上越新幹線を新潟駅で「特急いなほ」に乗り継ぐと、37分で中条駅に着いた。新潟県北部の街・胎内市。私の記憶では中条町という旧町名の方が据わりがいいのだけれど、黒川村と合併して胎内市になった。晩秋の午後7時近くだから、日はすっかり落ちている。それにしても街の「暗い」こと! 上弦の月が懸かっているものの、月光は地上に届く前に闇に吸い摂られ、むしろ「漆黒」を際立たせている。懐かしくなる「街の暗さ」である . . . 本文を読む
街と個人に《相性》はあるだろうか? 住人にしてみたら愚問であろうが、行きずりの旅人にとっては《ある》のかもしれない。私の場合、名古屋はどうもいけない。何度行っても長居をする気分にならず、街歩きを楽しんだことがない。そこで、今度ばかりは意を決し、中心部(と思われる)あたりを歩いてみる。熱田神宮にご挨拶し、地下鉄に乗って名古屋城へ行き、大通りを下って栄町界隈を探検したのだ。さて・・・。
かつてどこ . . . 本文を読む
丸の内とは「お城の本丸の内側」のことだから、たいていの城下町ではありふれた地名なのであろう。しかし多分、どの城下町にしても、その名がつく街は特別な一角に違いない。それが「丸の内」というものだ。そして今日、私がいるのは東京・丸の内。まだ松の内だから行き交う人も少なく、丸ビルショッピングモールは閑散としている。丸の内マンは年賀回りで忙しいのか、あるいは深刻な不況で買い物どころではない、という世の中な . . . 本文を読む
しばらくは昼の名残りを保っていた蒼穹が、一気に黄金の輝きを増し、水面に光りのプロムナードを延ばして来た。「シナバー角度」とでも言おうか、光の屈折が、世界を朱に染める太陽の高度があるらしい。この絨毯を歩いて行ったら、どこに行き着くのだろうと、惚けたように眺めていた私は、いっとき自分がいる場を忘れた。私はいま、山陰の都城・松江にいて、宍道湖のほとりで落陽と向き合っている。
松江に到着するや、駅前の . . . 本文を読む
街と美術館について、まだ考えている。そして思い出しているのは釧路のことだ。私がこの「夏なお寒い」霧の街を訪ねたのは8月下旬。啄木ではないから、駅に降りても「さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき」などとは詠わなかったが、「ステーション画廊 最後の展覧会」という看板を見かけ、寂しい思いになったのは啄木と似た気分だったかもしれない。私は初めての街で、はからずも美術施設のレクイエムに . . . 本文を読む
美術館の街をもうひとつ。私は美術の才はないけれど、観ることはめっぽう好きだ。だから美術館巡りを旅の大きな楽しみにしている。どこの街に行っても大なり小なり美術館という名の施設がある今日、私のようなものにとっては、この国に流行したハコもの行政はまんざらでもない恩恵を残してくれたことになる。今年もそうやって多くの美術館を訪ねたが、なかでも心地よかったのは香川県丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館だった。
こ . . . 本文を読む
東京にはいったい「美術館」がいくつあるのだろう。ネットで検索すれば一覧表はすぐに見つかるけれど、余りに多くて数えるのが億劫になる。「ちょっと歩けば美術館に当たる」という暮らしができることは現代の恩恵の一つであって、このことに限って言えば東京は恵まれた生活環境の街ということになる。ただそれぞれの美術館と自分がうまく感応し合えるかどうかは別の話。今日は江東区にある東京都現代美術館(MOT)にチャレン . . . 本文を読む
瀬戸内海に架かる3本の本四架橋のうち、真ん中で香川県坂出市と岡山県倉敷市児島を結んでいるのが「瀬戸大橋」だ。道路の下に鉄道が走る2階建てということで、坂出市番の州にある架橋記念公園に出かけ、まじまじと見上げてみた。なるほど、ごっとんごっとんと線路の音を響かせて、2輛ほどの列車が遥か頭上を通過して行く。澄んだ海と空の接するところに重なる島々。この絵のような自然美を打ち砕いて居座る、人造の迫力美に圧 . . . 本文を読む
播磨路のどこかに龍野という城下町があって、古い家並の中に静かな暮らしが守られている、ということは知っていた。しかしなかなか訪ねる機会がなかった。佐用町の帰りにようやく立ち寄れた龍野は、晩秋の落日が空を燃やしていた。「まるで《赤とんぼ》の色だな」と考えたのは《こじつけ》だが、その風景がよく似合う街だった。
城下の「静かな暮らし」は私の想像を超えていて、夕食を摂りたいと古い家並をうろうろしたのだが . . . 本文を読む
写真での判別は難しいかもしれないが、対岸を小学生が列を成して下校して行く。旗を手に誘導している教師も見える。こちら側に架かる橋が異様なのは、欄干が崩れているからだ。ここは兵庫県佐用町。この夏、水害によって甚大な被害を被った街だ。私が訪ねたのは川の氾濫から2ヶ月ほど経ったころ。街にはまだ被害の爪痕が生々しく残り、人々は深い疲れを滲ませていた。それからさらに2ヶ月、暮れに向けて、町の人たちの生活はど . . . 本文を読む