今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

128 佐賀(佐賀県)・・・縄文のアラカシの葉に隠れ住む

2008-04-11 20:28:04 | 佐賀・長崎

柳川での所用が済むと、予備日としていた時間が丸々1日、空くことになった。さて、どこに行こうか。地図を見るとすぐ隣に佐賀があるし、熊本だって博多に戻るより近そうだ。県庁のある街は地方の中心都市ということになるが、私はこのふたつの街とも行ったことがない。絶好の機会を得て贅沢な迷いに悩んだ挙句、佐賀に行くことに決めた。こんな折りでもないと、行きそびれてしまいそうだからである。

柳川から佐賀へ、1時間に2本、直行バスが出ていた。何の変哲もない田舎道を1時間余も揺られていく。かつては海沿いの道だったのだろうが、海は見えない。干拓され、農地が広がっているのだろう。大川市という街を過ぎると筑後川を渡り、佐賀県に入った。筑後から隣国・肥前に分け入ったのだが、景色は変らない。

JR佐賀駅に隣接したバスセンターが終着駅だ。バス待ちのお年寄りがちらほら。駅前から延びるシンボルロードは広く整備が行き届いているが、何の「シンボル」なのだろう、人影は見えない。やがてアーケード街の入口が口を開けていて、赤い毛氈状の歩道がひな祭りの開催を教えている。だが、人はいない。城跡に行くと県庁や図書館があり、楠木の巨木が枝を広げていた。図書館に少し閲覧者がいた。

県立美術館に入ると、隣の博物館と通路がつながっていた。学生らしき参観者が数人いたものの、ほとんどの展示室を一人で独占して眺めた。受付で小さな苗木を売っていた。「縄文のアラカシ」と書いてある。何のことかと尋ねると、西有田町の縄文遺跡から出土したアラカシの実が1粒発芽し、博物館の庭で大きく育った、その木から採集した縄文世だという。

4000年の時間が200円で購入できたような気になっていると、受付の女性が「よかったわねえ、東京に連れて行ってもらえて」などといいながら、ダンボールに固定してくれた。帰宅後、さっそく鉢に移植したが、まだ変化はない。何しろ4000年の子孫なのだから。

歩き疲れて角の喫茶店に入ると、店内は「伊万里の実家にあった」という磁器片をふんだんにあしらった、凝った造りになっていた。さすがに佐賀である。陶器一辺倒だった私が、このところ磁器にも惹かれるようになって、自分でもうまく説明できないでいるのだが、「最近は、磁器も陶器もすっかり売れなくなりました」などと産地で聞かされると、こちらも寂しくなる。

店の前が長崎街道の辻で、道標が立っていた。竜馬やシーボルトもここを通ったのかと思うと、佐賀が何やら艶めかしく勢いづくような気がした。薩長土肥の革命勢力で、割りを食ったのは肥前であると誰かが書いていたようにも思うが、何しろ「葉隠」の本家である、街道筋でひっそりと、しかし毅然とした生き方をする土地柄なのかもしれない。

それにしても佐賀の市民は、いったいどこに隠れているのだろう、市中の閑散さは尋常ではない。佐賀牛のディナーと一人で向き合うのも味気なくて、早々にホテルに引き上げた。明日は陶器にするか磁器にするか、つまり唐津に行くか伊万里へ行くか、迷いながら眠ることにしよう。(2008.3.19)
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