいである。



「元町から本牧へ トンネルを抜けるとそこは麦田町」と、歌のようなタイトルを掲げているのは「麦田町発展会」という商店会だ。本牧通りの両側に並ぶ飲食店や電気屋さん、クリニックなど50ほどの会員が、植樹や救急箱の設置など、50年余も活動を続けているという。こんな元気な組織が活動していることが、居心地の良い街を作っているのだろうが、切通しのような崖地の下の低地という立地は、地震や大雨でも大丈夫か気になるところだ。



ただ市のハザードマップを見る限り、災害をさほど心配する必要はないようで、古くから住む高齢者らが静かに暮らす街であるようだ。かつては市電が、山手隧道を通ってこの街まで延び、車庫があったのだと刻む石碑が建つ。発展会によれば「本牧通りを体を揺すって走る市電とその車庫は、麦田の人たちの小さな誇りでした」という。観光横浜の人波は山手の丘までで、麦田は昔も今も「中心部の外周を構成する街」といった位置付けなのだろう。



この特色の乏しい街を、私はなぜ歩いているのか。実は息子がここに家を建てたからなのだ。3階建ての小さな家が完成したというから見に来たのである。特段の見物をするところもなく、息子が「絶品だ」と自慢する街中華の味噌ラーメンもそれほどとは思えなかったけれど、庶民的な印象の街は暮らしやすそうで、孫が成長して行くにいい土地を選んでくれたと安心した。息子家族三人は、麦田町の人口増に僅かながら寄与しているわけである。



この日はまず息子と石川町駅で落ち合い、丘の北側の急坂を登ってイタリア山庭園に行ってみた。明治期にイタリア領事館が置かれた丘の頂は美しく整備され、眺望は晴れ晴れと広がる。周囲は邸宅が建ち並び、首都圏でも有数の高級住宅街と言えそうな街並みだ。そして南へ坂を下ると、下るに連れ雰囲気は庶民的になって麦田町に至る。その飾り気のない佇まいにホッとするのは、私が庶民であることに満足しているからであろう。(2023.6.20)



























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